2017/05/21

秦郁彦 吉田の詐話と吉見の”発見”


読売新聞の連載「時代の証言者」。先月まで秦郁彦が登場。基本的に彼の著書に書かれていることと同じだが、第29回目は吉田証言と吉見教授の”発見”についてスポットライトが当てられた。吉田と吉見、二人のキーマンの存在で、慰安婦騒動の幕が開いた。

時代の証言者

秦 郁彦 29
実証史学への道

「吉田証言」の詐話を追う

1991年12月から92年1月にかけて、私が「ビッグバン(大爆発)」と呼ぶ、慰安婦問題の騒動が発生します。12月、旧日本軍に徴用された韓国人と遺族が、日本に謝罪と補償を求め東京地裁に提訴。この中に元慰安婦3人も加わりました。 1月11日には朝日新聞が、朝刊1面トップで、慰安婦の募集に日本軍が関与していたと報じます。

<<記事は、旧日本軍が慰安所の設置や従軍慰安婦の募集に関与していたことを示す文書が明らかになったという内容だった。従軍慰安婦について「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」との記述もあった>>

記事の根拠となった文書は、吉見義明中央大教授が防衛庁の防衛研究所図書館で発見した、とのこと。私は12月下旬、吉見氏と防衛研究所で偶然会い、近く朝日新聞に出ると聞き、なぜニュースになるのか疑問に思いました。

1938年に陸軍省が流したこの通達文書は、すでに20年前から公開されていたもので、慰安婦を募集する際、誘拐まがいのことをやっている悪質な業者がいるから、取り締まれという内容です。日本軍の関与には違いないが、良い関与だったからです。

それを、宮沢首相の訪韓(1月16日)という絶妙のタイミングに合わせて掲載したのでしょう。

ほかのマスコミも追随し、強制連行の証拠が見つかったかのような大騒ぎになりました。宮沢首相はソウルでデモ隊に迎えられ、何度も陳謝します。

強制連行説の根拠になったのが、吉田清治著『私の戦争犯罪』 (83年)です。戦時中、労務報国会(労報)下関支部の動員部長だったと称する吉田氏は、済州島で慰安婦を調達せよとの西部軍命令を受け、女性を狩り出したと書いています。

私は一読して怪しいと感じました。済州島は朝鮮総督府と朝鮮軍の管轄。本に載っている命令書も、正規の体裁から外れている

私は吉田氏に電話しましたが、話に矛盾が多く、作り話と確信しました。出版社にも電話すると、担当者は「あれは小説ですよ」と言うのです。

私は彼を典型的な詐話師だと直感し、92年3月、証拠を見つけるため済州島を訪れました。最初に城山浦の貝ボタン工場を訪ねました。本には女子工員を木剣で打ちすえ、かり集めたと書かれています。近くの老人たちに話を聞くと、「そんな話はない。小さな村落だから、何十人も連れて行かれたら大事件だよ」と一様に否定しました。

さらに公立図書館で、地元の済州新聞が吉田本の韓国語版の紹介記事(89年8月14日)を掲載していたことを知りました。慰安婦狩りを裏付ける証言はなく、島民は「デタラメだ」と否定しているとの内容です。

書いた女性記者を訪ねると、「日本人はなぜこんな作り話を書くのでしょうか」と責められました。

帰国後、私の済州島での調査を取材した4月30日の産経新聞は、吉田証言を虚偽と断定しました。

(編集委員 笹森春樹)

読売 2017.4.24 8面

世論調査、いずれも韓国政府に不信感(日韓合意)


読売の調査で、日本政府が韓国との再交渉に応じるべきでないという人が61%、応じるべきの25%を大きく上回った。個人的には、1/4もの人が未だに「応じるべき」だと回答していることにいささかゲンナリしたのだが、質問の仕方が若干異なるとはいえ、FNNの調査では、80%以上の人が再交渉に応じない日本政府を支持すると出た(支持しない:12.3%)。この不毛の20年間を思えば、これくらいが妥当だろう。

更に、韓国政府が約束(合意)を守らないだろうと予想している日本人は、FNNの調査で76.4%、時事の調査では70.3%。

慰安婦を巡る再交渉、61%「不要」…読売調査

読売新聞社の全国世論調査で、韓国の文在寅ムンジェイン大統領が、大統領選挙の期間中、慰安婦問題を巡る日韓合意の再交渉を求めていたことについて聞くと、日本政府が再交渉に「応じるべきではない」と答えた人は61%に上り、「応じるべきだ」の25%を大きく上回った。

慰安婦問題を巡る日韓合意は、「最終的かつ不可逆的な解決」を定めている。今回の調査では、再交渉に対する日本国民の拒否感の強さが浮き彫りとなった。(以下略)

読売(一部) 2017.5.15

慰安婦合意再交渉応じず 8割が支持

「慰安婦合意」の再交渉に応じない政府の姿勢を支持する人が、8割にのぼった。
FNNが、14日までの2日間行った世論調査で、慰安婦問題を「最終的かつ不可逆的に解決させる」と確認した日本と韓国の合意について尋ねた。

10日に発足した、韓国の文在寅(ムン.ジェイン)政権のもとで、この日、韓合意が守られなくなることを懸念しているかを尋ねたところ、「懸念している」と答えた人は、7割台半ば(76.4%)で、「懸念していない」とする人は、1割台後半(17.6%)だった。

日韓合意の再交渉に応じない日本政府の方針については、8割の人が「支持する」と答え(81.9%)、「支持しない」は1割だった(12.3%)。

FNN 2017.5.15[2]

このアンケート結果は韓国のメディアでも紹介された。

日本人の61%「韓国が望む慰安婦合意再協議、必要ない」

日本人の10人中6人以上が、去る2015年に成された「日韓慰安婦合意」に対する再協議が「必要ない」との意見をもっているとの世論調査結果が出た。

日本メディアが去る12~14日に実施した全国世論調査結果によると、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領が当選前、慰安婦合意に対する再協議を要求すると明かしたことについて、回答者の61%が日本政府は再協議に「応じてはならない」と答えた。

これは、韓国側が再協議を要求した場合「応じるべき」と答えた比率(25%)を2倍以上も上回る数値となった。

WoW!Korea 2017.5.15[2]

そして4日後の時事の世論調査の中でも、韓国に対する懐疑的な空気が認められた。時事のこの調査結果も聯合ニュースによって韓国語で報じられた

・・・韓国の文在寅政権で慰安婦問題をめぐる日韓合意が守られると思うかどうかについては「思わない」が70.3%となり、「思う」の10.0%を大きく上回った。

時事(一部) 2017.5.19

2017/05/14

貧する和解財団は着服、裏財団は寄付金でホクホク

危機に瀕する和解財団を尻目に
アンチ(正義)財団は寄付金で肥え太る

朴政権が苦労して日本政府との合意にこぎ着け、設立した和解・癒し財団が朴政権の倒壊と共にボロボロに。10億円払い込み済の日本側としては最早大した問題ではないが、それにしても、貧すれば何とやらで日本政府から預かった金に手をつけてしまうとか、哀れ過ぎて苦笑を禁じ得ない(なお、産経によれば、政府高官が10億円を「手切れ金」と言っているとか)。財団からは理事まで逃げ出し始めた。

・・・財団は昨年7月の設立。事務所の賃借料など運営にかかる費用は韓国政府が全額支出し、日本政府が拠出した10億円はすべて元慰安婦の支援事業などに使われることになっていた

財団関係者によると、韓国政府は16年度、運営費として約1億5千万ウォン(約1500万円)を支出。17年度は約4億ウォン(約4千万円)を政府予算案に計上したが、朴槿恵(パククネ)前政権下で最大野党だった「共に民主党」が反発。国会審議で全額削減され、財団は「やむを得ず(日本からの)拠出金の一部を使うことになった」としている。

一方、財団は理事長を含めて10人の理事で構成されていたが、2人がすでに辞任した。財団関係者によると、日韓合意や財団に対する批判が高まったため辞任したという。・・・

朝日(一部) 2017.5.11 [全文]

その一方で、和解財団に対抗して挺対協などがでっち上げた正義・記憶財団は順調に金を集め肥え太っている。写真上は全羅南道の麗水市の市民団体から正義財団への1000万ウォンの寄付金を受け取った挺対協のユン・ミヒャン(5月7日)。3月?には、パク・ウォンスン現ソウル市長からも5000万ウォンの寄付を受けた。彼女達は、こういった金で世界中に「少女像」をばら撒く事を計画している

アンチ和解財団に寄付するソウル市長


2017/05/13

国連拷問禁止委員会、日韓合意見直しを勧告


「被害者の名誉回復」とか「再発防止策」とか、お馴染みのフレーズ。浮世離れした国連委員会は(拷問禁止委員会は国連機関ではないとのこと)、市民運動家の相乗りタクシーか。乗客の望む方向へ走る。

追記:



このニュースについて、韓国(政府)の画策と捉えるむきもあるが、野党に叩かれながらも、韓国政府(朴政権)は歴史的な合意と自画自賛していたわけで、しかもこの報告書は韓国に対するものである。韓国政府ではなく、日本や韓国のNGOの仕業と考えるのが自然だろう。

更に追記: 日本報道検証機構代表・楊井人文「『日韓合意見直し』 勧告したのは国連の委員会でも国連の機関でもない

国連委員会が合意見直しを勧告 報告書で日韓両政府に 補償や名誉回復は十分でないと指摘

国連の人権条約に基づく拷問禁止委員会は12日、慰安婦問題をめぐる日韓の合意について、被害者への補償などが不十分として、合意の見直しを勧告する報告書を発表した。

同委員会が明らかにした韓国に対する審査報告書は、慰安婦問題を巡る2015年の日韓合意に対して、「被害者への補償や名誉回復、再発防止策が十分とはいえない」と指摘、同委員会は日韓両国政府に合意見直しを勧告した。

さらに報告書は、両国政府は被害者への補償と名誉回復が行われるようにすべきだと強調した。

産経 2017.5.13[2]

2017/05/03

ロシア軍・ドイツ軍の慰安婦 (第一次大戦)

ロシア軍(第一次大戦)
ドイツ式「慰安所」の導入を計画

慰安婦問題の”プロフェッショナル”達が「第2次世界大戦下では旧日本軍とナチス・ドイツだけです」などとわざわざ限定条件をつけるのは、第二次大戦以降もフランス軍や韓国軍に「慰安所」が存在していたという事実が、彼らにとって都合が悪いからなのだろう。そのドイツにしても、第二次大戦で初めて「慰安所」や「慰安婦」が登場したわけではなく、これらは第一次大戦から存在していたのである。ただこれについても、ナチス期以外のドイツと比較されるのは都合が悪いのか、プロ達は触れようとしない。

そしてロシア軍も、ドイツのシステムに注目し「慰安所」の導入に着手していた。もしも成功していたら、1945年のベルリンの悲劇は防げたのかもしれない。「“世界のどこにでもある話”とすることで旧日本軍の犯罪行為を免罪しようとする卑劣な発言です」と、赤旗は慰安婦問題の普遍化を牽制するのであるが・・・。

軍隊(陸軍)のセックスと軍用売春宿が大戦争の勝利に貢献
Army sex and military brothels contributed to victories in major wars

第一次大戦中、ロシア陸軍に売春宿を設ける試みは三つあった。皇帝派も臨時政府もいくつかの理由で陸軍の為に野戦売春宿を設ける事を計画した。ボルシェビキも、1917年の4月に同様の計画を進めていた。ロシア陸軍の売春宿は、1915年から陸軍兵士たちにサービスを提供していたドイツ軍の野戦売春宿をお手本とするはずだった

1916年夏のブルシーロフ攻勢の後、ロシア陸軍はドイツの野戦売春宿をいくつか確保した。ロシアの新聞は、コサック兵たちが娼婦たちをとても大事に扱っていたと報じた。新聞によると、女性たちはロシア軍が更に西方に移動する間、かなり長い期間コサック兵たちと一緒にいた。当時ブルシーロフ将軍の部隊はよくやっていたので、司令部は兵士たちが酒色に耽ることについて大抵見て見ぬ振りをした。戦争はやがて長期の塹壕戦に突入した。その結果、ロシア陸軍の前線部隊の近くに売春宿が建つようになった


ロシア臨時政府は、軍用売春宿の合法化を計画した。1917年の3月、「勝利まで戦う」の熱心な賛同者だった当時の外務大臣パーヴェル・ミリュコーフが、敵の経験を利用してロシア陸軍に野戦売春宿を設ける事を提案した。ミリュコーフは、辞職を申し出るほんの数日前にこの提案を思いついた。ミリュコーフによれば、野戦売春宿は兵士たちの士気を高めるはずだった。そして、兵士たちの臨時政府に対する敵対的な態度を変える為に計画されたものでもあった。

ミリュコーフの提案は公的な支持を得ることは出来ず、臨時政府は次の機会にと先送りした。しかしペトログラード・ソビエト実行委員会(?)の委員たちは、明かにこの提案に注目していた。1917年の4月、ペトログラード・ソビエトは、ロシア陸軍に野戦売春宿を設けるべく指令第三号を発令した。ペトログラード・ソビエトは、頻発する軍人による地域住民に対する乱暴な犯罪を減らす助けになると期待した。またしても(?)計画はドイツの経験を活用するものであった。しかし、結局計画は実行されなかった。ロシアで内戦が始まり、世界革命がそれに続いた。世界革命の勃発によっても、ドイツの軍用売春宿は1945年まで将兵に対するサービスの提供は止めなかった。

ドイツ軍当局は、武器や糧食の配給について規則に厳格なまでに固守する事で知られていた。兵士の性生活に関するドイツ軍当局からの命令も同様に四角四面だった。陸軍当局は、兵士たちの士気を維持する為には、常識の範囲で売春婦との接触を認めねばならないという事を明白に認識していた。その為に、ドイツ軍の占領地に将兵の為の軍用売春宿を確実に設置するべく手段が講じられた。5人から20人の「戦場の花」で構成された野戦売春宿が陸軍に従った。軍用売春婦の生活は気楽なものとはとても言えなかった。規則によれば、娼婦は、月に最大600人の兵士の相手をしなければならなかった。さもなければ、給料や報酬を取り上げられた。

妓楼には三種類あった。最上級は将校や士官用、その下の下士官用、三番目は一般兵士用。規則によれば、兵士100人に一人、下士官75人に一人と将校・士官50人に一人の娼婦が配給されることになっていた。しかしながら、軍当局はすぐに、肉欲に駆られた軍人たちの要求に応じられるだけの愛国心に満ちたドイツ人娼婦を売春宿に供給するのはますます難しくなる事に気づいた。しかも、仕事の過酷さから娼婦は長く耐えられなかった。

結果として、軍当局はドイツ軍占領地の女性を雇わざるを得なくなった。占領地の慢性的な悲惨な状況に、ほとんどの女性は自発的に仕事についた。彼女たちが敵に体を売る最大の動機は金と配給品だった。ドイツの将校は最初、占領地の女性といかなるものであれ、親密な関係を持つことを厳しく禁じられていた。ほどなく士官たちは、軍の売春宿のドイツの夜の女に飽きがくるようになった。必然的に、高級将校たちは、ドイツ軍士官と地元女性の無数の交流について目を瞑るほかなかった。将校の中には子供を設けた者さえいた。

ドイツ軍司令部は、もともとは、軍の中の性病の広がりを抑えるために軍用売春宿を設けた。予防手段を徹底するには、陸軍の衛生担当者の管理下にある軍施設が最善と思われた。ドイツ軍には、占領地の娼婦から移される性病の蔓延を抑える為に手段を講じる相応の理由があった。例えば、性病に罹患したドイツの兵士は、ハンガリーでだけでも、一か月の全ドイツ軍の戦闘における死傷者より多かった。軍の娼婦を利用したいと思う兵士は、毎回厳しい衛生基準に従わねばならなかった。

一次大戦中に慰安所を導入した独軍
慰安所は1945年(二次大戦)まで存在した

規則は軍当局からおもいっきりドイツ風の厳めしさで下達された。概して、軍の売春宿の利用は、兵士たちにとって酒色に耽るどころではなかった。入場カードを手にする前に、兵士たちは全員必須の健康診断を受けねばならなかった。通常の情報、例えば割り当て時間と売春宿の番号を記入する以外に、カードには終了後に売春婦のサインと登録番号を書くスペースがあった。兵士は衛生官よりコンドーム3つと消毒パウダーの缶を支給され、シャワー室に案内される。兵士は性交の前に、最初に自分の性器、次に売春婦の性器に消毒薬をふりかけるよう言われる。出る時に、兵士は自分のカードと消毒薬の空き缶を担当の曹長に見せねばならなかった。それどころか、兵士たちは、売春宿で性交渉を避ける事を許されなかった。セックスしなかったり、売春宿へ行くことを拒否するのも懲罰ものとみなされかねなかった。一般兵士は月に6回売春宿に行く権利が与えられていた。

1915年、ドイツ軍は、東部戦線の複数の防御区域に宣伝ビラを撒くのに飛行機を使った。ビラには、スラブ系の少女たちが派手な服を来た若い男たちを抱きしめていた。「イワン。君の恋人は、君が戦争をしている間に他の男とお楽しみだぞ!」とキャプションがついていた。

イギリス軍は、第二次大戦中のドイツの売春宿システムに付け込んだ。多くのドイツ兵が、イギリスのスパイが持ち込んだ汚染されたコンドームによって軍の売春宿で病気をもらい、病院で疥癬の治療を受けた。

戦後日本で慰安婦の提供を受けた米軍
ソ連でもサービスを受けていた?(ムルマンスク港)

未確認の情報によると、第二次大戦中、ソ連軍の諜報機関がムルマンスク港に西側の水兵用に売春宿を造った。ムルマンスクは、戦時中赤軍に武器や糧食を運ぶ米英の護送船団に大いに利用されていた。国営の売春宿は、諜報機関の士官により選抜された若く魅力的な女性で一杯だった。1945年に戦争が終わって直ぐに、当局はもっとも恐ろしい方法で女性たちを処分した。噂によれば、300人の女性ははしけに乗船することを命じられ、はしけは海に引き出され沈められたと言う。

プラウダ 2007.2.4  [原文]


2017/04/11

少女像世代の登場


生まれた時には慰安婦騒動が始まっていて、学校でも低学年から正しく”教育”される。となれば、当然こういう世代が生まれる。「少女像」も一役買っているらしいとハンギョレ紙は報じている。下村満子が「200年戦争をするんだ」と聞かされたように、韓国の運動体が狙うのは世代を超えた慰安婦騒動。その為に子供たちの”教育”に力を入れて来た。その努力が実を結んだということだろう。韓国の教科書については読売新聞の取材班がこの様に←レポートしたことがある。

日本でも中学生の教科書に慰安婦問題を記述させようと運動している人々がいる。日本にも「少女像世代」をと夢見ているのだろう。もっとも、こっちの方はあまり上手く行っていないようで、水曜デモに顔を出す日本人は高齢者が多いようである。

追記:オーマイニュース(4.11)より、「20代30代(2030世代)は、少女像世代と呼ばれる」。

「慰安婦」の痛みに共感する10~20代…「少女像世代」の誕生

・・・「慰安婦」被害者のおばあさんたちと関連する所に「1020世代(10~20代)」が多く集まっている。毎週開かれる慰安婦問題解決のための水曜集会は制服を着た中高生たちが主な参加者だ。全国各地で起こった少女像のパトロール活動の中心にも1020世代たちがいる。

慰安婦問題に対する1020世代の高い関心の理由は何だろうか。まず、学校で「慰安婦」の悲しい歴史を習った上に、「12・28慰安婦合意」など社会的議論を経験した世代共通の経験があると分析されている。1020世代は学校で「慰安婦」についてちゃんと習った最初の世代だ。「慰安婦」問題は1996年に中・高校の歴史教科書に初めて収録されたが、僅か一行の言及に過ぎず、本格的に教科書で触れられたのは2002年からだ。

慰安婦被害者の痛みを象徴する実体的なアイコンとして「平和の少女像」が社会的関心の対象に浮上したことも起爆剤になったという見方が多い。実際「12・28合意」当時、日本が「平和の少女像」移転を要求した事実が伝えられると、二日後の12月30日から旧駐韓日本大使館前の少女像のそばで「少女像守護のための野宿座り込み」が始まった。460日以上続いているこの野宿座り込み現場では、座り込みに参加している20代の大学生たちと、彼らを訪れ激励を送る中高生と容易に会うことができる。野宿行動を率いる「日本軍慰安婦謝罪賠償と売国的な韓日合意の廃棄のための大学生共同行動」のチェ・ヘリョン代表(22)は「若い人たちであるほど、水曜集会などでおばあさんや少女像を見てたくさん泣いていく」と話した。同年代の姿の少女像に接し、1020世代が被害者の痛みにさらに深く共感しているということだ。慰安婦の苦しみを自分の問題として受けとめる「少女像世代」の誕生である。(以下略)

ハンギョレ日本語版(一部) 2017.4.6[全文]

2017/04/08

慰安婦(イ・スンドク)の棺に群がる大統領候補

ハルモニに代わって日本政府に謝罪させる?
ムン・ジェイン

韓国人慰安婦がまた一人亡くなり、さっそく大統領候補たちがその死に群がった。有力候補のムン・ジェインが”ハルモニ”に代わって日本政府に謝罪させると宣言すれば、自由韓国党のホン・ジュンピョ候補は遺体安置所に足を運ぶ点数稼ぎ、本人は現れなかったが、ムン・ジェインに次ぐ有力候補アン・チョルスの妻も登場。政府だって放って置けないから役人をやって芳名帳に外務大臣の名を代筆させたはいいが、これが逆に批判を呼んだ。大人がこうだから、高校生や大学生も”反日アイコン”の棺の前に長蛇の列を作っている。

棺の前に若者が長蛇の列を作った

アン候補の妻も遺体安置所に登場

韓国大統領選の候補者は全員日韓合意の見直しを放言して世論に阿っている。泡沫候補はともかく、ムン・ジェインなどは当選したとして現実とどう折り合いをつけるつもりなのか。合意については日本に再交渉を持ちかけるポーズだけ取り、責任を日本政府に転嫁した上で、”少女像”の撤去要求をはねつける事で実績とするつもりか?

追記:保守系の「正しい政党」は、長嶺駐韓大使が帰任して日韓合意の履行を要請した事について厚顔無恥と非難した。その前に慰安婦の冥福を祈るのが最低限のマナーだと。

[平行線歩く韓国・日本]大統領選候補5人全員「慰安婦合意破棄」

・ムン・ジェイン「謝罪受ける」…アン・チョルス「再交渉しなければならない」

大統領選候補5人が一斉に韓日政府間の日本軍慰安婦問題合意の破棄と再協議を要求している。誰が大統領になっても、次期政権で慰安婦合意問題が韓日外交の争点になることが確実視される。

共に民主党のムン・ジェイン候補は4日、慰安婦被害者イ・スンドクお婆さん死去の知らせが伝えられるとすぐにフェイスブックにコメントを掲載「ハルモニに代わってついに日本政府から謝罪を受ける。 間違った交渉も必ず正す」と明かした。 「屈辱的な韓日日本軍慰安婦合意に対抗し、損害賠償訴訟を提起したハルモニに本当に申し訳ない」ともした。

ムン候補側の保坂祐二世宗大教授は慰安婦動員への日本軍の関与を認めた1993年「河野談話」を日本も撤回した(ひっくり返した)だけに再協議は可能だと明らかにしている。

自由韓国党のホン・ジュンピョ候補もこの日、ソウル延世大セブランス病院に整えられたイ・ハルモニの葬儀室を訪れ「韓日慰安婦合意は破棄が可能だ」と明らかにした。

国民の党のアン・チョルス候補も先月18日党大統領候補合同討論会で「当事者が生きている。 その方々と疎通してこの問題を再交渉しなければならない」と語った。 アン候補は慰安婦問題合意一周年である昨年12月28日フェイスブックにコメントを載せ「独断的な大統領と政府の外交惨事」と破棄(廃棄)を主張した。 正しい政党ユの・スンミン候補は先月2日の最高委員会議で「(再協議要求が受け入れられなければ)合意を破棄する」とした。

正義党シム・サンジョン候補は先月1日駐韓日本大使館の前の水曜デモに参加し、合意破棄と交渉過程に対する国政調査まで促した。

京郷 2017.4.4 [原文]

外務大臣の署名は代筆と判明

ユン・ビョンセ外交部長官、亡くなった「慰安婦」被害者の“代理弔問”が物議

・・・ユン長官はこの日、イ・スンドクさんの葬儀室には来なかった。チョン・ビョンウォン外交部東北アジア局長とまた別の外交部関係者だけが弔問した。チョン局長がユン長官名の香典を出しながら、芳名録にユン長官の名前を記入したということだ。外交部関係者は5日、ハンギョレとの通話で「慰安婦被害者が亡くなれば、外交部は今までも東北アジア局長が弔問に行ったし、長官名義の香典を出した」として「長官名で香典を出したので名前を書いた。他意があったわけではない」と話した。韓日慰安婦合意を主導したユン長官が、葬儀室を訪ねていなかった事実がソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を通じて知らされ、ネチズンは「慰安婦被害者の葬儀にも来ない外交部長官」などの批判が噴出した。

ハンギョレ日本語版(一部)2017.4.5[全文]

正しい政党「長嶺日本大使要求、実に厚顔無恥」
「慰安婦被害者イ・スンドクお婆さんの冥福を先に祈る(?)のが礼儀」

正しい政党は5日、長嶺安政駐韓日本大使の慰安婦合意要求に関連して「実に厚顔無恥な行動」だと叱責した。・・・オ・シヌァン正しい政党スポークスマンはこの日コメントし、「慰安婦被害者イ・スンドクお婆さんが亡くなった日長嶺安政駐韓日本大使が帰任して韓日慰安婦合意を我が政府に強く要求した」としてこう明かした。同時に「日本政府は何よりイ・スンドクお婆さんの冥福を祈るのが最低限の礼儀」と指摘した。

マネートゥデイ(一部)2017.4.5 [全文]