2011/03/18

日本政府は伝統的に嘘つきである NYTマガジン寄稿者



歴史問題に取り組んでいる人、慰安婦問題に取り組んでいる人の多くがそんな積りでないのは理解している。事実に基づく批判は健全である。しかし、事実を曲げたり誇張して反政府運動に利用して来た人、特に外国の関心を買う為に意図的に間違った情報を発信し続けて来た人たちの罪は重い。

政府や東電の不手際が海外の不信を買っている。これも仕方がないこと。しかし、外国人の中には、日本はもともと情報を隠すことで知られ信用できないという先入観に囚われている人もいる。こういう日本に対する偏見を育てて来たのが一部の「反日」日本人と呼ばれる人たちである。

ニューヨーク・タイムズ・マガジンにも寄稿しているという、このRussell Shortoは、「日本の公的否定の長い歴史」と題する文章の中で、南京事件や慰安婦問題を例に上げて説明している。彼によると、日本政府は1990年代まで長く軍が慰安所を運営していたことを否定していたという。

これは事実だろうか?そもそも1990年代までは誰も、少なくとも政府に対しては、そのような事実を追及しなかっただろうし、政府は否定していない。その後も、日本政府は慰安所の存在を否定した事はない。運営はともかく、軍が慰安所の設置に無関係だとは言っていないのである。

しかし、そのようなデマを広めたのは、韓国の市民団体もそうだが、一部の日本の学者や運動家だった。南京事件も同様。Shortoは日本政府は南京事件を否定する正式な政策(official policy)があったと主張している。これが誰かの入れ知恵なのか、彼の勝手な勘違いなのかは分からない。

核兵器の持ち込みについては、当たらずとも遠からずかもしれない。しかし、「日本政府はウソをつく長い伝統がある」という思い込みが、今回の事件でも日本に対する 報道の先入観になっているとすれば、「良心的日本人」のやって来たことは、明らかに日本国民全体に不利益をもたらしていると言ってもいい。となれば、彼らのやっている事は反日活動だと言われても仕方がない。

Shortoは、原発事故の情報公開を巡る今回の問題も、歴史的文脈(historical context)な中で考えないといけないとアドバイスしている。それは日本国民だけでなく、世界中の人々がその文脈の中で考えるべきだと訴えているのである。・・・砕いて言うと、日本政府は歴史的に見て嘘つきだと言ってるわけだ。

The Long History of Official Japanese Denial

The Japanese government has a long history of denial. There was an official policy of denying Japan’s 1937 massacre in the Chinese city of Nanking, in which hundreds of thousands of civilians were slaughtered and tens of thousands of women were raped by Japanese soldiers.

For decades the Japanese government denied that its military ran brothels–staffed by “comfort women” from around Asia–especially during World War II. This was despite overwhelming evidence that hundreds of thousands of women were forced into prostitution. Only in the 1990s did the government begin to change its line.

The Japanese government similarly denied for decades that it had an agreement with the U.S. military whereby American nuclear vessels could use Japanese harbors, and held to its denial even after American documents detailing the agreement were declassified.

The lack of information coming from Japanese official sources in the unfolding nuclear catastrophe has to be put in historical context, for the sake not only of the Japanese people but those in other parts of the world who may be at risk.