2011/07/31

「水曜デモの本」日本語版出版へ 「代替教科書の役割を期待」


写真は韓国語版。大阪の集会については、毎日新聞が報じている

毎日新聞には日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワークの西村寿美の話として、「社会がいまだに解決できていないことを集会で知ってほしい」と紹介されているが、資料代として一人1000円を徴集するこのイベントは、「慰安婦博物館」の建設費の不足分6500万円に悩む挺対協を支援する意味合いが強いのではないか?


挺身隊対策協、「20年間の水曜日」日本語版出版

31日に大阪で出版記念会の後、来月発売

日本大使館の前で20年間進行された慰安婦ハルモニたちの需要デモと「慰安婦」の本質的問題などを扱った青少年図書「20年間の水曜日」が日本語版で出版される。

韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)は今月の31日、日本の大阪歴史博物館で「20年間の水曜日」出版記念会を開いた後、来月14日に日本東方出版社を通じて正式発売すると29日明らかにした。

出版記念会では著者のユン・ミヒャン挺身隊対策協常任代表の講演とパネル討論、厄払い公演などが進行されて日本軍慰安婦被害者であることを最初に証言した故キム・ハクスンおばあさんと関連した映像も上映される。

出版日の8月14日はキム・ハルモニの最初の公開証言日でもある。

挺身隊対策協創立20周年を記念して昨年出版された「20年間の水曜日」は需要デモの歴史を紹介して慰安婦問題の争点と現況、女性に対する展示性暴行問題などを几帳面についた。

図書販売収益金は挺身隊対策協が麻浦区城山洞に建設する「戦争と女性人権博物館」新築基金として使われる。

挺対協関係者は、「この本が、日本若者たちに慰安婦問題の真実を知らせる『代替(?)教科書』になることが期待される」と話す。


정대협, `20년간의 수요일' 일어판 출간


김효정 기자 = 일본대사관 앞에서 20년간 진행된 위안부 할머니들의 수요 시위와 `위안부'의 본질적 문제 등을 다룬 청소년 도서 `20년간의 수요일'이 일어판으로 출간된다.


한국정신대문제대책협의회(정대협)는 이달 31일 일본 오사카 역사박물관에서 `20년간의 수요일' 출판기념회를 연 뒤 다음 달 14일 일본 동방출판사를 통해 정식 발매한다고 29일 밝혔다.


출판기념회에서는 저자인 윤미향 정대협 상임대표의 강연과 패널 토론, 살풀이 공연 등이 진행되고 일본군 위안부 피해자임을 최초로 증언한 고(故) 김학순 할머니와 관련한 영상도 상영된다.




출간일인 8월 14일은 김 할머니의 최초 공개 증언일이기도 하다.


정대협 창립 20주년을 기념해 지난해 출간된 `20년간의 수요일'은 수요 시위의 역사를 소개하고 위안부 문제의 쟁점과 현황, 여성에 대한 전시 성폭력 문제 등을 꼼꼼하게 짚었다.


도서 판매 수익금은 정대협이 마포구 성산동에 건립하는 `전쟁과 여성인권 박물관' 신축 기금으로 쓰인다.


정대협 관계자는 "이 책은 일본 젊은이들에게 위안부 문제의 진실을 알리는 `대안 교과서'가 될 것으로 기대된다"고 말했다.

謝罪なくして韓国人は和解できない[カナダ人]




水曜デモに参加する学生や若者たちに写真家は心を打たれたようだ。

5万から20万のアジアの女性が日本軍によって「強制された」。女性は主に朝鮮人であり、日常的に日本兵によって強姦される他にも肉体的に虐待され、逃げようとした場合、しばしば殺された。加害者からの真摯な謝罪がなければ、韓国の人々は和解を受け入れられないだろうと記事は結んでいる。

f11projectの主催者(?)Louis Auはトロント在住らしいから、トロント・アルファから何らかの影響を受けているのかもしれない。彼はマカオ・香港で育ちカナダに移民している。ただし、このプロジェクトは日本に焦点を当てた物でもないし、安易に反日というレッテル貼りはすべきではない。慰安婦問題に対するこういった認識は世界ではごく普通なのだから。

(追記: この頁に使われている画像ファイルの拡張子を見たらau_alpha_tour_2011_01319 (1) となっていた。やはりトロント・アルファ絡みであった。アルファは慰安所や南京大虐殺を巡るツアーを開催して、カナダでの啓蒙活動に努めている。今後もカナダでの慰安婦問題のイメージはこの団体が作っていくのかもしれない)

The survivors of Japanese military sexual slavery from WWWII have been demonstrating in front of the Japanese Embassy in downtown Seoul since January 8th, 1992. It is the world’s longest ongoing demonstration.

The halmoni or grandmas as they are called in Korea, have been doing this for 19 years every Wednesday morning. They and the supporters have been demanding the Japanese government to acknowledge and apologize for this war time act. So far, the Japanese government has been reluctant to do so. Due to the advance age of these grandmas, they might not be able to see the justice that they deserve.

Around 50,000 to 200,000 women from Asia had been forced or coerced by the Japanese Imperial Army during the war time. Most of the women came from Korea. Besides being raped daily by the Japanese soldiers in these comfort stations, these women were subjected to constant physical abuse and often killed if they tried to escape.

Unfortunately, due to the heavy rain and flooding in Seoul, the grandmas were not able to attend this week’s demonstration. In their place were these young students and activists who showed tremendous support for this thorny issue between the two countries. Without acknowledgment and sincere apology from the victimizer, the Korean people don’t believe that reconciliation can be achieved.

F11PROJECT 2011.7.30


若者のシャツの背中にはHaetdam学生運動部のロゴ

慰安婦博物館12月10日開館 [なお6500万円不足]


慰安婦博物館のニュースは先月も取り上げたが、その時は日本大使館前に計画されている「慰安婦の碑」の方に注目していて、挺対協が独立記念公園内を諦めて別の場所に博物館の建設予定地を決定していたことを見落としていた。結局、右翼団体(韓国)の抵抗を突破できなかったという事らしい。

調べてみると、当初予定していた新館の建設も諦め、既存の建物を改築することにしたらしい。しかもどうやら住宅用の物件。当初の企画をスケールダウンしたにも関わらず、まだ9億ウォン(6500万円)足りないというので、盛んに寄付を募っている。


当初建設が予定されていた建物

住宅用の物件?の改装に変更


博物館の正式名称は「戦争と女性の人権博物館」であるが、ハンギョレの英字版でも‘comfort women’ museumとなっているので、「慰安婦博物館」と呼んで差し支えないだろう。

こういった企画があると必ず「ハルモニ(慰安婦)の呼びかけで」などと発表されるが、実際の発案者はユン・ミヒャンら、支援団体とみられる。開館日は12月10日に決まったようだ。独立公園内にこだわるより、元慰安婦の高齢化の方が心配なのだろう。寄付も慰安婦がいてこそだろうし、その寄付もまだ十分ではない様子。挺対協によれば、政府やソウル市からは資金の補助は受けていないというから、ポスト・ハルモニ時代をどう乗り越えるかが思案のしどころといったところか。

8年目に迫った(?)「慰安婦博物館」성미(Seongmi)山に建設

光復会など「烈士の名誉毀損」独立公園内建設反対挺身隊対策協「一刻を争い」敷地変更…募金運動出て


政府とソウル市、独立運動有功者団体の外面の中に8年を引っ張った「戦争と女性人権博物館」が新しく敷地を定めて建設基金用意のための募金に出た。 博物館は慰安婦ハルモニたちの苦痛と戦争の痛みを再確認して平和と人権を習う「平和人権国際センター」で運営される予定だ。

韓国挺身隊問題対策協議会(挺身隊対策協)は21日午前ソウル、麻浦区、城山洞の博物館新しい敷地で記者会見を行って、博物館建設に着手すると明らかにした。 博物館建設議論は慰安婦おばあさんが80才を越えて一つ二つ亡くなった去る2003年始まった。 「私たちの真実を見て習って再び戦争と暴力ない世の中を作ってくれ」という慰安婦ハルモニたちの呼び掛けが契機になった。 慰安婦ハルモニは政府から受けた生活補助金100~200万ウォンずつを博物館建設のために出し、意ある市民らの寄付で現在まで17億ウォンを集めた。 2006年にはソウル市が西大門独立公園の中売店建物敷地に博物館を作れるように許可し、2008年には最終事業かも受けた。

しかし2008年11月光復会愛国烈士遺族会が「殉国烈士が祭っている独立公園中に慰安婦博物館を作るのは殉国烈士に対する名誉毀損であり、日帝によって受難だけ当てられた民族という歪曲された歴史意識を植えつけてくれることになる」として反対し始め、博物館建設が難関に突き当たった。 ソウル市は売店建物に対する滅失かを今日明日と延ばし、その間に11人の慰安婦ハルモニが亡くなった。 結局挺身隊対策協は一刻もはやく博物館を作るためにソウル市内あちこちを物色して結局성미山の裾の城山洞に敷地を定めることとなった。

ユン・ミヒャン博物館建設委員会共同常任委員長(挺身隊対策協常任代表)は「世界人権宣言記念日の来る12月10日に開館する予定」としながら「博物館は展示・教育を越えて日本慰安婦問題と戦時性暴行解決のための連帯運動の職人なるだろう”と明らかにした。 慰安婦被害者のキム・ボクトン(86)おばあさんも“(博物館が)国ない世の中と戦争を体験してみることができない人々の勉強部屋になるだろう”と期待した。 キムおばあさんは“日本がまだ誤りを悔いないでいるだけに慰安婦問題解決のために政府が先に出なければならない”として慰安婦問題の早急な解決も促した。

博物館建設委員会側は“前に建物リモデリングと運営費のために9億ウォンがさらに必要だ”として“1万である建設委員を集めて基金を集める予定”と明らかにした。 建設委員加入は挺身隊対策協(02-365-4016,www.womenandwar.net)を通じてすることができる。

ハンギョレ 2011.7.21


New site selected for ‘comfort women’ museum

Families of independence activists long opposed approval for the museum in Seodaemun Independence Park

A new location has been set for the War and Women’s Human Rights Museum, with efforts launched to raise money for a construction fund.

At a press conference Thursday morning at the new museum site in the Seongsan neighborhood of Seoul’s Mapo District, the Korean Council for the Women Drafted for Military Sexual Slavery by Japan (Korean Council) announced that it was beginning work on building the museum. Discussions on building the museum began in 2003 as women who had been drafted as “comfort women” in the past entered their eighties and began to pass away one by one. The women had been coerced to serve as sex slaves for the Japanese military during World War II. The starting point was an appeal by former comfort women asking to “help create a world without any more war or violence as people see and learn from the truth about us.”

The women each donated one to two million won ($951 to $1,901) from the livelihood subsidies they received from the government, and a total of 1.7 billion won has been raised to date through contributions from supporters. In 2006, the city of Seoul granted permission to build the museum on the site of a store building in Seodaemun Independence Park, with final project approval granted in 2008.

But the construction ran into a hurdle in November 2008 when the Association for Surviving Family Members of Martyrs for the Country and Korea Liberation Association announced their opposition. The argument was that it would defame patriotic martyrs to have the comfort women’s museum built within Independence Park where they are enshrined, and that it might instill the “distorted historical perception of a race that merely experienced suffering at the hands of the Japanese empire.”

The city continued to put off its approval for the store building demolition, during which time 11 former comfort women died. Finally, the Korean Council decided to search throughout central Seoul to locate a site and hasten the building process, before finally selecting the Seongsan site at the foot of Mt. Seongmi.

Korean Council Secretary General Yun Mi-hyang said plans were under way to open the museum on December 10, Universal Declaration of Human Rights Day.


“Beyond its exhibition and education functions, the museum will be a setting for a collective campaign to resolve the issues of comfort women in Japan and wartime sexual violence,” Yun added.

The museum’s construction committee said it would require 900 million won for future remodeling and operating expenses.

“We plan to raise the money through the collective efforts of the ten thousand construction committee members,” it said. (Web site: www.womenandwar.net)

ハンギョレ 2011.7.21

8년째 막힌 ‘위안부 박물관’ 성미산에 짓는다


광복회 등 “선열 명예훼손” 독립공원내 건설 반대
정대협 “한시가 급해” 부지변경…모금운동 나서


정부와 서울시, 독립운동 유공자단체의 외면 속에 8년을 끌었던 ‘전쟁과 여성인권 박물관’이 새롭게 터를 잡고 건립기금 마련을 위한 모금에 나섰다. 박물관은 위안부 할머니들의 고통과 전쟁의 아픔을 되새겨 평화와 인권을 배우는 ‘평화인권국제센터’로 운영될 예정이다.
한국정신대문제대책협의회(정대협)는 21일 오전 서울 마포구 성산동의 박물관 새 부지에서 기자회견을 열고, 박물관 건립에 착수한다고 밝혔다. 박물관 건립 논의는 위안부 할머니들이 80살을 넘어 하나둘씩 세상을 뜨던 지난 2003년 시작됐다. “우리의 진실을 보고 배워서 다시는 전쟁과 폭력없는 세상을 만들어 달라”는 위안부 할머니들의 호소가 계기가 됐다. 위안부 할머니들은 정부로부터 받은 생활보조금 100~200만원씩을 박물관 건립을 위해 내놓았고, 뜻있는 시민들의 성금으로 현재까지 17억원을 모았다. 2006년에는 서울시가 서대문 독립공원 안 매점건물 부지에 박물관을 지을 수 있도록 허가했고, 2008년에는 최종 사업인가도 받았다.


그러나 2008년 11월 광복회와 애국선열유족회가 “순국선열들이 모셔져 있는 독립공원 안에 위안부 박물관을 짓는 것은 순국선열에 대한 명예훼손이고, 일제에 의해 수난만 당한 민족이라는 왜곡된 역사의식을 심어 줄 수 있다”며 반대하고 나서 박물관 건립이 난관에 부딪쳤다. 서울시는 매점건물에 대한 멸실인가를 차일피일 미뤘고, 그 사이에 11명의 위안부 할머니들이 숨졌다. 결국 정대협은 한시라도 빨리 박물관을 짓기 위해 서울 시내 곳곳을 물색하다 결국 성미산 자락인 성산동에 터를 잡게 됐다.


윤미향 박물관 건립위원회 공동상임위원장(정대협 상임대표)은 “세계인권선언기념일인 오는 12월10일에 개관할 예정”이라며 “박물관은 전시·교육을 넘어 일본 위안부 문제와 전시 성폭력 해결을 위한 연대운동의 장이 될 것”이라고 밝혔다. 위안부 피해자인 김복동(86) 할머니도 “(박물관이) 나라 없는 세상과 전쟁을 겪어보지 못한 사람들의 공부방이 될 것”이라고 기대했다. 김 할머니는 “일본이 아직도 잘못을 뉘우치지 않고 있는 만큼 위안부 문제 해결을 위해 정부가 먼저 나서야 한다”며 위안부 문제의 조속한 해결도 촉구했다.


박물관 건립위원회 쪽은 “앞으로 건물 리모델링과 운영비를 위해 9억원이 더 필요하다”며 “1만인 건립위원을 모아 기금을 모을 예정”이라고 밝혔다. 건립위원 가입은 정대협(02-365-4016, www.womenandwar.net)을 통해 할 수 있다. 박태우 기자 ehot@hani.co.kr

紙芝居の中の慰安婦 [2007/公教育]



埼玉の公立中学で実際に使われた紙芝居。朝鮮の民族衣装を来た女性を警察官が連行して行く様子と思われる。いわゆる「強制連行」。2007年になっても、一部にしろ、このような教育を行う教師がいた。

...特別展が始まった2日、「私にとっての『慰安婦』問題」と題するオープニングイベントが資料館隣の日本キリスト教会館で行われ、日本の市民、学生ら100余人が参加した。

イベントでは、「慰安婦」問題に意欲的に取り組む若い世代と、これまで「慰安婦」問題を教育現場で教えてきた元教師がパネルディスカッションを行った。

まず、埼玉県の公立中学校で教鞭をとっていた高橋美智子さんが、中1地理の授業で「慰安婦」問題を取り上げた経験について語った。高橋さんは授業で実際に用いた紙芝居「スボクさんの決心」(平和紙芝居「私たちの声を聞いて」第5巻、汐文社、1994年初版)を読み上げ、当時授業を受けた生徒たちから日本が戦争の加害者であったことや戦争の責任などについて初めてわかったなどの反響があったと紹介した...

朝鮮新報 2007.6.13

2日から「中学生のための『慰安婦』展」


「私たちにも責任がある」 「社会全体で被害者と向き合おう」


現在、ほとんどの日本の中学校の教科書から「慰安婦」という記述が消え、生徒たちがこの問題を知り、学ぶ機会が失われている。1997年に発足した日本の植民地支配を美化し、正当化する「新しい歴史教科書をつくる会」が中心となって、「慰安婦」などの日本の戦争加害と関連する記述を「自虐史観」「偏向」と攻撃し教科書から削除を求める運動を展開した結果だ。日本政府も中学校歴史教科書出版社に圧力を加えるなどし、2005年4月に文部科学省が発表した来春から使われる中学校用教科書の検定結果、中学校歴史教科書(8社すべて)から「慰安婦」の記述が消えることが明らかになった。こうした動きに歯止めをかけ、歴史の事実を知らせようと、「本当のことが知りたい」と思っている中学生から戦争体験者の世代まですべての人を対象に、「中学生のための『慰安婦』展」が2日、戦時性暴力の被害と加害の資料を集めた日本初の資料館、アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(WAM、東京都新宿区)で始まった。


20代青年らがパネルディスカッション




特別展は来年5月まで行われる


特別展の主な展示内容は、▼日本軍「慰安婦」制度とその仕組み▼「慰安所」での生活とその実態▼日本政府の対応と世界の動き▼「慰安所」マップ▼教科書記述の変遷―などで、写真パネルや証言集、当時の資料などが展示されている。


特別展が始まった2日、「私にとっての『慰安婦』問題」と題するオープニングイベントが資料館隣の日本キリスト教会館で行われ、日本の市民、学生ら100余人が参加した。


イベントでは、「慰安婦」問題に意欲的に取り組む若い世代と、これまで「慰安婦」問題を教育現場で教えてきた元教師がパネルディスカッションを行った。


まず、埼玉県の公立中学校で教鞭をとっていた高橋美智子さんが、中1地理の授業で「慰安婦」問題を取り上げた経験について語った。高橋さんは授業で実際に用いた紙芝居「スボクさんの決心」(平和紙芝居「私たちの声を聞いて」第5巻、汐文社、1994年初版)を読み上げ、当時授業を受けた生徒たちから日本が戦争の加害者であったことや戦争の責任などについて初めてわかったなどの反響があったと紹介した。




授業で用いた紙芝居を披露した元教師の高橋さん
旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・京都実行委員会で活動する村上麻衣さんは、同委員会で活動した3年間を振り返り、南朝鮮やフィリピン、台湾の被害者らと交流する過程で、この問題を理解するためには「人間の尊厳」とどう向き合っていくのか、向き合うことができるのかどうかにかかっていることを切実に感じたと指摘した。そして、「慰安婦」被害者の証言を実際に聞ける最後の世代である自分たちが次の世代にどのように伝えていくのか、何ができるのかを若い世代同士で考えていきたいと話した。


中国・海南島で起きた戦時性暴力被害事件の裁判支援をしているハイナンNETで活動を繰り広げている高橋堅太郎さんは、大学のゼミで旧日本軍による強制連行に関する裁判を傍聴したことが「慰安婦」問題を深刻に考えるきっかけになったと述べ、被害者らが戦後60年以上も放置されてきたことについて怒りを覚えるとしながら、「私たちも戦後責任を負っている。日本社会全体が被害者に向き合っていくことが重要だ。自分たちが動いていくしかない」と訴えた。


「被害者が生存しているにもかかわらず、教科書から加害の記述を削除した現在の日本の状況が許せない」と話したのは、神戸女学院大学4回生の小谷直子さん。小谷さんは、大学のゼミで「慰安婦」問題を学んだ。南朝鮮を訪れ、被害者らと交流し感じたことなどを地元の高校や中学の教職員、生徒らの前で講演したところ大きな反響を得た。「加害の事実に反省もせず、変わらない政府を作っているのは私たち国民。私たちが変わらなければ、政府も変わらない」と語った。


つづいて質疑応答が行われた。


東京都の公立中学校で社会科を教える男性教師は、「学校で『慰安婦』問題を取り上げるのは難しく、これまでちゃんと教えたことがない。今日の話を参考にじっくりやっていきたい」と話した。


小谷さんの指導教授である神戸女学院大学の石川康宏教授は、「発言を聞いていて、日本にも明るい未来の種がたくさんあると感じた。『若い人の無関心』は大人が正しく働きかけていないから。われわれの政治的教養の低さがこのような社会を作っている」と指摘した。


パネルディスカッションの司会を務めたWAMスタッフの鈴木さわ子さんは、「話をすればすぐに伝わる人としか出会えていないのが現状。そうではない人たちに伝えていく『言葉探し』をしていかなければならない」と締めくくった。


「中学生のための『慰安婦』展」は来年5月25日まで行われる。(呉陽希記者)

神戸女学院大学生の感想



神戸女学院大学や石川教授については、今後も取り上げる機会があると思う。

被害者が生存しているにもかかわらず、教科書から加害の記述を削除した現在の日本の状況が許せない」と話したのは、神戸女学院大学4回生の小谷直子さん。小谷さんは、大学のゼミで「慰安婦」問題を学んだ。南朝鮮を訪れ、被害者らと交流し感じたことなどを地元の高校や中学の教職員、生徒らの前で講演したところ大きな反響を得た。「加害の事実に反省もせず、変わらない政府を作っているのは私たち国民。私たちが変わらなければ、政府も変わらない」と語った...

小谷さんの指導教授である神戸女学院大学の石川康宏教授は、「発言を聞いていて、日本にも明るい未来の種がたくさんあると感じた。『若い人の無関心』は大人が正しく働きかけていないから。われわれの政治的教養の低さがこのような社会を作っている」と指摘した...
朝鮮新報 2007.6.13

2011/07/29

性風俗「ライト感覚」で求人



好き好んで売春婦となる女性などいるはずがないという「(慰安婦問題の)専門家」見立ては、本当に正しいのか?

性風俗「ライト感覚」で求人

「デリヘル王」が逮捕された。警視庁保安課は、店舗型風俗店の営業を禁止する地域内のJR五反田駅前のレンタルルーム内で、女性従業員に性的なサービスをさせたとして、27日までに風営法違反(禁止地域内営業など)の疑いで、コンサルタント会社社長、金昌宏容疑者(47)を逮捕した。金容疑者は首都圏で約60店のデリバリーヘルスを経営するグループの代表で、約1800人の女性従業員を雇っていたという。

デリヘルなどの性風俗で勤務する女性が多い背景には、女性向け高収入求人サイトや情報誌が増えていることがある。現在、求人を出している性風俗にはデリヘル、イメクラ、エステなどのほか、男性の自慰を眺める内容が基本のオナクラや、手のみでサービスするハンドヘルスなどの「ライト性風俗」がある。簡単かつ安全、楽に日給数万円程度を稼げるとうたっている業者も多い。特に「脱がない、なめない、触らせない」と「3ない」をアピールし、女性を集めている店も目立っている。

不況などで収入が減ったり、高収入の仕事先が見つからない女性が、こうした募集を見て「性風俗ぽくない」と思い、普通のアルバイト感覚で働き始める構図もある。「未経験」「素人女性」ばかりを集めている店もあり、多くの現役OLや女子大生が“お忍びバイト”として働いている現実もある。

しかし、実際は店側が「オプションとしてやってくれれば別料金を払うから」と誘い、女性たちが脱いだり、触られたり、ハードなサービスをすることになる場合も多いとされる。業者側の巧妙な人集め策もあるが、それに興味を示し、受け入れる女性たちがいるからこそ、約1800人を雇う「デリヘル王」も誕生するのだ。【広部玄】

日刊スポーツ 2011.7.28

2011/07/27

[参考] 有馬温泉で未成年を雇用



おかみの言い分が正しいかどうかは分からない。しかし、仲介業者に口止めされた場合を含め、女性の側が(売春婦として働く為に)年齢を偽るというケースは昔もあった。→「年齢はだいたい腰の線を見ればわかるもんよ。十八、九歳だと、まだ腰の線が発達しておらんから、さばよんでもすぐわかる。十八になっておらんと雇っちゃならんかったから、そういう子は要注意や」(西野瑠美子「日本軍慰安婦を追って」)

有馬温泉おかみ書類送検

大阪府警港署は26日、15歳未満の女子中学生を神戸市の有馬温泉の旅館で働かせたとして、労働基準法違反の疑いで、旅館「月光園鴻朧館」のおかみ(69)と、経営する会社を書類送検した。

送検容疑は、1月23日~2月15日、13歳だった大阪市の中学2年の女子生徒を雇用し、客室係として勤務させた疑い。

同署によると、女子生徒は21歳と偽り、面接では「身寄りがなく住み込みで働きたい」とうそをついた。

同館は「13歳だと分かっていたら雇っていない。身分証明書の提出を再三求めたが、拒否された」と説明している。(共同)

日刊スポーツ 2011.7.26


2011/07/24

明治学院高生ハルモニに誓う「帰ったら事実を伝える」



「過去は変えることができないが、未来は学生たちの力に変えることができる」とは、綺麗事の日韓・日中友好を語る人たちの決まり文句だが、実際は歴史観を統一させようという試みだろう。日本人が東南アジアの旧戦場で抱く感想とは同列には置けないのではないか?

明治学院高校がナヌムの家を訪問するのは、これで8年目。同高校がキリスト教系であることも関係があるのかもしれない。韓国で盛んなキリスト教の関係からのアプローチで相手のペースに嵌るケースも多いようだ。最近世間を騒がせたケースとして土肥隆一議員の例があるが、彼も韓日キリスト教議員連盟というよしみに付け込まれている。ナヌムの家はかなり政治的なグループによって運営されている。明治学院自体以下のようなトラウマを抱えているので、そこに付け込まれているという構図か。

私は、日本国の敗戦50周年に当たり、明治学院が先の戦争に加担したことの罪を、主よ、何よりもあなたの前に告白し、同時に、朝鮮・中国をはじめ諸外国の人々のまえに謝罪します。また、そのことを、戦後公にしてこなかったことの責任をもあわせて告白し、謝罪します。

敗戦50周年を迎える今日、すぐる戦争の惨禍の実態は、消え去るどころか日を追って一層詳しく明らかにされてきています。「従軍慰安婦問題」、「731部隊」による生体解剖等々、未だにその傷跡は生々しく、生き残った当事者やその親族の苦難の日々は今もなお続いています。(明治学院学院長・中山弘正)1995年

真剣な眼差しでハルモニの話を聞く日本の高校生。おそらく、最近のハルモニの講話は、当たり障りのない話に終始しているはず。そんな環境で、ハルモニ(元慰安婦)の友好的な態度に感動して思考停止に陥ってしまうケースも多い。涙を流したという小倉教員もその一人だろう。

元々朝鮮人慰安婦の全てが反日でもなく、日本人の来訪を喜ぶといった傾向は昔からあったようである。



<韓日高校生8年目慰安婦被害訪問>

広州にある慰安婦被害者福祉施設の「ナムヌの家」に22日韓日両国の高校生が来訪し、ハルモニたちの証言を聞いて慰安婦歴史観を見学した。

これらは日本明治学院高校の学生42人と光州경화女子高歴史サークル(태화사기)学生5人だ。

明治学院高生がナムヌの家を訪れたのは、今年で8回目。

一学期の間、韓国の近現代史を勉強し、夏休みの時期に韓国に来て西大門刑務所、独立門、ナムヌの家を訪問し경화女子高生らと文化交流と歴史討論の時間を設ける。

この日ナムヌの家を探した明治学院高校の上野(17)君は「歴史勉強をする時に想像した以上で衝撃を受けた」として「日本に帰ってこの事実(慰安婦被害)を知らせ、今から日本学生たちができることが何があるのか研究してみたい」と話した。

シズナガ(17)君「お婆さんたちには戦争が終わっていないということを知った」とし、カメヤマ(17)君は「学生の私たちが何をすれば、おばあさんたちの役に立つか」と質問した。

明治学院高校の教員小倉氏は日本軍の苦難に会っても明るい表情で迎えてくれたおばあさん等を見て涙を流した。

日本学生たちがおばあさんの証言を聞いて衝撃を受ける姿を見守った경화女子高2年キム・ソジョン(17)さんは「率先してハルモニたちの被害状況を知らせる」と念を押した。

明治学院高(校長コグレ)と경화女子高(校長チェ・ジンスン)は「過去は変えることができないが、未来は学生たちの力に変えることができる」という信頼で韓日関係の微妙な状況でも8年目文化と歴史を交流している。

パク・オクソン(87)ハルモニは両国の高校生が大学生になって社会人になってもハルモニが体験した歴史を事実通り知らせてくれとお願いした。

ナムヌの家には慰安婦被害ハルモニ8人が居住している。

2011/07/23

米国首都に「慰安婦の碑」を、ワシントン挺対委の公開書簡



ワシントン地域挺対委がコリアタイムズに寄せた公開書簡。20万人以上のアジアの女性たちが日本政府によって強制動員され、性の奴隷にされたあと廃品処理(?)された、あるいは煙のように消えた。

これは人権史上の一大事件だったと彼らは主張する。またその事に対する公式謝罪を拒んでいる日本政府の態度は人類の歴史上許されることのない大罪であり、それを日本政府に思い知らされるべきだと言う。その為にアメリカの首都ワシントンに「慰安婦の碑」を建立すべきだ。・・・と高らかに訴えている。

アメリカ(ワシントン)の挺対協が本国の挺対協とどういう関係にあるのか、支部という扱いなのか等はよく分からない(追記:交流はあってもあまり関係ないようである)。写真は挺対協のユン・ミヒャン代表が2007年にワシントン挺対委を訪れた時のもの。


挺身隊問題と関連した公開書信

イ・ドンウ ワシントン挺対委 理事長

半世紀前、第2次大戦中に20万余のアジア系の若い女性たちが日本帝国軍人のための軍需品として強制動員され、軍人らの性的奴隷品で使用、廃品処理された日本政府の人権蹂躪事件が人類人権歴史で正しい解決を見ることを切実に望む気持ちでこの文を書く。

この歴史的悲劇事件がアメリカ地域に知られるようにしたのも、もう20年前のことになった。ワシントン地域挺身隊問題対策委員会(정대위)がこの問題の小さい種を植えて一株の「挺身隊問題」の木を育てた。
その間あらゆる困難と日本政府の圧力、恐喝を体験しながらもこの木は不思議にも良く育っている。 2007年7月には連邦議会で日本政府の公式謝罪を促す決議案通過という国際人権蹂躪事件歴史に傑出した一線を引いた事件を編み出したりもした。

以後、日本政府は国際的な人権問題解決勧誘および主張と関連法的責任履行どころかこの問題を冷遇したまま今日に至っている。 ここにこの問題の正しい解決を熱望する一般知識人らの公正で信実な判断と絶対的支持が要請されている。

最初に、生存者たちの痛みをくくり、次に、日本政府の公式謝罪を目的にその行った정대위(ワシントン挺対協?)は日本政府に対抗して貴重な闘争をしてきた。 数十万の幼い女性たちが過去に日本軍人らの性的奴隷として蹂躙された後、煙のように消えた事件が人権歴史上の不幸な一大惨事だったが、より一層私たちの胸を痛くすることでは彼らの一部がまだ生存して私たちと共に息をして生きていて今日も日本政府の公式謝罪を切なく待っているという事実だ。 日本軍に20万人余り女性たちの人権が無惨に踏みにじられるということにあった事実もおぞましい犯罪だが、その犯罪に対する日本政府の責任回避と外面の態度は人権歴史上赦されることはできない深刻な大罪であることを悟るようにする義務を我々정대위は痛感している。

その間半世紀が無責任に流れた。 あと一世紀を、また無駄なに迎え、ようやくいいのか?これで我々の정대위は国際人権の歴史の章に真実で正しい厳粛な良心宣言記録を作成、天下に宣言して恥辱的な日本政府の警戒心を引き出すのに尽くすことを願うところだ。

すぐにこちら、米国の首都ワシントンに挺身隊(日本従軍慰安婦)犠牲者らの魂を賛える追悼記念碑建設を建議したい

The Korea Times 2011.7.14



どうやら、2007年のアメリカ下院の対日非難決議を勝ちとったことは、彼らにとって望外の喜びだったようだ。

韓国系によって韓国や日本、アメリカで進められている「慰安婦の碑」建立運動については、下のタグをクリックして下さい。



정신대 문제와 관련된 공개 서신


이동우 워싱턴 정대위 이사장


입력일자: 2011-07-14 (목)


반세기 전, 2차 대전 중에 약 20여만의 아시아계 어린 여성들이 일본제국 군인들을 위한 군수품으로 강제 동원되어 군인들의 성노예품으로 사용, 폐품 처리 당하였던 일본 정부의 인권유린 사건이 인류 인권 역사에서 정의로운 해결을 보기를 간절히 바라는 마음에서 이 글을 쓴다.


이 역사적 비극 사건이 미주 지역에 알려지기 시작한게 벌써 20년 전의 일이 되었다. 워싱턴 지역 정신대 문제 대책위원회(정대위)가 이 문제의 작은 씨앗을 심어 한 포기의 ‘정신대 문제’ 나무를 키워왔다.
그 동안 온갖 어려움과 일본 정부의 핍박, 공갈을 겪으면서도 이 나무는 신통하게도 잘 자라고 있다. 2007년 7월에는 연방의회에서 일본 정부의 공식사과를 촉구하는 결의안 통과라는 국제 인권유린사건 역사에 걸출한 획을 그은 사건을 일궈내기도 하였다.


이후, 일본 정부는 국제적인 인권문제 해결 권유 및 주장과 관련 법적 책임 이행은커녕 이 문제를 외면한 채 오늘에 이르고 있다. 여기에 이 문제의 정의로운 해결을 열망하는 일반 지식인들의 공정하고 신실한 판단과 절대적인 지지가 요청되고 있다.


첫째, 생존자들의 아픔을 싸매어 주고, 둘째, 일본 정부의 공식 사과를 목적으로 그 간 정대위는 일본 정부에 대항하여 값진 투쟁을 하여 왔다. 수 십 만의 어린 여성들이 과거에 일본 군인들의 성노예로 유린당한 후 연기처럼 사라진 사건이 인권 역사상의 불행한 일대 참사이었지만, 더욱 우리들의 가슴을 아프게 하는 바는 그들의 일부가 아직도 생존하여 우리들과 함께 숨을 쉬고 살고 있으며 오늘도 일본 정부의 공식 사과를 애타게 기다리고 있다는 사실이다. 일본군에게 20여만 명 여성들의 인권이 무참히 짓밟힘을 당한 사실도 끔찍한 범죄이지만, 그 범죄에 대한 일본 정부의 책임 회피와 외면의 태도는 인권 역사상 용서 받을 수 없는 심각한 대죄임을 깨우치게 할 의무를 저희 정대위는 뼈저리게 느끼는 바이다.
그 동안 반세기가 무책임하게 흘렀다. 앞으로 한 세기를 또 허송으로 맞아서야 되겠는가? 이로써 저희 정대위는 국제 인권 역사장에 진실되고 정의로운 엄숙한 양심 선언기록을 작성, 만천하에 선포하고 치욕적인 일본 정부의 경각심을 이끌어 내는데 이바지하기를 바라는 바이다.


바로 이곳, 미국의 수도 워싱턴에 정신대(일본 종군 위안부) 희생자들의 영혼을 기리는 추도 기념비 건립을 건의하고 싶다.

福島みずほ慰安婦励ます



7月21日(木)

参議院議員会館で開かれた「今年こそ『慰安婦』問題の解決を」に参加。
かつて裁判を担当した宋神道さんと震災後、無事に対面しました。

2011/07/20

毎日新聞、久しぶりに「強制連行」?


朝日新聞が退散してから、唯一の希望となった毎日新聞。久しぶりに「強制連行」という言葉を使う記事を見た。>小原博人記者。

人権を奪われた生活などと言っているが、当時戦地にいた軍人・軍属で人権をまったく奪われなかった人は果たしていたのだろうか。・・・銃後の生活を含めても。

従軍慰安婦問題:韓国の元「慰安婦」証言を聞く集会--仙台で市民団体 /宮城

市民団体「日本軍『慰安婦』問題の早期解決を目指す宮城の会」は18日、仙台市青葉区の仙台弁護士会館で、韓国から招いた元「慰安婦」の李容洙(イヨンス)さん(83)の証言を聞く集会を開いた。李さんは「私のたどった道 今伝えたいこと」と題し、14歳の時に当時の朝鮮から強制連行され中国・上海、さらに台湾の日本軍関係の「慰安所」に移送され、人権を奪われた生活を証言した。

李さんは1992年に「慰安婦」被害者と名乗り出て、これまで日本各地で証言活動を行ってきた。仙台での証言は初めてで、約250人の市民が詰めかけた。同会は「集会の開催で、慰安婦問題の解決の基本となる『戦時性的強制被害者問題解決促進法』の成立を求める県内の請願署名活動に弾みがついた」としている。【小原博人】

毎日新聞 2011.7.20

2011/07/19

[英文] オランダで慰安婦写真展



オランダのアーネムという町で開催されている写真展。「従軍慰安婦」という言葉を使っているのが面白い。日本や韓国の市民団体とは独立した動きらしい。関連エントリーとしては
"インドネシアの慰安婦Troostmeisjes【本】"など。「インドネシア」タグで検索してみて下さい。

Indonesia Comfort Women in the Netherlands

These comfort women were victims of Japanese military brutality.
A total of 18 portraits of women Indonesia older victims jugun ianfu(comfort women during the Japanese occupation) exhibited at the Museum of Veterans Bronbeek, City of Arnhem, The Netherlands. These photographs are the result Troostmeisjes project conducted with photographer journalist Hilde Janssen January Banning since 2007.

Through this project, Hilde Janssen wants the world to know that many Indonesian women are forced to serve Japanese soldiers lust. Stories Troostmeisjes Indonesia, also appointed by Hilde Janssen his book ‘Shame Without Sin' and ‘Comfort women's silence in Indonesia on gray Time of War'.
Photo exhibition at the Museum of Veterans Bronbeek This is the third time. Previously, the photos on display in the city of Rotterdam and the capital city of Indonesia, Jakarta.
According to Hilde Janssen, has been in general Dutch citizens only know that Dutch women who became victims of Japanese military brutality. Understand the lessons of history in Dutch schools have just picked up little things related to the colonial period in Indonesia.

A total of 18 portraits of women Indonesia older victims jugun ianfu(comfort women during the Japanese occupation) exhibited at the Museum of Veterans Bronbeek, City of Arnhem, The Netherlands. These photographs are the result Troostmeisjes project conducted with photographer journalist Hilde Janssen January Banning since 2007.

Through this project, Hilde Janssen wants the world to know that many Indonesian women are forced to serve Japanese soldiers lust. Stories Troostmeisjes Indonesia, also appointed by Hilde Janssen his book ‘Shame Without Sin' and ‘Comfort women's silence in Indonesia on gray Time of War'.
Photo exhibition at the Museum of Veterans Bronbeek This is the third time. Previously, the photos on display in the city of Rotterdam and the capital city of Indonesia, Jakarta.
According to Hilde Janssen, has been in general Dutch citizens only know that Dutch women who became victims of Japanese military brutality. Understand the lessons of history in Dutch schools have just picked up little things related to the colonial period in Indonesia.

Photo exhibition at the Museum of Veterans Bronbeek This is the third time. Previously, the photos on display in the city of Rotterdam and the capital city of Indonesia, Jakarta.
According to Hilde Janssen, has been in general Dutch citizens only know that Dutch women who became victims of Japanese military brutality. Understand the lessons of history in Dutch schools have just picked up little things related to the colonial period in Indonesia.


Read more: http://www.articlesbase.com/art-articles/indonesia-comfort-women-in-the-netherlands-5037281.html#ixzz1SY1ef85r
Under Creative Commons License: Attribution No Derivatives

ArticlesBase.com 2011.7.18

2011/07/17

NYTレビュー「天皇の名の下に」



30万人が殺され最初の6週間で二万人の女性が強姦されたレイプ・オブ・ナンキン・・・を検証するのは本サイトの主旨ではないが、南京事件と慰安婦を結びつける論調は多い。これもその一つで、推定20万人の、主に朝鮮人からなる女性を戦地買春宿で働くことを「日本政府」が「強制」したと書かれている。またこれは「組織的」なオペレーションだったと。

「組織的」「強制(性)」は、日本の強制連行派が旗色の悪くなった強制連行説を強弁する為に多用した言葉である。バイアスのかかった情報が、外ではなく日本国内から発信されて来たのが、慰安婦騒動に限らず日本の歴史問題全般の特徴なのかもしれない。

ニューヨークタイムズ紙の映画レビュー(In the Name of the Emperor)。

In the Name of the Emperor (1995)

A documentary on the Rape of Nanjing which took place in 1937 when Japanese Imperial troops invaded Nanjing (aka Nanking) then the capital of China. Survivors of the massacre estimate that about 300,000 were killed and 20,000 women were raped and killed in the first six weeks of the Japanese occupation. Because of these rampant rapes and the alarming spread of veneral diseases among the soldiers, the Japanese government began the systematic operation of the now-infamous "comfort stations", forcing women to serve in military brothels. By the end of the war, an estimated 200,000 women, mostly Koreans, had been shipped as "war supplies" to serve as "comfort women" in Japanese military stations all across the occupied territories, from Manchuria to New Guinea.

表彰される慰安婦



元日本軍慰安婦ファン・クムジャとイ・オクソンが李明博大統領から表彰された。財産を公共の福祉の為に寄付した功績が認められた。ファン・クムジャの寄付のニュースに関しては以前のエントリー参照。



李明博大統領が15日大統領府で開かれた「分かち合いと奉仕の主人公褒賞」の行事で生涯に集めた財産1億ウォンを寄付した日本軍慰安婦被害者ファン・クムジャ氏に国民勲章椿章を歩いてくれている。 イ大統領はこの日行事で「分かち合いと奉仕の美しい香りが全国津々浦々に広がることを願う」と明かした。 褒賞受賞者は国民勲章7人、国民褒章9人、大統領表彰5人、国務総理表彰3人...

이명박 대통령이 15일 청와대에서 열린 ‘나눔과 봉사의 주인공 포상’ 행사에서 평생 모은 재산 1억원을 기부한 일본군 위안부 피해자 황금자씨에게 국민훈장 동백장을 걸어주고 있다. 이 대통령은 이날 행사에서 “나눔과 봉사의 아름다운 향기가 전국 곳곳에 퍼지기를 바란다”고 밝혔다. 포상 수상자는 국민훈장 7명, 국민포장 9명, 대통령 표창 5명, 국무총리 표창 3명이다. 최고 등급인 국민훈장 무궁화장은 아프리카 수단에서 의료봉사활동을 펼치다 지난해 숨진 고 이태석 신부에게 돌아갔다.


イ・ミョンバク大統領が15日大統領府で開かれた国民が直接選んだ「分かち合いと奉仕の主人公」褒賞式および昼食会で、日本軍慰安婦被害者で2千万ウォンを報恩郡(ポウングン)民奨学会に寄付したイ・オクソン(81)ハルモニに国民褒章を授与している。




박동욱 기자 = 이명박 대통령이 15일 청와대에서 열린 국민이 직접 뽑은 '나눔과 봉사의 주인공'포상식 및 오찬에서 일본군 위안부 피해자로 2천만원을 보은군민장학회에 기부한 이옥선(81) 할머니에게 국민포장을 수여하고 있다.




イ・オクソンに関して、先月のニュースから・・

家の前の門に太極旗を掲揚して愛国精神を強調して有名税をせい減らしたイ・オクソン(女・81・写真・報恩郡(ポウングン)、俗離山面(ソンニサンミョン)社内リ)氏が政府褒賞国民推薦国民褒章受賞者に選ばれた。

国民推薦褒賞制は難しい環境で奉仕と寄付、先行を持続実践した隠れた功労者を国民の手で発掘して政府次元で褒賞するために導入した制度だ。 イ氏は日本軍慰安婦被害者で政府の基礎生活需給金と女性部が慰安婦被害者にあたえる生活安定支援金などを節約して一生集めた全財産2000万ウォンを報恩郡(ポウングン)民奨学会に寄付した。

イ氏は幼い時難しい生活環境で学習の夢をあきらめなければならなかっただけでなく慰安婦被害によってひっそりと静まって生涯を生きていくべきである痛みがあったが“国が富強にするなら人材を育てなければならなくて、それでもう二度と国を失う不幸がないように人材を育てなければならない”面人材養成に強い情熱を現わした。

今でもイ氏は学習に対する情熱で読書と文を書くのに熱中するなど学習を継続している。

집 앞 대문에 태극기를 게양하며 애국정신을 강조해 유명세를 탓던 이옥선(여·81·사진·보은군 속리산면 사내리)씨가 정부포상 국민추천 국민포장 수상자로 선정됐다.


국민추천 포상제는 어려운 환경에서 봉사와 기부, 선행을 지속 실천한 숨은 공로자를 국민의 손으로 발굴해 정부 차원에서 포상하기 위해 도입한 제도다. 이씨는 일본군 위안부 피해자로 정부의 기초생활수급금과 여성부가 위안부 피해자에게 주는 생활안정지원금 등을 절약하여 평생 모은 전 재산 2000만원을 보은군민장학회에 기부했다.


이씨는 어린시절 어려운 생활환경으로 배움의 꿈을 접어야 했을 뿐만 아니라 위안부 피해로 인해 남몰래 숨죽여 평생을 살아가야 하는 아픔이 있었지만 “나라가 부강하려면 인재를 키워야 하고, 그래서 두 번 다시 나라를 잃는 불행이 없도록 인재를 키워야 한다”면 인재양성에 강한 열정을 나타냈다.


지금도 이씨는 배움에 대한 열정으로 독서와 글쓰기에 열중하는 등 배움을 이어가고 있다.

東洋日報 2011.6.29

ビデオ:「私たちは美しかったから」 インドネシアの慰安婦


下の「インドネシア」タグをクリックすれば、いくつか関連エントリーが出てくるはず。

Comfort Woman - "Because we were Beautiful" from Jan Banning on Vimeo.


‘Japanese cast-offs’ is what they are still called, the former Indonesian comfort women. During the second World War they were forced to carry out sexual activities in military brothels, encampments or Japanese barracks. In Because We Were Beautiful a number of women tell their story. About the systematic rapes, the humiliations, the fear and how this influenced their lives. A documentary full of shame, sorrow and reluctantly told life stories.

Director: Frank van Osch
Interviews: Hilde Janssen
Photography: Jan Banning

Two books were published about this subject:

Comfort Women/ Troostmeisjes (janbanning.com) (Language: Dutch/English)
Schaamte en onschuld (hildejanssen.nl) (Language: Dutch)

This documentary was made with the support of: Ministerie van VWS, V-Fonds, VSB-fonds, NOS, Prins Bernhard Cultuurfonds, Professor van Winterfonds, Stichting Democratie en Media, Vocas.

More information: vofprodukties.tv
Date: 15-08-2010 魚拓

2011/07/16

集団暴行停学処分 逆転無罪



被害者の訴えが無視されるような社会であってはならない。しかし、一方で被害者の証言を疑う事を「セカンド・レイプ」だと言って反論を許さないフェミニストも問題である。痴漢冤罪事件というものも、現実に被害者を出しているのである。

集団暴行の停学処分無効=「女子学生の同意あった」-京都地裁

女子学生に対する集団準強姦(ごうかん)容疑で逮捕され、不起訴処分となった京都教育大の男子学生6人のうち4人が、大学の無期限停学処分の取り消しなどを求めた訴訟の判決が15日、京都地裁であった。杉江佳治裁判長は「女子学生の明確な同意があった」として、暴行の事実はなかったと認定。停学処分を無効とした上で、大学側に1人10万円の慰謝料の支払いなどを命じた。

杉江裁判長は、大学は女子学生の保護を重視する一方で、男子学生らの言い分を考慮しなかったと指摘。今年4月まで処分見直しの検討をしていなかったとして、長期にわたって著しく不利益な処分を科したと結論付けた。

4人は2009年2月、他の2人とともに、京都市の居酒屋で開かれた体育学科の送別会で、酒に酔って抵抗できなかった女子学生を店の空き部屋に連れ込み、集団暴行したとして逮捕された後、不起訴処分とされた。6人は「女子学生は泥酔状態ではなく、合意の上だった」と容疑を否認していた。

京都教育大企画広報課の話 早急に判決内容を詳細に検討した上で、今後の方針を決定する。

時事 2011.7.15

2011/07/13

沖縄の朝鮮人慰安婦写真を林博史発見(2005年)



2005年の琉球新報の社説。歴史の暗部?

「慰安婦」写真・資料が物語る歴史の暗部

60年前の歴史の暗部を照らし出す貴重な写真が見つかった。
8月1日に東京に開館する「女たちの戦争と平和資料館」(西野瑠美子館長)が、旧越来村(現・沖縄市)の収容所キャンプ・コザで撮影された朝鮮人「慰安婦」の写真を公開した。
同館は戦時下での軍隊による性暴力に関する資料を展示する日本初の資料館で、写真は林博史関東学院大学教授が昨年8月、米国国立公文書館で発見した。
撮影時期は1945年10月ごろとみられ、カメラに視線を向けている7人の女性が写っている。いずれも夏物の服装だ。
歴史にかかわる資料に対し、安易な想像は慎まなければならないが、女性たちの姿は白い歯がこぼれ、ほほえみを浮かべているように見える。少なくとも、おびえているふうに見えないのは明白だ。
資料性を高めているのは写真説明が付いている点で、英文で「日本軍によって沖縄に連れてこられた」と明記されている
女性たちについて朝鮮人「慰安婦たち」と説明し、「11月に集められ、朝鮮に引き揚げた。軍政府にとって問題の種だった」とも記されている。
あらゆる事象は光と影から成り立つ。歴史とて例外ではない。影の部分を覆い隠したがるのは人の心理の常ともいえ、歴史分野ではしばしば政治も介入する。
従軍慰安婦の言葉は教科書から消えた。文部科学省は「慰安婦の存在は否定しないが、従軍慰安婦という言葉は当時はなかった」との立場を取る。
従軍慰安婦を特集したNHKのテレビ番組改編問題では、政治的圧力の有無をめぐって朝日新聞とNHKが鋭く対立した。
同資料館は近く、発掘された写真を基に韓国の政府機関・強制動員真相委員会に7人の消息を依頼する。西野館長は「申し出てくれる方がいれば、沖縄で一緒に足跡をたどる調査をしたい」と語る。
慰安婦問題は、韓国や中国との関係にも影を落としている。写真が解き明かす「歴史の真実」に期待したい。

琉球新報 2005.7.31

2011/07/10

慰安婦の母は自殺?ティファニー・ション監督



後回しにしようかと思ったが、一応記事だけは紹介しておこう。日本語メディアでも紹介されるようになった慰安婦問題に光を当てたドキュメンタリーを製作中のティファニー・ションに関する記事。

読んで分かるように、彼女の語っているイメージは古い。恐らく韓国でも最近はこんな事を言っていないだろう。韓国の慰安婦研究が日本から20年遅れている(故意に遅らせている気配もある)とすれば、アメリカ・カナダは10年前の韓国のレベルといったところか。お決まりの、「これは現在の問題でもある!」も。

ションは、目標としていた5万ドルの内、すでに4万7千ドルの寄付を集めることに成功したという(その後の報道で目標額を突破したことが明らかにされた)。「多くの慰安婦が自殺しようとした」「娘を連行された母親たちの中には自殺した者もいた」・・・ほとんど都市伝説レベルの話を語っている。

Filmmaker tells stories of 'comfort women'

While on a study tour to Taiwan in 2009, Toronto filmmaker Tiffany Hsiung learned about an oft-overlooked element of the Second World War that changed her life forever.
Like most people, Hsiung was unaware of the "comfort women" who were taken from their homes and treated as sex slaves by soldiers throughout Asia during the war. Once she learned about the practice and the horrors those women faced, she decided she had to do something to shed light on the atrocities committed.

She set out to make a film, dubbed Within Every Woman (www.wewoman.org), to educate people about their plight, taking three extra months after her planned tour ended to speak with women who have been forced to live with the memory of their slavery.

Hsiung said she was shocked to learn that more than 200,000 girls were forced into sexual slavery, some as young as nine years old.

"A lot of them never even knew what sex was when they were forced into it," the filmmaker said.

Many committed suicide when they were captured rather than submit to rape by soldiers, while the mothers of some killed themselves after their daughters were taken.

For those who survived, living with the shame and guilt associated with their abuse has been a horrifying ordeal. Due to social taboos, many did not feel comfortable telling others of the sexual abuse they faced and were forced to bear their pain in silence.

"For a lot of women, it was years and years of self-imprisonment, not being able to share these details with their own families," Hsiung said. "Some were taken for a period of two to three weeks, four months, five months, to as long as two to three years. If you can survive being a comfort woman for two or three years and try to find a life after that, it's incredible."

Within Every Woman focuses on the stories of three women in detail and offers a greater overview on the use of "comfort women" in several Asian countries throughout the war. While the film looks at events during the Second World War, Hsiung noted the stories can have an impact on the lives of people even today.

"This may have happened 70 years ago but even today, sexual violence is still kept in darkness," she said. "I hope this helps a lot of young women come forward and not wait to talk about it if they've had to deal with sexual violence."

Hsiung, a graduate of Jarvis Collegiate Institute and Ryerson University, grew up in downtown Toronto in the Yonge and College streets area.

Her university thesis, Binding Borders, has earned accolades including the William F. Whites Equipment Grant Award, the Best Toronto Focus Film Award and the People's Choice Award at the 2007 Cabbagetown Film Festival.

The filmmaker is currently looking for funding to help share the stories of the former "comfort women," and has taken to the Internet to raise the $50,000 it will take to complete the project.

As of press time Tuesday, she had raised more than $47,000 of the $50,000 she needed at a fundraising website (http://www.kickstarter.com/projects/lucyzhao/within-every-woman-the-documentary-film) and hopes to raise the rest by the end of day Thursday, June 30.

Hsiung said the support she has received has reinforced the importance of her work.

"It's really hard to get funding for a project like this, but the online campaign shows me that this film needs to be made," she said.

2011/07/09

中国系カナダ人ドキュメンタリー作家と慰安婦問題



この人の事については、以前から英語のニュースがいくつか出ていたので、いろいろ書きたい事があるが、暫く後回しになりそう。彼女のブログやYouTube動画を見る限り、慰安婦問題に関する認識は至極幼稚なレベルと言っていいと思う。この記事にも出てくるように、20万人の慰安婦とか、日にXX回の性行為とか、俗説として散々語られて来た内容を復唱しているだけ。

この記事では、ションが2008年に中国やフィリピン、韓国を旅している際に元慰安婦に出会ったことがきっかけとなって思いついたとしか書かれていないが、レコード・チャイナによると、彼女は典型的な反日団体と目されることもあるトロント抗日戦争史実保護連合会(GA)が主宰する中国・韓国視察旅行に同行したことがきっかけ」でこの企画を思いついたらしい。

それにしても気になるのが、シネマトゥデイ編集部の福田麗の紹介文。

「最新予告編では、元慰安婦の経験の端々が語られており、その内容は衝撃的というほかない」「慰安婦問題は今をもって決着したとは言えないだけに」・・・何が「決着したとはいえない」だと思うが、なにより慰安婦の証言集ならこれまで幾つも出版されているのに、今さら「驚きの連続」とはどうにも困ったものである。慰安婦を正面から扱ったドキュメンタリーなら、これまでにもあったし、日本人監督による物もある。



中国系カナダ人のティファニー・ション監督が、慰安婦問題をテーマにしたドキュメンタリー映画『ウィズイン・エブリ・ウーマン(原題)/Within Every Woman』を製作していることが話題になっている。アジア映画情報サイトAsians on Filmsや中国紙で取り上げられた本作は、製作資金として寄付を募っており、先日目標の5万ドル(約400万円)を突破。公開は来年以降を予定しているという。(1ドル80円計算)

慰安婦問題をテーマに据えた本作で監督を務めるティファニー・ションはトロント出身の中国系女性監督。本作の製作は、ション監督が2008年に中国やフィリピン、韓国を旅しているときにかつて慰安婦だったという人々に出会ったことがきっかけとなって思いついたのだという。ション監督とプロデューサーのクリス・カンは、製作のための寄付を募るため、本作の紹介ビデオをネット上に掲載。多くのメディアで取り上げられたおかげか、先日、寄付総額は目標としていた5万ドル(約400万円)を突破した。

同ビデオの中でション監督は、かつて約20万人いたという慰安婦たちは日に40回の性的行為を強いられていたと説明しており、作品は今では80歳を超えている彼女たちの話をション監督が聞いて回るという構成であることも明かしている。すでに公開されている最新予告編では、元慰安婦の経験の端々が語られており、その内容は衝撃的というほかない。慰安婦だった当時のことを家族にも伝えられない女性が言葉少なにその理由を語る場面は、ドキュメンタリー映画ならではの緊迫感を保って、観客の胸に迫ってくる。

慰安婦問題は今をもって決着したとは言えないだけに、そのことを正面切って取り上げる映画作家は決して多くない。それだけに、当事者たちの話をメインテーマにした本作は多くの人たちにとって、驚きの連続であるはずだ。北米公開は今のところ2012年以降を予定しているというが、本作を観客がどのように受け入れるのか。気になるところだ。

日本大使館前を平和を求める場に[挺対協]



水曜デモの碑に関するニュース。韓国発の日本語ソースもあったので、紹介する。こちらの方が情報源としては正確だろう。要するに、ハルモニという強力なカードが後10年ぐらいしか使えないと分かっている挺対協は、こういった記念碑や資料館を作ることで「ハルモニ後」に備えているのだろう。

散々日本に対する憎しみと敵意を煽った挙句、「平和を求める象徴的な場所にしたい」とは、どこまで人をバカにしているのか。

日本植民地時代の従軍慰安婦に対する戦後補償を求めて、1992年から毎週水曜日に開かれている抗議集会が、今年12月に1000回目を迎えることから、これを記念して、韓国駐在日本大使館の前に平和を祈る石碑を建てる計画が進められます。

これは、従軍慰安婦問題の解決に向けて活動している市民団体、「韓国挺身隊問題対策協議会」が6日、明らかにしたものです。

それによりますと、今年12月14日に従軍慰安婦被害者の水曜集会が1000回目を迎えることを記念し、集会が開かれてきたソウルの鍾路(チョンロ)区にある韓国駐在日本大使館の前に平和を祈る石碑を建てる計画で、その費用を集めるためのキャンペーンを始めるということです。
このキャンペーンは、1000ウォン以上の寄付をした人が、次に寄付を行う人を指定していくというリレーの方式で行われるということです。

これについて「韓国挺身隊問題対策協議会」の代表は、「被害者の方々が高齢であるため、いつまでこの集会が続けられるかは予測できないが、その情熱と意志を石碑に込め、平和を求めるという象徴的な場所にしたい」と説明しています。

[資料] 学校教育課長、未成年売春に関与



町の学校教育課長が未成年者に売春をさせていたからといって、東郷町が売春の斡旋を行っていたという事にはならない。それくらい分かりますよね?吉見教授

15歳女子生徒に売春させる 学校教育課長、関与の疑い 愛知・東郷町役場捜索

当時15歳の専門学校の女子生徒に売春させたとして派遣型風俗店の関係者が愛知県警に逮捕された事件に、同県東郷町教育委員会の学校教育課長(57)が関与していた疑いが強まり、県警は9日までに、児童福祉法違反容疑で町役場や課長宅を家宅捜索した。捜査関係者や同町への取材で分かった。

県警は、女子生徒=同県尾張旭市=を昨年9月に名古屋市東区のホテルで男性客に引き合わせ売春させたとして、同法違反などの疑いで無職、小倉祐介容疑者(34)ら2人を6月下旬に逮捕した。小倉容疑者が働いていた派遣型風俗店の経営者は課長の母親の名義になっており、課長が店に出資していた疑いも浮上。県警は7日の捜索で、役場から課長の携帯電話などを押収し、課長から詳しく事情を聴いている。

町によると、課長は2007年4月から町の子育て支援課長を務め、今年4月から現職。勤務態度は真面目という。

産経新聞 2011.7.9

2011/07/08

フィリピン人慰安婦 紙智子(共産)議員と懇談



「日本軍の性暴力」。慰安所(政策)を日本軍の性暴力、という捉えているとも取れるが、日本「兵」による性暴力(戦時下の強姦事件)→日本「軍」による性暴力→慰安婦問題・・・という風にすり替えている可能性もある。

確かにフィリピンなど占領地での慰安所における不祥事には、線引きの難しいケースが少なくないと思われるが、慰安所の問題と戦地の強姦事件を故意に混同させるような説明は今も後を絶たない。ただし、これをやっているのは日本や韓国の運動家であって、フィリピンの運動家たちは無関係であると思われる。

フィリピンの日本軍「慰安婦」被害者、フェリシダッド・デ・ロス・レイエスさん(82)と、フィリピンと日本の支援者など12人が6日、日本共産党の紙智子参院議員と懇談しました。

14歳のとき日本軍による性暴力を受けたレイエスさんは、「この事実を歴史の中で、決して忘れないでほしい」とのべ、「戦争被害者として負った傷のうえに、さらに年をとり、生きることが難しい状態になっている」と、日本政府による補償の実現を求めました。

フィリピンの「慰安婦」被害者・支援者がつくる団体リラ・ピリピーナのコーディネーター、レチルダ・エクストレマドゥラさんは、被害者174人のうち66人が亡くなったことを紹介。「(被害者は)急速に年をとっている。彼女たちが生きているうちに補償を実現させ、名誉と正義を取り戻したい」と日本政府への働きかけを求めました。

紙議員は「『慰安婦』問題は歴史の汚点、日本政府は反省し、謝罪と補償をしなければならない」と表明。命をかけて侵略戦争反対を貫いた日本共産党員の姿と党の歴史を紹介し、「人権と平和にかかわるこの問題を解決することが大切。国会で超党派で取り組んでいきたい」と話しました。

赤旗 2011.7.7

[資料] 韓国軍の虐め体質



海兵隊、いじめ深刻=銃撃事件で表面化-韓国

4人が死亡、1人が負傷した韓国・江華島の海兵隊内銃撃事件で、軍当局は8日、銃を撃った上等兵(19)と共謀したとして、既に拘束していた同じ部隊の2等兵(20)を上官殺害などの容疑で逮捕した。事件の背景には、上官による暴行や、まん延するいじめなど海兵隊が抱える根深い問題があると指摘される。

韓国紙によると、2人とも上官から暴行を受け、以前から「事件を起こして脱走しよう」と話していた。4日の事件当日、酒に酔った上等兵が、ある兵士を殺したいとこぼすと、最初は止めようとした2等兵も「全員殺して逃げよう」と語ったという。

事件を機に表面化したのが海兵隊のあしき伝統となっている陰湿ないじめだ。対象となると、徹底的に無視され、暴行も受ける。国防省の調査では、この2年余りで暴行されるなどして治療を受けた海兵隊員は943人に上る。
海兵隊は2週間に1度、新兵が配属されるが、関係者によると、ほとんどの期でいじめが存在する。同関係者は「昨年の哨戒艦沈没事件や延坪島砲撃事件の後、海兵隊の訓練は厳しさを増しており、隊員のストレスがたまっている。指揮官らにも余裕がなく、若い兵士に目が届かない」と漏らす。

性格的問題や部隊生活への不適応で「要注意」に分類される兵士の問題もクローズアップされた。金寛鎮国防相は国会答弁で、兵士全体の約5%が「要注意」だと明らかにした。銃を撃った上等兵も「要注意」で、今回のような事件を防ぐため、こうした兵士をどう扱うかも課題となった。

時事 2011.7.7

2011/07/07

学生も参加する定期水曜集会





Daum 2011.7.6

2011/07/06

日本大使館前に「連行される慰安婦の像」 デザイン公開



いつものように、韓国最大の慰安婦支援団体、挺対協は発想の天才である。これは現代表であるユン・ミヒャン(写真左)の才能に負うところが大きいのだろう。今回も大勢の子供たちが日本大使館の前に集められ、シュプレヒコールを繰り返した。

今回の水曜デモでは、ソウルの日本大使館前に1000回に渡る執拗な日本糾弾デモ(水曜デモ)を記念し、碑を建てることが改めて公表された。碑の名前は「平和の碑」、両国間にナショナリズムと憎しみを20年間に渡り掻き立てた挙句、「平和」の碑だというのである。彼女たちは、大使館前の通りを「平和路」と名付けることも提案している。かつて同胞の学者から、日本と喧嘩することが目的と看破された彼女たちに、果たして「平和」を語る資格があるのか?


日本大使館前に、慰安婦問題(水曜デモ)の碑を建てる計画について、産経の黒田記者の取材には地元の区役所は「外交問題にもなりかねないので慎重に対処する」と答えたというが、挺対協の関係者は韓国のメディアに区役所から援助の申し出があったと話している。どちらが本当かは分からない。

1992年から1千回近く続いている慰安婦被害者らの「水曜デモ」を記念して駐韓日本大使館の前に平和費を建設する方案が推進される。

韓国挺身隊問題対策協議会(挺身隊対策協)は第1千回水曜デモが開かれる今年12月14日駐韓日本大使館前の水曜デモの場所に「平和の碑」を建てることにし、後援者リレーキャンペーンを始めると6日明らかにした。

挺身隊対策協はこの日正午ソウル、鍾路区(チョンノグ)駐韓日本大使館の前で977次需要デモを兼ねた「平和碑建設のための希望のリレー発隊式」を開催しこのような内容を発表した。

キャンペーンは1千ウォン以上の建設基金を拠出した「希望走者」が次の後援走者に募金バトンを渡す方式で進行される。

この日、希望リレー発隊式では富川(プチョン)市民連合女性会が初めての走者宣言をし、彫刻家キム・ウンソン・キム・ソギョン氏がデザインした平和の碑が安易(?)公開された。

高さ120cmほどの平和の碑は日帝に引きずられて行った当時の被害者たちを形象化した少女形の碑石におばあさんの姿の影が垂れた形に作られる予定だと挺身隊対策協は説明した。

挺身隊対策協は今月の初めまでボランティアメンバー助けと次に「アゴラ」などを通じて700万ウォン余りを募金し水曜デモの場を「平和」と命名しようというキャンペーンも進行している。

第1千回水曜デモの当日には世界各地で連帯デモを行い、その週を「日本軍慰安婦学習週間」と名づけ全国初め・中・高等学校で共同授業をする計画だ。

ユン・ミヒャン挺身隊対策協常任代表は「水曜デモが1千回続いているということだけで、すでにこの場所は歴史的遺跡になった」とし「ハルモニたちがいつまでこちらにいらっしゃる訳には行かないが、その情熱と意志を碑石に入れて平和を希望する象徴的場所で残そうとする趣旨である」と話した。

また他の挺身隊対策協関係者は「管轄鍾路(チョンノ)区庁も(碑石建設に)協力するという立場を明らかにした」として「場所選定問題に対する日本大使館側反応が心配だが原案のとおり推進する方針」と明らかにした。



정대협 日대사관 앞 기념비 건립 추진…후원 릴레이 돌입


(서울=연합뉴스) 김효정 기자 = 1992년부터 1천회에 가깝게 이어지고 있는 위안부 피해자들의 `수요 시위'를 기념해 주한 일본대사관 앞에 평화비를 건립하는 방안이 추진된다.


한국정신대문제대책협의회(정대협)는 1천회째 수요시위가 열리는 올해 12월14일 주한 일본대사관 앞 수요시위 장소에 `평화비'를 세우기로 하고 후원자 릴레이 캠페인을 시작한다고 6일 밝혔다.


정대협은 이날 정오 서울 종로구 주한 일본대사관 앞에서 977차 수요시위를 겸한 `평화비 건립을 위한 희망릴레이 발대식'을 열고 이런 내용을 발표했다.


캠페인은 1천원 이상의 건립 기금을 낸 `희망주자'가 다음 후원 주자에게 모금 배턴을 넘기는 방식으로 진행된다.


이날 희망릴레이 발대식에서는 부천시민연합 여성회가 첫 주자 선언을 했으며 조각가 김운성ㆍ김서경씨가 디자인한 평화비 가안이 공개됐다.


높이 120cm 가량의 평화비는 일제에 끌려갔을 당시 피해자들을 형상화한 소녀 모양의 비석에 할머니 모습의 그림자가 드리워진 모양으로 만들어질 예정이라고 정대협은 설명했다.


정대협은 이달 초까지 자원봉사자 도움과 다음 `아고라' 등을 통해 700여만원을 모금했으며 수요시위 장소를 `평화로'로 명명하자는 캠페인도 진행하고 있다.


1천회째 수요시위 당일에는 세계 각지에서 연대 시위를 벌이고 해당 주간을 `일본군 위안부 배움 주간'으로 정해 전국 초ㆍ중ㆍ고등학교에서 공동 수업을 할 계획이다.


윤미향 정대협 상임대표는 "수요시위가 1천회째 이어지고 있다는 것만으로 이미 이 장소는 역사적 유적지가 됐다"며 "할머니들이 언제까지 이곳에 계실 수는 없지만 그 열정과 의지를 비석에 담아 평화를 희망하는 상징적 장소로 남겨두려는 취지"라고 말했다.


또다른 정대협 관계자는 "관할 종로구청도 (비석 건립에) 협력하겠다는 입장을 밝혔다"며 "장소 선정 문제에 대한 일본대사관 측 반응이 염려되지만 원안대로 추진할 방침"이라고 밝혔다.

2011/07/04

ティファニー・ションのドキュメンタリー


2011年7月2日、中国系カナダ人の女性若手映画監督が、第二次大戦中の日本軍従軍慰安婦を追ったドキュメンタリー映画を製作中であることがわかった。香港紙・星島日報の報道。

トロント在住、27歳のティファニー・ション(Tiffany Hsiung)さんは、州立ライアソン大学芸術学部で映像を専攻。07年に卒業後、数々の著名映画監督と共同制作を経験してきた。北京五輪の表と裏を描いたドキュメンタリー作品などに携わっている。

現在、ション監督が製作中の題材は第二次大戦中の日本軍従軍慰安婦。企画は09年に立ち上がったもので、トロント抗日戦争史実保護連合会(GA)が主宰する中国・韓国視察旅行に同行したことがきっかけだったという。そこで初めて当時の惨状を知ったション監督はそのまま現地に残り、3カ月間にわたって、現在も生存する慰安婦経験者に取材して回った。これまでに話を聞いたのは50人。史実だけではなく、彼女たち個人個人の悲しみや心の傷に焦点を当てた作品にするという。

すでに半分は撮影を終えているこの作品。9月からは韓国での撮影を開始し、一般公開は1~2年後を視野に入れている。作品の一部はすでに、カナダ国際ドキュメンタリー映画祭(HotDocs)で上映され、好評を得ているという。インターネット上で一般から資金を募ったことでも話題になっている。(翻訳・編集/愛玉)

2011/07/03

上野千鶴子: 韓国の慰安婦運動のナショナリズム



家父長制、ナショナリズムを憎み、男性中心史観に反発して、慰安婦問題で日本の「歴史修正主義」と戦う上野千鶴子であるが、韓国の慰安婦運動に見られるナショナリズムは気になるようで・・・。

しかし、「挺対協のなかには『慰安婦』制度を日本の韓国に対する『民族絶滅』政策の一貫として位置づける説もあり」とは、何を今さらである。それは挺対協の初代共同代表であった人みずからが説いていたことではないか。

これは山下英愛の言説だが、「民族民主運動のなかで女性運動が認められるためのの生存戦略」というのは正しいだろう。なぜ朝鮮戦争時の慰安所が問題にならず、日本軍の慰安所に限って国を上げた大騒ぎになるのか、それは、運動家たちがこの問題を加害国日本と被害国韓国という構図で宣伝したからだろう。これによって元慰安婦は“抗日独立運動家”並みの英雄になり、国民的アイドルとなったのである。

...「軍隊性奴隷」パラダイムは、韓国の反日ナショナリズムのために動員されている。挺対協のなかには「慰安婦」制度を日本の韓国に対する「民族絶滅」政策の一貫として位置づける説もあり、民族対立が強調される。

「『慰安婦』問題に対する民族言説的な見方は、自民族中心的で多民族、他地域の被害者とのあいだに壁を築き、分断をもたらす」と山下ははっきり明言する。

韓国女性運動の民族主義的傾向は、「民族民主運動のなかで女性運動が認められるためのの生存戦略」であった、と山下(英愛)は見るが、他方、「国際的な連帯運動における女性問題としての盛り上がりに比べて、国内の女性運動や人権運動に及ぼした影響は極めて小さい」と山下は見る。「その理由は...そもそも国内では主に民族問題として接近し、しかも『慰安婦』に関する民族言説を覆す努力がほとんどなされてこなかったことにある。」 

山下が紹介するキム・ウンシルによれば、

民族主義言説は性の蹂躙という記表に、より大きな象徴的意味を与えることによって、女性経験の特殊性を否認し、これを民族問題として普遍化する。言い換えれば女性でなく韓民族が日本という強姦犯によって蹂躙されたのである。民族問題であるために、強姦の犯罪はそれが日帝によって行われるまでは民族言説ではまったく意味を付与されない


民族言説は女性を「民族主体」のなかに取り込むことによって、もっとはっきり言えば女性の利害を男性の利害に一体化(その実、従属)させることによって、ナショナリズムの動員のために利用する


少し孫引きが多くなってしまうので、山下英愛の元の文章(「『慰安婦』問題の認識をめぐって」季刊アクロス 憲法を生かす市民の会季刊誌1944.11)を確認するまでは自分用のメモという位置づけで。

慰安婦支援者と保守系市民の邂逅 [京都・写真展]





自分の印象では、この写真展を主催した団体(旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・京都実行委員会)は善意の団体であるように思う。慰安婦問題に対する認識は大分自分とは異なるが・・・。前のエントリーにも書いたように、台湾の慰安婦支援運動も韓国のそれと違い、反日よりも弱者救済が動機になっている。その為か、韓国ほど盛り上がらない様子。映像から見ると、台湾人慰安婦の写真展のはずが、韓国関連の写真が目立つ。

一方が訪ねて行ったのだから、「邂逅」はおかしいか。




--要約--

- (いろんな意見がある) 両論併記でいいと思う。
- 現地へ連れて行ったら、高校生の反応が一番良かった。
- (戦争犯罪ですか?) そう思います。
- 日本で問題になった時から、台湾でも問題になっていた。フィリピンとかインドネシアとか、他にも「被害国」がある。


「吉田清治の嘘」という発言で説明員が警戒してしまったらしい。そこで対話は途切れる。

法然院と保守系団体の対話



寺側の言い分も理解できる。寺側がこういった催しを拒絶するのは適当ではないだろう。確かに挺対協が色々な催しを企画して資金を集めているのは事実で、彼女たちが巧みな話で疑う事を知らない日本人を説得している様子を目撃した立場からすると、複雑な気持ちはある。

しかし善意で企画された催しもあるはずである(その金がどこぞの団体に寄付されているとしても)。支援団体には展示会を開催する自由があり、法然院には場所を提供する自由があり、それに反対する団体が催しに抗議する自由がある・・・という所だろう。

なおこれは台湾人慰安婦に関する写真展だが、基本的に台湾の慰安婦支援運動は韓国のそれと比べ反日色が薄いようである。「旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・京都実行委員会」も善意の団体のように見受けられる。

なんにしろ、対話が平和裏に行われたのは良かった。


その一
その三

(事情を知らない人を説得するのに、「強制連行はなかった」というのはどうか?「強制連行」という左翼言葉を使っている時点で、相手の土俵に乗っている。この言葉は非常に気をつけて使わなくてはいけないと思う)

[絵] まわし喰い




Pixivより。投稿者:のざきゆきお 投稿日:2011年6月24日 タイトル:まわし喰い

(著作権に配慮して画像の一部を加工した)