2012/12/14

吉田清治 「戦後生まれの青少年の為に事実を書き残した」


この胸を締め付けるような告白が実は嘘だったというのだから、驚くばかりである。自分は鬼と呼ばれていた。戦争犯罪人である私・・・。戦後生まれの日本人青年のために歴史的事実の一端を書き残したと言うに及んでは、呆れてものも言えない。罪深いとは、こういう人の事を言うのだろう。


[...]太平洋戦争注は国民に対する戦時体制が強化されて、朝鮮民族にも日本人と同じように「徴用」と称する労務動員が実施されたが、日本人の徴用とはその取り扱いが異なり、朝鮮半島の徴用は、「ドレイ狩り」のように行われた。

私は昭和十七年(1942)年から敗戦までの約三年間にわたって、「山口県労務報国会」の動員部長として、朝鮮人の徴用業務に従事したが、私は朝鮮人にたいして、「ドレイ狩り」を、「臣道実践」「滅私奉国」の日本精神による「愛国心」をもって行ったのである。朝鮮半島の全羅南道では、私は朝鮮人巡査たちから「徴用の鬼」と言われていると、道庁警務部の日本人警部補から聞いたが、当時は忠勇な軍人が、「鬼分隊長」「鬼軍曹」の勇名をとどろかすことを名誉だと考えていたように、私は非人間的な「愛国心」に徹していて、朝鮮人から「徴用の鬼」と言われたことを誇らしく思っていた。

朝鮮人徴用の公式記録や関係文書は、敗戦直後に内務次官通牒にもとづき、全国道府県知事の極秘緊急命令書が書く警察署長宛に送達されて、完全な廃棄焼却処分が行われた。私の関与した山口県労務報国会下関支部の場合は、下関警察署特高係の署員たちによって、すべての徴用関係書類と朝鮮人勤労報国隊出陣記念写真などが徹底的に焼却処分された。日本政府の朝鮮人徴用の実態は、公式には記録が無くなり、その事実が歴史から抹消されたのである。

私のこの記録は、四十年近い過去の事実を、現在まだ生きている当時の部下たち数人と何回か語りあって思い出したり、現地から亡妻や親戚友人たちへ、労務報国精神を誇示して書き送っていた私の手紙を回収したりして、記憶を確かめながら書いたものであるが、「戦争犯罪人」の私が老後になって、いまさら気休めの懺悔をするためではない。戦後生まれの日本人青少年・少女たちへ、私たち日本人が朝鮮人を「ドレイ」にしていた歴史的な事実の一端を書き残して、日本人が「文明人」となるための反省の資料にしてもらいたいのである。

私の戦争犯罪 P.3 まえがきより