2012/05/28

廣木総領事と慰安婦の碑騒動を報じたニューヨーク・タイムズ



日本の国会議員も巻き込んだアメリカの慰安婦の碑騒動。ニューヨーク・タイムズもこれを報じた。

この記事の冒頭の写真には、「ニュージャジー州パリセイズパークの記念碑は、第2次大戦中日本兵達によって性的に奴隷化された女性たち、多くの朝鮮人達に捧げられている(A memorial in Palisades Park, N.J., is dedicated to women, many Korean, who were sexually enslaved by Japanese soldiers during World War II)」というキャプションがついている。

改めて「慰安婦の強制連行」が世界の常識であり、この騒動を論じるに当たっては、それを前提に考えていかねばならないという事が理解出来ようというもの。

ニューヨークの日本総領事や日本の国会議員が、アメリカの公立図書館に立てられた慰安婦の碑に抗議に行き(火に油を注いだだけで)、成果なく帰って来たことは、韓国のメディアがこぞって取り上げた。日本側が市側を買収しようとしたかのような書きぶりであったが、韓国メディアの報道を鵜呑みにするのは危険としても、NYTの記事なら幾らかは参考になるはずである。この記事の通りであれば、廣木総領事の対応は愚かの一言である。

NYTによれば、廣木総領事は河野談話小泉首相のお詫びの手紙をパリセイズパーク市長の前で読み上げたということである。それで慰安婦の碑の撤去を求める積りだったようだが、もしもこの通りだったとすれば総領事はよほどやる気がなかったのだろう。

日米友好の桜を植える廣木(2012.5)
情報戦は苦手?

例えば米国の大統領が原爆について謝罪したとする。・・・だから、原爆ドームを撤去してくれという話になるだろうか?謝罪の有無と碑(メモリアル)の存在はまったく関係ない。当然、パリセイズパーク市側もそのように感じたろう。そもそも慰安婦の碑には「日本政府は謝罪していない」とは一言も書かれていない。この碑に「日本帝国政府の軍隊により拉致された20万人以上の女性と少女たちを偲ぶ」と書かれているのが問題であって、これは運動家らが国際的に撒き散らしている対日プロパガンダであり、つまり、この碑は日本に対する悪意に基づいて建てられた物なのである。総領事は突っ込むポイントを間違えている。

反省しています。謝罪もしました。だからもう勘弁して下さい。・・・これが自民党時代から変わらない日本政府の基本姿勢。これは、「軍隊の買春」に厳しい現在の国際常識の元では、政府の態度としては仕方のない部分もあろう。「お宅の国も目クソ鼻クソ」とは言えないのが成熟した国家の辛い所である。日本領事館の岩井氏の慎重な物言いがそれを象徴している。しかし、それにしても、碑文の内容と無関係に日本政府のこれまでの公式見解を繰り返しただけの廣木総領事のやり方はお粗末すぎる。

というのが、KAVCの理事の本音なのだが・・・

この記事からはもう一つ、日本側が反発すればするほど反日グループを喜ばせるという構図が明らかになっている。かつて、2007年の米下院の慰安婦決議採択運動を主導したアナベル・パクは、当初アメリカの議員たちは慰安婦問題について興味を示さなかった、その流れを変えたのは安部首相の失言(日米のマスコミのミスリードというのが実態)であると述べた。日本にちょっかいを出し、一部の日本人がそれに反発すると、それを栄養にしてさらに日本叩きキャンペーンを加速させる。彼らは憎しみを餌として成長し続けているのである。これだけのネガティブ・キャンペーンをやられて反発するなというのも無理な話だろうが、反撃するなら上手にやらねばならない。

空気が読めない日本側に比べ、反日グループは戦略的である。「我々韓国系アメリカ人は、この問題を世界的な人権侵害というレベルで見ている」。そう。これは決して反日でもないし、日本人に対するヘイトでもない、と彼らは取り繕っているのである。・・・その実、韓国のメディアには結構本音を喋っていたりするのだが・・・。

NYTは一応両者に取材している。記事が一方的になっているとすれば、それは日本側にも問題があるということだろう。嘘がつけない(日本)政府と何でもありの市民団体の戦いがハンデ戦であることは確かだが、もう少しやり様があるはずである。

追記(2012.6.21): 自民党の新藤義孝が公開しているビデオには、外務省の役人が保守派の代議士に尻を叩かれている様子が映っている。廣木総領事はこうした圧力を受けてこのような行動を取ったものと思われる。また、ビデオを見ると、外務省の役人たちが河野談話によって手足が縛られている様子が分かる。彼らを非難するのは筋違いかもしれない。

ニュージャージー州で、慰安婦記念碑が古い恨みを深化させる

KIRK SEMPLE

日本の公人の二つの代表団が今月、ある要請を携えニュージャージー州パリセイズパーク市を訪れ現地の行政関係者を驚かせた--来訪した日本人らは公立公園にある小さなモニュメントの撤去を求めたのだ。

真鍮の銘板つきの石のモニュメントは、2010年にいわゆる慰安婦、すなわち第二時大戦中に日本兵によって性奴隷制度に強制された多くは朝鮮人からなる数万人の女性や少女たちの思い出に捧げられた物だった。

しかしながら、日本人たちによるモニュメント撤去のロビー活動は反発を招いたようだ。・・・そして慰安婦問題という両国間の積年のトゲを巡る日本と韓国の間の敵意を深化させた。

ハドソン川からマンハッタンに渡る行政区であるパリセイズ・パーク市の当局は要求を拒否し、そして現在、日本人たちの努力は韓国(朝鮮)系のグループをニューヨーク地区や全米に更に多くのモニュメントの建設計画へと駆り立てた

「実際彼らは我々を助けてくれてます」国政調査局によれば人口の過半数である約2万人が韓国(朝鮮)系であるパリセイズ・パーク市の記念碑の為に奔走した市民団体、韓人有権者団体(KAVC)の弁護士Chejin Parkは言う。「この問題に対する(一般人の)意識を高めることが出来ます」

韓国人グループは、中国系移民のニューヨーク市会議員ピーター・クーによるクイーンズ、フラッシングにの通りを慰安婦に敬意を表して改名しようという提案に対する日本での手紙による反対キャンペーンによって更に突き動かされた

パク氏は、先週一週間かそこらで、彼の団体はニュージャージーやテキサスの少なくとも5つの韓国人コミュニティーの世話人たちから、自分たちでも記念碑を建てたいという電話をもらったいう。カリフォルニア州とジョージア州で計画中の最低4つの記念碑に続くものであると氏は付け加えた。

パリセイズパークのモニュメントはアメリカにおける慰安婦に捧げられた唯一の物だと行政府の関係者は言う。

「ニューヨークのフラッシングを手始めに、韓国(朝鮮)系アメリカ人コミュニティの主な地区で建立を続ける」同地区で最古の韓国人コミュニティ組織の一つである大ニューヨーク韓国系アメリカ人協会の理事であるポール・パクは言う。「我々韓国系アメリカ人は、この問題を世界的な人権侵害というレベルで見ているのです」。

慰安婦伝来の日本と韓国との間の緊張は、韓国の首都ソウルの日本大使館前の向いに犠牲者の名誉を称えるブロンズの像が12月に設置された時に再び火がついた。日本政府は韓国の当局に像の撤去を求めたのである。

日本の指導者達は彼らの公式の謝罪、すなわち悔悟の表明と慰安婦に対する扱いに関する責任を認めた事実は十分であったと言ってきた。犠牲者たちの為の10億ドルの基金の提供を含めて。しかし、多くの韓国人はそれらの行動は不十分だと主張する。生存する犠牲者たちは民間基金である事を理由に基金を拒否してきた。犠牲者たちは日本政府からの賠償を求めている。

パリセイズパークのジェームズ・ロタンド市長は、ロビー活動は先月の暮れからそれとなく始まったという。ニューヨークの日本領事館の役人たちが(パリセイズパーク市の)行政府の行政官にEメールで会談を求めてきた。

会見を振り返って市長は言う。「私は秘書(?)を読んで『何事か』と尋ねたんです」「すると彼女は『日米関係に関するものです』と言うから、『ああ、じゃあいいよ』と言ったんです」。

5月1日の最初の会談は十分なごやかに始まった、と彼は言う。代表団は廣木重之が頭を務め、彼はアフガニスタンにおける自分の仕事を含めた自身の経歴について話した。「細かいことですよ」とロタンド氏は言う。

すると話は突然変わったとロタンド氏は言う。総領事は二つの文書を取り出し、声に出して読み上げたのだ。

一つは日本政府が軍当局が慰安婦の強制や苦難に関与したことを認めた1993年の当時内閣官房長官であった河野洋平の談話のコピーで、もう一つは当時首相であった小泉純一郎の慰安婦生存者に彼女たちに対する取り扱いを謝罪した手紙であった。そして、廣木氏は、日本政府が「記念碑の撤去を望んでいる」と告げたとロタンド氏は回想する。

ロタンド氏は、総領事が日本政府が地元に桜の木を植えたり公立の図書館に本を寄贈する考えがあるとも、「その他にも、我々がこの世界で一つであり別個の存在でないことを示す何らかの事をする」と語ったと言う。しかしながら、それには記念碑の撤去が条件だった。「私は自分の耳が信じられませんでした」と会見に同席した韓国系アメリカ人でもあるジェイソン・キム副市長は言った。「血が逆流しました」。パリセイズパークの役人たちは要求を拒絶し、代表団は去った。

第二の代表団は、4人の国会議員に引き連れられ5月6日にやって来た。彼らのアプローチはより非外交的であったとロタンド氏は言う。野党自民党のメンバーであった政治家たちは碑を撤去させようとして、パリセイズパークの関係者に対し慰安婦は決して性奴隷として強制的に徴集だれたものではないと納得させようとした。

「彼らは慰安婦は嘘だと言った。外部の斡旋業者が設置したもので、軍隊の面倒を見る為に報酬を得ていたのだと」と市長は説明する。「私は言いました。『撤去はしません。しかし、遠路はるばるありがとう』と」

ニューヨークの日本領事館はこのロビー活動については口が重い。今週行われたインタビューで岩井文男副領事は、総領事がモニュメントの撤去を要求したかについては答えなかった。ただ、総領事がモニュメントの撤去の見返りに地元支援を提案したという事については否定した。廣木氏は「そのような条件は一切出していません」と彼は言う。

岩井氏は、パリセイズパーク市に特別な事でないにしても、慰安婦問題は韓国政府と日本政府の間のハイレベルで討議が継続している問題だと語った。

「ですから」と彼は言葉を注意深く選ぶかのように間を置き、「問題はかなり複雑なんです」


追記(2013.6.10): この一件は、日本政府にとってもニューヨーク総領事館にとっても薬になったようだ。翌年(2013)フォートリー市でも慰安婦の碑が設置されることになったが、今度は日本政府も慎重。ただし、「適切に対処していく」気があるのかは疑問。


...在NY日本国総領事館は「その動向は承知しており、日本政府としては、慰安婦問題を政治問題、外交問題化させるべきではないと考えており、こうした立場に基づき、米国における慰安婦問題について、適切に対処していく」と述べた。...

※2 JB PRESS 2013.6.10

In New Jersey, Memorial for ‘Comfort Women’ Deepens Old Animosity


Two delegations of Japanese officials visited Palisades Park, N.J., this month with a request that took local administrators by surprise: The Japanese wanted a small monument removed from a public park.


The monument, a brass plaque on a block of stone, was dedicated in 2010 to the memory of so-called comfort women, tens of thousands of women and girls, many Korean, who were forced into sexual slavery by Japanese soldiers during World War II.


But the Japanese lobbying to remove the monument seems to have backfired — and deepened animosity between Japan and South Korea over the issue of comfort women, a longstanding irritant in their relations.


The authorities in Palisades Park, a borough across the Hudson River from Manhattan, rejected the demand, and now the Japanese effort is prompting Korean groups in the New York region and across the country to plan more such monuments.


“They’re helping us, actually,” said Chejin Park, a lawyer at the Korean American Voters’ Council, a civic group that championed the memorial in Palisades Park, where more than half of the population of about 20,000 is of Korean descent, according to the Census Bureau. “We can increase the awareness of this issue.”


Korean groups have been further motivated by a letter-writing campaign in Japan in opposition to a proposal by Peter Koo, a New York councilman and Chinese immigrant, to rename a street in Flushing, Queens, in honor of comfort women.


Mr. Park said that in the past week or so, his organization had received calls from at least five Korean community organizers around the country — in Georgia, Michigan, New Jersey and Texas — expressing interest in building their own memorials. These would be in addition to at least four memorials in the works in California and Georgia, he added.


The monument in Palisades Park is the only one in the United States dedicated to comfort women, borough officials said.


“Starting from Flushing, N.Y., we will continue the construction in the areas of major Korean-American communities,” said Paul Park, executive director of the Korean-American Association of Greater New York, one of the oldest Korean community organizations in the region. “We Korean-Americans observe the issue on the level of a global violation of human rights.”


Tensions between Japan and South Korea over the legacy of comfort women were reignited in December when a bronze statue in honor of victims was installed across the street from the Japanese Embassy in Seoul, the South Korean capital. Japanese officials have asked the Korean authorities to remove that statue.


Japanese leaders have said that their formal apologies, expressions of remorse and admissions of responsibility regarding the treatment of comfort women are sufficient, including an offer to set up a $1 billion fund for victims. But many Koreans contend that those actions are inadequate. Surviving victims have rejected the fund because it would be financed by private money. The victims are seeking government reparations.


Mayor James Rotundo of Palisades Park said the lobbying began obliquely late last month. Officials at the Japanese consulate in New York sent e-mails requesting a meeting with borough administrators.


“I called the secretary and said, ‘What is this about?’ ” the mayor recalled in an interview, “and she said, ‘It’s about Japanese-U.S. relations,’ and I said: ‘Oh. Well, O.K.’ ”


The first meeting, on May 1, began pleasantly enough, he said. The delegation was led by the consul general, Shigeyuki Hiroki, who talked about his career, including his work in Afghanistan — “niceties,” Mr. Rotundo said.


Then the conversation took a sudden turn, Mr. Rotundo said. The consul general pulled out two documents and read them aloud.


One was a copy of a 1993 statement from Yohei Kono, then the chief cabinet secretary, in which the Japanese government acknowledged the involvement of military authorities in the coercion and suffering of comfort women.


The other was a 2001 letter to surviving comfort women from Junichiro Koizumi, then the prime minister, apologizing for their treatment.


Mr. Hiroki then said the Japanese authorities “wanted our memorial removed,” Mr. Rotundo recalled.


The consul general also said the Japanese government was willing to plant cherry trees in the borough, donate books to the public library “and do some things to show that we’re united in this world and not divided,” Mr. Rotundo said. But the offer was contingent on the memorial’s removal. “I couldn’t believe my ears,” said Jason Kim, deputy mayor of Palisades Park and a Korean-American, who was at the meeting. “My blood shot up like crazy.”


Borough officials rejected the request, and the delegation left.


The second delegation arrived on May 6 and was led by four members of the Japanese Parliament. Their approach was less diplomatic, Mr. Rotundo said. The politicians, members of the opposition Liberal Democratic Party, tried, in asking that the monument be removed, to convince the Palisades Park authorities that comfort women had never been forcibly conscripted as sex slaves.


“They said the comfort women were a lie, that they were set up by an outside agency, that they were women who were paid to come and take care of the troops,” the mayor related. “I said, ‘We’re not going to take it down, but thanks for coming.’ ”


The Japanese consulate in New York has been reluctant to discuss its lobbying.


In interviews this week, Fumio Iwai, the deputy consul general, would not say whether the consul general had requested that the monument be removed. But he denied that the consul general had offered to help the borough in return for the monument’s removal. Mr. Hiroki “did not offer any such condition,” he said.


Mr. Iwai said the issue of comfort women, if not Palisades Park specifically, was the subject of continuing discussions “at a very high level” between the governments of South Korea and Japan.


“So,” he said, pausing as if to choose his words carefully, “things are quite complicated.”

※2
ニュージャージー州バーゲン郡フォートリー・メモリアルパークに新たな慰安婦碑を設置する活動を続ける韓国系団体同士が対立していた記念碑のデザインや文字について、表記などの合意に達したと地元ニュースサイト「フォート・リー・パッチ」が報じている。

 4月10日付同サイトは、記念碑設置やデザインを提案した団体「フォート・リー・コリアン・アメリカン・ベトナム・ウォー・ベテラン」に対し、他団体「コリアン・アメリカン・シビック・エンパワーメント(KACE)」が、提案デザインにある旭日旗を取り除くことや文字の表現を変更することなどを求めていた。

 合意に達した内容として、当初の表記「sexual service」(性的サービス)から「sexual slavery」(性的奴隷)に変更されたほか、「Japanese Imperial Army」 (日本帝国軍)を 「Armed Forces of Imperial Japan」(大日本国防軍)に変えることで一致した。

 この動向についてフォート・リー区役所は「慰安婦設置に対する議論は現在も継続されている状態」と話した。

 在NY日本国総領事館は「その動向は承知しており、日本政府としては、慰安婦問題を政治問題、外交問題化させるべきではないと考えており、こうした立場に基づき、米国における慰安婦問題について、適切に対処していく」と述べた。

 慰安婦碑設置に議論が続くフォートリーは、毎年5月に国際子供の日のパレードが開催されて鯉のぼりなども市役所前に掲揚されるなど、かつては日本人家族が多く住むエリアだったが、最近は韓国系、中国系の増加が目立つ。

 慰安婦碑は同郡パリセーズパークにもすでに設置されており、これまでに日本の議員団が撤去の申し入れを行ったが、行政当局から「撤去の意志はない」と断わられたいきさつがある。

2012/05/27

良い徴兵(用) 悪い徴兵



そもそも日韓基本条約とは何だったのかを改めて考えてみた方がいいかもしれない。

「植民地支配と直結した不法行為」・・・そういえば、韓国のメディアは、現韓国政府も徴兵制度を採用しているにも関わらず、戦前の徴兵を「強制徴兵」などと書く。日帝時代の徴兵(徴用)は、悪い(不法)な徴兵で、韓国政府の徴兵は良い徴兵ということらしい。

韓国:対日個人請求が活発化…戦時徴用、解決難しく

【ソウル澤田克己】戦時中に徴用された韓国人元労働者が未払い賃金と慰謝料の支払いを日本企業に求めて韓国内で提訴する動きが表面化した。韓国最高裁が24日、個人請求権の消滅を定めた65年の日韓請求権協定の効力を元徴用工には認めないという新しい判断を示したためだ。日韓両政府間では決着済みとされてきた問題だけに解決策を探るのは簡単ではなさそうだ。

26日、勤労挺身(ていしん)隊として三菱重工業名古屋航空機製作所(当時)などで働いた女性(84)ら9人が1人当たり1億ウォン(約670万円)の支払いを求める損害賠償訴訟を韓国内で起こす準備を進めていることが判明。代理人の李尚甲(イ・サンガプ)弁護士は毎日新聞の取材に「他にも提訴の準備を進めているグループがある」と話す。元徴用工は約6万人が存命とされ、遺族にも提訴の動きがあるといわれる。

一方、韓国各紙は26日、協定に基づき日本が供与した請求権資金を受け取ったポスコ(旧浦項総合製鉄)が、韓国政府が設立を準備する元徴用工の支援財団に100億ウォン(約6億7000万円)を寄付すると報じた。

「社会貢献」としているが、ポスコは元徴用工から請求権資金が絡む損害賠償請求訴訟を起こされた(09年会社側勝訴)。他にも資金を受け取った韓国道路公社などが寄付を検討。元徴用工らの裁判を意識したとみられる。

最高裁判決は、国家権力が関与したり、植民地支配と直結した「不法行為に起因する損害賠償請求権が、協定の適用対象に含まれるとみるのは難しい」として、元徴用工の請求権は消滅していないとの判断を示した。

戦時中、日本企業で働かされた韓国人元徴用工9人が損害賠償などを求めた裁判。最高裁は原告敗訴の原判決を破棄し高裁に差し戻した。

毎日新聞 2012.5.27

2012/05/20

オバマ大統領に慰安婦の碑の撤去を求めるの請願




アメリカ、ニュージャージー州パリセイズ・パーク市の慰安婦の碑の撤去を求める署名運動。署名文のタイトルは、WE PETITION THE OBAMA ADMINISTRATION TO: Remove the monument and not to support any international harassment related to this issue against the people of Japan(モニュメントを撤去し、日本の人々に対するこの問題に関連するいかなる国際的なハラスメントも支持しないよう--オバマ政府に請願する)

日本政府(軍)による(主に朝鮮人女性からなる)慰安婦の強制連行(拉致)は、国際常識として定着してしまっている。この誤解を解くところから始めなければ何も変わらないというのが自分の考えだが、こういった試みを無駄と言い切ることも出来ないかもしれない。日本海呼称問題や、竹島問題のように、この問題が国際的な紛争事項であると理解すればアメリカの政治家たちの態度も慎重にはなろう。それでも、残念ながら先入観を払拭する所までは至らないだろう。それにはもっと時間の掛かる取り組みが求められる。現地へ行って「強く抗議する」だけではダメ。

慰安婦騒動をインターナショナル・ハラスメント(国際的な嫌がらせ)としたのは、よい発想だと思う。

6月9日までに2万5千名分の署名が集まるかだが、5月10日から10日で集まった署名は2,700。韓国なら、国民的運動になりそうなものだが・・・(追記:最終的には3万2千超になっていた)。日本語訳は、三原じゅん子オフィシャルブログより拝借した。

Remove the monument and not to support any international harassment related to this issue against the people of Japan.
False accusations regarding the South Korean comfort women issue have disgraced the people of Japan for decades. Over the past few years it has come to light that many of the original charges were false or completely fabricated.

Yet despite this new information, the United States continues to lend credence to the original false charges by memorializing the comfort women in a monument in New Jersey and a street name in New York. Not only is this perpetrating historical untruths, but it also leads unnecessary racial conflict and suffering of people of Japanese ancestry.

We strongly request President Obama to remove the monument and not to support any international harassment related to this issue against the people of Japan.

Created: May 10, 2012
Issues: Foreign Policy


オバマ政権への請願
碑を撤去し、この問題(いわゆる従軍慰安婦問題)に関する日本の人々へのいかなる国際的嫌がらせも支持しないこと

韓国の従軍慰安婦問題に関する誤った非難は、数十年にわたって日本人をはずかしめてきた。
過去数年の間に、元々の非難の多くは誤りであるか完全なねつ造であることが明らかになった。しかし、この新情報にもかかわらず、合衆国は、ニュージャージー州の碑やニューヨーク州の通りの名前を以て従軍慰安婦を記念することで、元々の誤った非難に信用を与え続けている。これは、歴史的な不実を侵すのみならず、無用の人種間摩擦を起こし日系の人々を傷つけるものである。
我々はオバマ大統領に対し、碑を撤去するとともに、この問題に関する日本人に対してのいかなる国際的な嫌がらせも支持しないことを強く求める。

2012/05/13

自民党議員NYに乗り込み慰安婦の碑に反論するも・・・



津田一郎は、新潟出身、元麻生太郎の秘書で、2007年に参議院議員として初当選。アメリカ留学の経験もある。この度、ニュージャージー州パリセイズパーク市に立てられた「慰安婦の碑」に対する抗議の為に現地に飛び、市長と面談した。その時の事を彼はブログで公表しているので、ちょっと見ていこう。

我々は「戦争当時に『慰安婦』の名前で民間業者が売春婦を雇っていた事実はあるが、政府や軍が関与したことはない!20万人が帝国政府軍に拉致されたというのは全く事実と反する!」と強く抗議しました。

気持ちは分からないでもないが、実のところそういう問題ではないし、そういう議論では国際社会は説得できない。そして何より、詰めも脇も甘い。

まず、そういう問題ではないというのは、慰安婦の数や日本軍により拉致されたか否かより、もっと本質的な問題として、パリセイズパーク市のこの慰安婦の碑が民族的偏見やヘイト(hate 憎悪)を煽ることを目的としたプロパガンダの一貫として建立されたという事実である(実際に建立運動に携わっている個々人の動機は関係ない)。ヘイト・スピーチやヘイト・クライム(犯罪)は、多民族国家であるアメリカでは許されないこととされている。韓国やアメリカの研究者の中にも韓国の政治団体が主導するこの「日本軍性奴隷制」キャンペーンをジャパンバッシングとして批判的に見ている人はいる。そういった人々の意見を英語に訳してパリセイズパーク市側に読ませればいいのである。実際に英語の本も出ているのに、なぜそれを活用しないのか?最低限、この問題が日本と韓国という二つの国の間の非常にデリケートな政治問題であるという事を理解させれば、第三者としてのアメリカ社会は慎重にならざるを得ないのである。


慰安婦の碑と津田一郎参議院議員
留学経験のある津田は米国流を承知のはずだが・・・


慰安婦の強制連行(徴用)論争が強制連行派の敗北に終わってしまった日本だから、日本側が歴史的事実に拘るのは仕方ないのかもしれない。

しかしである。事実を訴えて日本側がこれまで一度でも成功したことはあったのか?司法の場でも学会でもない場所での争いでは、しばしば情が通れば理屈は引っ込むのである。最大の敗北は2007年のアメリカの慰安婦決議であったが、この時も日本の政治家や有志によりアメリカの新聞紙上に掲載されたThe Facts(事実)というタイトルの意見広告が裏目に出た。これにより日本を擁護していた議員たちも、日本をフォローしきれなくなり、結果的に決議案採択の引き金を引いてしまった。その時のことを元オランダ大使東郷和彦は悔いをもって書き記している

塚田らは、失敗から何も学んでいないようである。日本の保守派は、情に客観的事実で対抗しようとしても勝てないというのが理解できない(今回も、産経の取材に対し副市長は「まずは韓国で被害者に面会すべきだ」と反論?したという)。だから何度でも突進しては同じ失敗を繰り返す。


2007年、東郷元オランダ大使は
空気の読めない日本の保守層に足を引っ張られた


産経新聞によれば、パリセイズパーク市の市長は面会のあと地元メディアに「彼ら(日本の議員たち)は歴史を変える使命を帯びているのかもしれない」と述べたらしい。誤解を解くどころか、「歴史を歪曲する日本」というイメージをより強固なものにしてしまったようだ。2007年の時と同じく、状況を悪化させただけで終わったのである。韓国側はさぞかし喜んだだろう。

日本の憂国議員たちのバンザイ・アタックは常に反日勢力のいいカモになっている

一方で、同じく市長と面会した韓国の国会議員は韓国のメディアにこう語っている。「政府よりも民間の人権運動として対応するのが効率的だという意見もある」。成果を得る為にはどうアプローチしたらいいか、彼らはよく究している。

事実といえば日本側の論者の脇の甘さは相変わらずで、「民間業者が売春婦を雇っていた事実はあるが、政府や軍が関与したことはない」。本当にこの通り発言したとすれば大嘘である。彼女たちは軍の要望があって慰安婦として働いていたのである。こういう詰めの甘さがどういう結果をもたらすかは、安倍晋三首相の失敗を見れば明らかだろう。安倍が迂闊な言葉を口にした為に揚げ足を取られたのは、津田が初当選した2007年ではなかったのか?

慰安婦決議は安倍総理のお陰と言った121連合のアナベル・パク
日本の政治家の失言は常に敵を利して来た


ただ、塚田らの訪米が全てマイナスだったと判断するのはまだ早いのかもしれない。


「慰安婦の碑」に強く抗議

北米時間、7日あさ5時過ぎ、ニューヨークのホテルでこのブログを書いています。

初日の6日、ワシントンDC到着直後、国内線に乗り換え「特別ミッション」のために山谷議員、古屋議員とともにニューヨーク経由でニュージャージー州に向かいました。

韓国ソウルの大使館前に「慰安婦の碑」が建てられたことは知られていますが、実は米国のニュージャージー州のパリゼイズ・パーク市の公立図書館前にも同様の碑が建設され「日本帝国政府の軍によって拉致された20万人以上の女性と少女」と記されています。

この事実と全く異なる内容について抗議するため現地に向かいました。

マンハッタンから車で約30分、パリセイズ市に入ると町中の店の看板にハングル文字が書かれています。同市は住民の3分の1が韓国系で全米で最も多い地域の一つです。

韓国系の影響は経済のみならず政治、マスコミにも及んでいます。

はじめに訪れた図書館前では、韓国系のテレビカメラが待ちかまえていました。問題の碑(写真下)を確認してから市役所まで徒歩で向かいました。

市役所前でも韓国系メディアが大挙してテレビカメラを回しています。日系は産経新聞だけです。

会談は当方が古屋議員、山谷議員、現地で合流した竹本議員と私、先方がロトンド市長、キム副市長、リー市議会議長、ロレンソ管理官、クマール図書館長他のメンバーで行われました。

当初から市長の両脇を韓国系副市長と議長が固め「無言の圧力」をかけている様子が分かりました。

我々は「戦争当時に『慰安婦』の名前で民間業者が売春婦を雇っていた事実はあるが、政府や軍が関与したことはない!20万人が帝国政府軍に拉致されたというのは全く事実と反する!」と強く抗議しました

同市は3名の専門家や慰安婦から直接確認したことに基づき碑を建設したと説明するだけで事実を歪曲したことを認めようとしません。

2時間近く議論しましたが平行線のまま時間切れとなり、再度、双方が資料などを提出して確認することで会談を終えました。

今回の現地視察で韓国系アメリカ人が国への帰属意識を高めるために反日プロパガンダを政治的に利用していることが理解できました。

夜はニューヨークの大使公邸で現地の日本人学校の関係者の皆さん懇談しました。

私から廣木大使(ニューヨーク総領事)に「今後も米国内で韓国系住民により同様の動きが出る可能性が高いため外務省は十分に注視するべきである。」と伝えました。

帰国後、国会においても同様の問題提起を行います。

今朝8時のアム・トラックでワシントンDCへ戻ります。


産経新聞は日本側は市側と対照的に客観的な資料を提示したと書いているが、問われるべきは結果であって、自己満足など一文にもならない。しかし、この問題を取り上げてくれる産経新聞には感謝している。長くなるので、産経の記事については次回に譲る。

韓国政府--慰安婦という言葉を使わない配慮



慰安婦問題「前向き対応を」と李大統領=野田首相「知恵絞る」-日韓首脳会談

【北京時事】野田佳彦首相は13日午後(日本時間同)、北京市内のホテルで韓国の李明博大統領と約30分間会談した。大統領は旧日本軍の従軍慰安婦問題について直接言及しなかったが、同問題を念頭に「前向きな検討をお願いしたい」と発言。首相は「知恵を絞っていきたい」と応じるにとどめた。竹島問題に関するやりとりはなかった。

両首脳は、核実験の構えを見せる北朝鮮の挑発行為を防ぐため、米国も含む関係国で連携強化を図ることを確認した。

時事 2012.5.13

韓国大統領:元従軍慰安婦への賠償検討を要請 野田首相に

【北京・西田進一郎、澤田克己】野田佳彦首相は13日、北京市内のホテルで韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領と約35分間会談した。大統領は、旧日本軍の元従軍慰安婦の賠償請求権問題を念頭に「(昨年の)京都での首脳会談で取り上げた案件について前向きの検討をお願いしたい」と改めて要請。首相は「大統領とともに、知恵を絞っていきたい」と述べるにとどめた。

賠償請求権問題は、大統領が昨年12月に京都で開かれた首脳会談で対応を強く要求し、「決着済み」とする首相との間で平行線だった経緯がある。大統領は今回、引き続き解決を求めながらも「慰安婦」の言葉を直接使わないことで日本政府に配慮を示したとみられる。

一方、会談で首相は、自衛隊と韓国軍が防衛に関する秘密情報を交換する規則を定める「軍事情報包括保護協定(GSOMIA)」と、食料や輸送作業を融通する「物品役務相互提供協定(ACSA)」の締結に向けた調整が進んでいることに触れ、「安全保障分野での協力を強化していきたい」と要請した。大統領の発言は明らかになっていないが、「前進があったと理解してよい」(日本外務省)という。

毎日新聞 2012.5.14


来月にも米国で「慰安婦切手」発行 慰安婦ストリートや慰安婦の碑も


※ 参考

悪ノリが止まらない、といった感じである。慰安婦の碑に慰安婦道路、そして今度は慰安婦切手の発行の陳情。しかもこれらを韓国ではなく、アメリカでやろうというのである。今や、ヒュンダイの自動車やサムソンの携帯電話に続く、韓国の重要輸出コンテンツになったかのようである。少なくともK-Popよりはアピール力はあるかもしれない。これは皮肉ではなく、真面目な感想である。もちろんここで彼らが追悼しようとしているのは、「日本軍慰安婦」であり、韓国軍の慰安婦は存在しなかった事になっている。つまり、これは反日プロパガンダだと言っていいだろう。

こういった物が次々に作られていくのは、プロパガンダ史の貴重な資料になると思うので、自分としては怒りはあまり感じない。むしろ、現物が出てくるのを待ち遠しく思っている。例えば、アメリカ社会にとって、第二次大戦中に作られたの反日宣伝ビラは今となっては歴史の汚点であろう。もちろんこれについては、日本側も鬼畜米英をやっていたわけでお互い様であるのだが、日本人を猿に擬えた絵などは日系人を抱えるアメリカにとって大きな負の遺産となっているはずである。

では、これからアメリカで発行されようとしている慰安婦切手や慰安婦道路を、50年後、100年後のアメリカ社会はどのように評価する事になるのだろう?慰安婦騒動がジャパン(特定の国・民族に対する)バッシングだと指摘する声は、アメリカの中からも出ているのである。民族的憎悪や対立を煽るような所業に対して先進諸国は厳しい。これに加担した人々は、いずれ歴史の審判を受けることになるだろう。

ちなみに上の絵には、このように書かれている。「兵士である誰かさんにご挨拶。このジャップに会ったら、このロープを首に巻き、端を持って、おもいっきり!引っ張ってください」。

こういった絵が、人類史の負の遺産として博物館に収納されるのである。(追記:このニュースには続きがある)


ニューヨーク韓国人会、慰安婦追慕切手発行推進

最小10万枚..早ければ来月中旬発行の見込み

(ニューヨーク=聯合ニュース)イ・サンウォン特派員=ニューヨーク韓国人会が米国で日本軍強制慰安婦を追慕する切手発行を推進している。

ハン・チャンヨン、ニューヨーク韓国人会会長は12日(現地時間)聯合ニュースとの電話インタビューで「米連邦郵政局と慰安婦追慕切手発行を協議している」とし「早ければ今月末に議論が終わるものと見られる」と明かした。

ニューヨーク韓国人会は現在の連邦郵政局と切手価格、発行買収などを議論している。

ハン会長は「米国連邦下院で慰安婦決議案が通過されたので、発行に大きな問題はないと見る」と言い「予定通りに議論が終われば翌月中旬に慰安婦追慕切手が発行されるだろう」と話した。

切手が発行されれば米国から出た初めての慰安婦記念切手になるものと見られる。

切手デザインは昨年8月ニューヨーク・クィー ンズコミュニティ カレッジのホロコースト博物館で開かれた慰安婦追慕会に出品された作品と慰安婦関連デザイナーらの作品など10~20点余りを検討して最終的に決める計画だとニューヨーク韓国人会は伝えた。
切手発行買収は最小10万枚以上になることだと一人会は付け加えた。

ハン会長はまた「アメリカ地域の韓国人団体会長が力を集めて日本軍慰安婦記念碑を米国全域に拡大する事業を推進している」としながら「ニューヨークのプルロシンイナ クィンズに記念碑をたてようと市議会議員らと接触している」と明らかにした。

現在の米国にはニュージャージー州パリセイズパーク市に慰安婦記念碑がある。

だが、最近日本政府と政治家たちがパリセイズパーク市側に撤去を要請した事実が知らされ、韓国海外同胞らの反発を呼びおこした。 パリセイズパーク市場は日本の撤去要請を断った。

ハン会長はこれと共にプラッシングのコリアタウンに米国最初に慰安婦を記念する道路「慰安婦追悼ストリート'(仮称)を作ろうと市当局と議論している」と付け加えた。


追記: 日本語版の記事も来た。こちらは若干短い。

ニューヨーク韓国人会 慰安婦追悼切手の発行推進

米ニューヨークの韓国人会が旧日本軍の従軍慰安婦被害者を追悼する切手の発行を推進していることが13日までに分かった。早ければ来月中旬にも米国で発行されるという。

ニューヨーク韓国人会のハン・チャンヨン会長は聯合ニュースの取材に対し、米国の郵政当局と切手の額面や発行枚数について協議していることを明らかにした。特に発行に関して問題はなく、今月中には協議が終了する見通しを示した。実現すれば、従軍慰安婦を追悼する切手が米国で初めて発行されることになる。

切手のデザインについては、昨年8月にニューヨークのホロコースト博物館で行われた追悼会に出品された作品などが候補に挙がっている。

ハン会長によると、米国各地の韓国人会は慰安婦の追悼碑を全米に広げる事業も推進している。ニューヨークではコリアンタウンのあるフラッシングに碑を建てようと地元議員らと接触しているという。

現在米国には、ニュージャージー州パラセイズ・パーク市の公立図書館に慰安婦碑がある。同碑は日本政府が撤去を要請したが、市はこれを拒否した。


뉴욕한인회, 위안부 추모우표 발행 추진


최소 10만장..빠르면 내달 중순 나올 듯


(뉴욕=연합뉴스) 이상원 특파원 = 뉴욕한인회가 미국에서 일본군 강제 위안부를 추모하는 우표 발행을 추진하고 있다.


한창연 뉴욕한인회 회장은 12일(현지시간) 연합뉴스와의 전화통화에서 "미 연방 우정국과 위안부 추모 우표 발행을 협의하고 있다"면서 "빠르면 이달 말께 논의가 끝날 것으로 보인다"고 밝혔다.


뉴욕한인회는 현재 연방 우정국과 우표 가격, 발행 매수 등을 논의하고 있다.




한 회장은 "미국 연방하원에서 위안부 결의안이 통과됐기 때문에 발행에 큰 문제는 없을 것으로 본다"면서 "예정대로 논의가 끝나면 다음 달 중순께 위안부 추모 우표가 발행될 것"이라고 말했다.


우표가 발행되면 미국에서 나온 첫 위안부 추모 우표가 될 것으로 보인다.


우표 디자인은 지난해 8월 뉴욕 퀸즈 커뮤니티칼리지의 홀로코스트 박물관에서 열린 위안부 추모회에 출품됐던 작품과 위안부 관련 디자이너들의 작품 등 10∼20여 점을 검토해 최종적으로 결정할 계획이라고 뉴욕한인회는 전했다.


우표 발행 매수는 최소 10만 장 이상이 될 것이라고 한인회는 덧붙였다.


한 회장은 또 "미주 지역의 한인 단체 회장들이 힘을 모아 일본군 위안부 기림비(추모비)를 미국 전역에 확대하는 사업을 추진하고 있다"면서 "뉴욕의 플러싱이나 퀸즈에 기림비를 세우려고 시 의회 의원들과 접촉하고 있다"고 밝혔다.


현재 미국에는 뉴저지주 팰리세이즈파크시에 위안부 기림비가 있다.


하지만 최근 일본 정부와 정치인들이 팰리세이즈파크시 측에 철거를 요청한 사실이 알려져 한국 교민들의 반발을 불러 일으켰다. 팰리세이즈파크 시장은 일본의 철거 요청을 거절했다.


한 회장은 이와 함께 플러싱의 한인 타운에 미국 최초로 위안부를 추모하는 도로인 `위안부 기림길'(가칭)을 만들려고 시당국과 논의하고 있다"고 덧붙였다.

2012/05/11

[ソース] パリセイズパークの慰安婦碑と韓国議員


「政府よりも民間の人権運動として対応するのが効率的だ」←ココ、ポイントか。もちろん国や公的機関がやった方がいいこともある。しかし、逆に国や国のトップが直接動くべきでない場合もある。外国の一地方都市の碑を撤去させるのに、総領事を動かしたのは失敗だったと自分は思う。

日本が撤去要請した米慰安婦碑 韓国議員が献花

【ニューヨーク聯合ニュース】日本政府が撤去を要請した米ニュージャージー州パラセイズ・パーク市の旧日本軍従軍慰安婦の碑を韓国の国会議員が訪問した。同市の公立図書館に設置された碑については、在ニューヨーク日本総領事や自民党議員らが現地を訪問して撤去を要請したが、市はこれを受け入れなかった。

 訪問したのは、韓国国会の議長職務代行を務める与党セヌリ党の鄭義和(チョン・ウィファ)国会副議長や同党の金忠環(キム・チュンファン)議員、最大野党・民主統合党の張秉浣(チャン・ビョンワン)議員ら与野党の4議員。4人は碑に献花し、ジェームズ・ロタンド市長と会談した。

 会談で4人は、日本の要請を拒否したことに謝意を示した。同市長は碑について、「従軍慰安婦問題のようなことは2度と起こってはならないという目的で碑を建てた」と説明し、撤去要請には応じないとの意向をあらためて示した。

 張議員によると、今回の件で慰安婦碑が注目を浴び、ほかの自治体から碑建立に関する問い合わせがあったと、同市長が明らかにしたという。

 張議員は日本の撤去要請に関連し、「在米韓国人の間で韓国政府が積極的に対応しなかったとの声が出ているが、政府よりも民間の人権運動として対応するのが効率的だという意見もある」と話した。

2012/05/07

韓国軍の慰安所 キム・キオック(金貴玉)

キム・キオック(金貴玉)は朝鮮戦争世代ではない。男であれ女であれ、朝鮮戦争を体験した世代ならまた別の感想があったかもしれない。彼女の主張は、日本のフェミニストが語る慰安婦論に近い。

訳者の配慮かもしれないが、「」つきで「慰安婦」と表記し、軍の統計表を見て「慰安の強要」の回数だと言う(たぶん、資料には強制とは書かれていないだろう)。彼女によれば、韓国政府は日本政府と同様に「女性の身体を管理・統制して軍人の身体を保護するという、身体の政治学を活用した」のだそうだ。

戦後教育を受けた世代だけに、彼女も日帝嫌いで独立派贔屓であるようだ。日本軍を「日本帝国主義の戦争代理人」(この言葉の発案者は別人)と呼び、韓国軍の慰安所作り携わった韓国軍人の日本統治時代の経歴を、独立派に対する抑圧者として語るところからも、そんな心情が滲み出ているようである。

キムは1996年には韓国軍にも慰安婦が存在した事に気づいていたが、日本の「極右」を利するなどという警告もあり、長くこれを公表しなかった。冷静に考えれば、韓国軍慰安婦の存在を公にする事がなぜ日本の右翼を利するのか意味不明である。日本糾弾派の日本叩きがやり難くなるだけの話である。とはいえ、彼女は日本叩きに配慮して公表を躊躇ったわけではないだろう。彼女が韓国ではなく日本(立命館大学でのシンポジウム)でこの事実を発表したのはやはり不自然で、韓国では言い出せる雰囲気ではなかったというのが真相なのかもしれない。

彼女は日本の「右翼(保守派)」に対する偏見を隠そうとしないが、彼女自身認めているように、韓国の進歩的な人々も、韓国軍の慰安所も性奴隷制度だという彼女の考えに必ずしも同調してくれない。日本の場合も同じなのである。慰安所を「性奴隷制度」だと見做さないのは、何も右翼に限った事ではない。彼女が右翼と呼んでいる日本人の中には、比較的中立な立場の人もいるはず。

また、彼女は日本軍慰安婦を公娼と同列に扱う事に反発する韓国の運動家たちが「韓国軍『慰安婦』問題に対しては『公娼』であるとし、議論の余地のないものとする」という事にも気づく。そして、彼女が韓国軍の慰安所について発表してから、韓国政府は関連資料の閲覧を禁止した。あれほど執拗に日本政府に情報公開を迫る挺対協は、そのことについて何も言わない。

結局、日本軍の慰安所システムとは何だったのか?韓国では世界史上に類例を見ないとか戦争犯罪などと言われるが、彼女も察しているように、こういったシステムは洋の東西を問わず昔から存在したのである。しかし、彼女はまだそれを全面的に肯定する気持ちにはなれないようである・・・。

キムは、「インドシナ戦争時にフランス軍によって『移動式娼婦村』がつくられ、ベトナム戦争当時に米軍専用のベトナム女性の『売春宿』が設けられたように、軍『慰安所』はあらゆる戦争の必要悪なのか」と疑問を呈しながら、けっきょく答えをはぐらかしている。


1991年8月の金学順さんの証言があるまで、日本軍性奴隷問題は周知の事実でありながらも、正史としてとりあげられてこなかった。

歴史を変えたこの証言(金学順証言)の後、日本軍性奴隷問題は韓国のみならう朝鮮民主主義共和国、日本、中国などを含む、まさに世界的な問題として関心を集めることとなった。[...]私は、1996年に[...]朝鮮戦争当時、大韓民国陸軍が徴集した軍「慰安婦」が存在したことを知った。だが、この事実を公開するまでには7年の月日がかかった。 
[...]韓国の国防部所属資料室にあった韓国軍「慰安婦」関連資料の閲覧は禁止され、ほとんどのメディアも示し合わせたかのように沈黙した。「日本軍『慰安婦』問題でもないのに・・・・」と言葉をにごらせたのだ。

この時、私はあることに気づいた。これまで韓国の学会や女性運動は、日本軍「慰安所」制度と公娼制の連続性があるとする主張に対して辛辣に批判してきたが、一方では韓国軍「慰安婦」問題に対しては「公娼」であるとし、議論の余地のないものとする傾向があるということが見えてきたのである。一部の進歩的な男性たちですら、民族主義の名のもとに私の研究成果を身内の恥をさらすものとみなし、日本の極右の弁明の材料となりうると警告した。私もこうした事実の発見を喜んだわけではない[...]

日本軍と同じように韓国軍が軍「慰安所」を作ったのは、男性の耐え難い生理学的本能が普遍的に存在するからなのか?インドシナ戦争時にフランス軍によって「移動式娼婦村」がつくられ、ベトナム戦争当時に米軍専用のベトナム女性の「売春宿」が設けられたように、軍「慰安所」はあらゆる戦争の必要悪なのか?

ここに出てくるフランス軍の移動式娼婦村とは、Bordels Mobiles de Campagneのこと。遠征用移動式売春宿、といったところだろうか?しばしばBMCと略されるようである。


上の絵は、第3次リーフ戦争の一コマを描いたもの。もったいぶった足取りで「慰安所(BMC)」へ歩いて行く高級軍人を、部下たちが背後で笑っている。色黒の女性(慰安婦)たちはモロッコ人だろうか?当時モロッコはフランスの保護国であった。コリア・ヘラルドなどは、植民地の女性たちを使って売春宿を開設したなど世界史上例はないと言っていたが、そんな事はない(厳密に言うと、リーフ地方の支配者はスペイン)。

現時点で私は、大韓民国陸軍本部が1956年に発刊した『後方戦史(人事篇)』意外に軍「慰安所」に関する文書を探し出せていない。[...]以前私は、朝鮮戦争前後の国家暴力により女性に加えられたさまざまな性暴力を、4種類に類型化したことがある。[...]軍人の拉致あるいは強制結婚や性奴隷型も少なからずあった[...]一人、あるいは少数の女性たちが軍人により軍部隊へ拉致され、昼には「下女」として働き、夜には「慰安」を強要された[...]

私が1999年にインタビューした、朝鮮戦争に参戦した米国人ポール・フェンチャー(Paul Fancher)が属していた米軍部隊にも軍「慰安所」があった。また、韓国軍により体系的に「特殊慰安隊」が作られ、そこで軍「慰安婦」たちは軍人たちを「慰安」するよう強要されたのだ。[...]軍「慰安所」には、一定の場所に軍人が行くものと、「慰安婦」が軍部隊へと出張するものの二つの運営形式があったといわれている。

[...]設立当時、陸軍は軍「慰安所」を「特殊慰安隊」と呼んだ。この資料(引注:「後方戦史」)によれば、「特殊慰安隊」の内容は次のようなものである。
表面化された理由のみをもって、簡単に国家施策に逆行する矛盾した活動であると断じるなら別だが、実質的に士気昂揚はもちろん、戦争に伴う避け難い弊害を未然に防止することができ、それのみならず、長期間の代価なき戦闘で後方来往がなくなることにより、異性に対する憧憬が惹起され、その生理作用により性格の変化などの憂鬱症及びその他の支障をきたすことを予防するため、本特殊慰安隊を設置することになった。
軍記録によれば設置の表向きの目的は、第一に軍人たちの士気昂揚、第二に戦争による避け難い弊害に対する予防措置、第三に性欲抑制に伴う欲求不満や性格変化に対する予防であるとまとめられている。こうした設置目的は日本軍が「慰安所」を設置した主な理由、すなわち「節制しえない性欲」と性犯罪予防という理由と変わらない

[...]設置時期は不明確だが、1951年夏ごろに戦線が現在の休戦ライン付近で膠着状態に入ってからと思われる。閉鎖されたのは1954年3月である。


ここで彼女が「国家政策に逆行」と言っているのは、韓国では1947年に公娼制度が廃止されていたからである。日本軍慰安婦制度は当時の国内法にも違反!とはよく聞くフレーズだが、韓国でも慰安所政策は法のグレーゾーンに置かれていたようだ。そして、慰安所の設置目的は日本軍の場合と変わらないと。出張形式があったのも日本軍と変わらない。この話はイ・ヨンフン教授も書いている

米軍部隊専用の慰安所があったとも言っているが、「日本の謝罪を引き出し、再び女性が暴力の犠牲にならないことに役立つ」などと啖呵を切ったアメリカの議員たちから何かコメントが欲しいところである。

あなた方も当事者です

「慰安隊」設置の場所

①ソウル地区
第一小隊 ソウル特別市中区忠武路四街一四八番地
第二小隊 ソウル特別市中区草洞一〇五番地
第三小隊 ソウル特別市城東区神堂洞二三六番地

②江陵地区
第一小隊 江寮郡成徳面老巌里

③その他 春川、原州、束草など

[...]束草の軍「慰安所」は休戦以降私娼に変わり、その一帯に集娼地が形成されたものと考えられる。[...]1980、90年代初頭に至るまでこの私娼たちは一種の軍「慰安婦」としての役割を果たすことを強いられていたという。

予備役将軍、蔡命新(チェミョンシン)の証言によれば「当時わが陸軍は士気を振い立たせるために60余名を一個中隊とする慰安部隊を三、四個運営していた」という。60名一個中隊が三、四個ならば軍「慰安婦」の数はおおよそ180~240名前後と考えられる。

[...]上の実績統計表(引:後方戦史人事篇P.150)によれば、一人の「慰安婦」が一日に6回以上「慰安」を強要されていたことがわかる。

蔡命新の回顧録によれば、前線での「慰安部隊」の利用はチケット制であった。しかし誰にでもチケットが配られたわけではない。戦場で勇敢に戦い、功を挙げた順番に配られる。もちろん勲章をもらえば優先権が与えられ、羨望の対象となった。また、功勲の程度によってチケットの枚数は変わったという。

このように日本軍性奴隷たちが強要された「慰安」回数との間にそれほど差はなかったといえる。

「慰安」の回数まで日本軍の場合と差がなかった、慰安婦の健康管理についても日本軍と韓国軍のやり方に違いはなかったと彼女は言っている。

衛生検査

「慰安婦」は一週間に2回、軍務官の協力により軍医官の厳格な検診を受け、性病については徹底的に対策が講じられたという。言うなれば公娼制や日本軍「慰安婦」制度における性病対策と同じやり方で、韓国も女性の身体を管理・統制して軍人の身体を保護するという、身体の政治学を活用したのである。

[...]連隊一課にて中隊別第五種補給品(軍補給品は1~4種しかなかった)受領指示があったため見てみると、わが中隊にも週8時間を限度として6名の慰安婦が割り当てられていた。これは過去日本軍従軍経験があった一部連隊幹部たちが部下の士気昂揚のために発想したもので、わざわざ巨額の厚生費をかけてソウルから調達してきたものである。(引注:当時尉官将校であった金喜午・キムヒオの回顧録より)

[...]日本軍出身幹部たちが身につけた日帝の軍隊文化は、それほどまでに彼らの意識と無意識の奥深くに内面化されていたのである。こうしたなか、日本軍性奴隷制度を当然視してきた彼らにとって、それを模倣することは別段おかしなことではなかったのかもしれない。[...]韓国軍「慰安所」は、継続する植民地主義の一つの表れであり、韓国軍「慰安所」制度は日本軍「慰安所」制度の延長とみることができる。

「日帝が諸悪の根源」というのが彼女の結論らしい。日帝の軍隊文化が悪いから、それに染まった親日派軍人たちも悪い考えを持つようになった?しかし、再び本当にこれは日本(軍)に固有な習慣だったのであろうか?

[...]韓国軍「慰安所」設置の直接的な責任の所在を考えるにあたって、陸軍本部恤兵監室を外すことはできない。ここで 恤兵監室の前身の厚生監室を1949年に設立した朴(王へんに景)遠がどのような人物かを見なければならないだろう。彼は朴正煕 政権下で4代にわたり内務長官を含む長官職を5回歴任、日帝時代には学徒兵として参戦し開放直前に少尉として除隊、開放後には軍事英語学校を経て中将として予備役に編入された経歴を持つ。韓国現代史の支配勢力の一人であるといえる。[...] 朴(王へんに景)遠は、木浦(モッポ)商業学校で皇民化教育を受け、卒業後学徒兵として太平洋戦争に参戦、九州八○六一部隊高射砲中隊の小隊長を歴任した。[...]日本軍参戦過程で「慰安所」と軍性奴隷経験を自然に受け入れたであろうことは十分考えられる。その結果、韓国軍にも「慰安所」を設立する企画を立てたのではないだろうか。

また朝鮮戦争当時の軍位階序列からみて、恤兵監室より上位の陸軍本部が当然「慰安所」設立自体を承認していたであろう。また、1950年7月に大韓民国政府は軍作戦識見を国連軍(事実上米軍)に譲渡していたため、軍「慰安所」に対する最終的な承認は米軍が行っていたと考えられるが、未だ決定的な文書資料は発見できていない。ただ最近聞き取り調査で証言した薫定は、米軍専用「慰安婦」たちが前方まで連れていかれて活動していたのを目撃したという。

韓国軍関係者が日本軍時代の経験を通じて慰安所のノウハウを吸収したのは容易に想像できる。しかし、日本軍の文化に染まったから性奴隷制を「自然に受け入れた」とまで言っていいのか。その理屈なら、ベトナムでアメリカ軍が日本軍のとよく似た(秦郁彦)「慰安所」を設置した理由も、日本占領期の経験と関連があるのだろうか?やはりここでも、キムがドイツ軍などのケースとの対比を放棄してしまったのが惜しまれる。

また余談だが、イタリア軍にも「慰安婦」が存在した。下は映画「国境は燃えている(Le Soldatesse)」 (1965年/イタリア)の一シーン。この娼婦たちは、イタリア軍がギリシャで調達して来た女性たちである[要確認]


[...]国家機構であるところの陸軍本部は当時、軍「慰安所」の性格を「公娼」としてとらえていたといえる。[...]例えば太平洋戦争のころに極少数でも、日本人「慰安婦」のなかには天皇に対する忠誠心と愛国心を抱いていた女性が、自らすすんで「慰安婦」になった場合があったと考える。では、朝鮮戦争期の韓国女性のなかにも、国家への忠誠心と愛国心の発露として軍「慰安婦」になった者がいたと考えられるだろうか。[...]公開募集をしたという記録も見つけることはできていないが、金喜午の回顧録に、その女性たちのほとんどが、かならずしも器量良しには見えない幼い女性たちであるとしており、戦争前に私娼で働いていた女性だとは考えにくい。実際に軍「慰安婦」として働くことになった女性たちの例からは、「自発的動機」がほとんどなかったのではないかと思われる。ある女性は十代後半の未婚女性で、1951年春まで咸鏡南道永興郡に住んでいた。ある日、韓国軍情報機関員、いわゆる北派工作員たちにより拉致され、一日で韓国軍の軍「慰安婦」へと転落した。彼女はこのことに関する証言を拒んだが、拉致した北派工作員二名によりこの事実が証言された。

内戦という事もあり、韓国の慰安所政策は日本の場合よりも余裕のない中で計画されただけに、もしかしたら日本軍以上に過酷だった部分もあったのかもしれない。

すべての軍「慰安婦」たちがこのようであったと推定することは難しい。だが、他の「慰安婦」にされそうになった女性の証言からは、いわゆる「アカ」と疑われた状況におかれたため、軍人に殺されるかもしれないという恐怖心から軍「慰安婦」となることを拒めなかったことがわかる。また、強姦の結果、「慰安婦」とならざるを得なくなったケースもある。戦争による貧困と、家族から保護・扶養されることが難しいという困難な条件が幾重にも重なり、女性たちは軍「慰安婦」にならざるを得なくなったのかもしれない。こうしたことを考えてみても、また、朝鮮人女性たちの伝統的家父長制的純潔意識を考慮してみても、朝鮮戦争当時、特に未婚女性たちが自発的に軍「慰安隊」に志願したと判断することには無理がある。

よって国家の立場からみれば公娼であったとしても、女性たちの立場からみれば韓国軍「慰安婦」制度はあくまで軍による性奴隷制度であり、女性自身は性奴隷であったといえるだろう。そして、何人かの男性の証言にもあるが、1954年3月に軍「慰安隊」が閉鎖されたとき、日本軍と同じように、大部分の女性たちを捨てたにちがいないのである。

一応日本軍の場合、慰安婦を連れ戻す努力はしている。

この後もキムは色々と悩んでいるが、なぜ韓国では日本軍慰安婦は性奴隷として認識されているのに韓国軍のそれはそうならないのか、それは考えなくても分かる(分かるからこそ、彼女は煩悶するのだろう)。運動家や一部の「専門家」以外の日本人が慰安婦を奴隷とは思っていないように、普通の韓国人は韓国軍慰安婦を奴隷とは考えないのである。

北朝鮮の軍隊についてのキムの評価も当たっている部分もあろうが、実は中国軍にも「性の問題」があったのである。いつか紹介する機会があるかもしれない。北朝鮮や中国に対して甘くなってしまうのも、進歩的韓国人の特徴なのかもしれない。

韓国軍「慰安婦」問題が語られない理由は何だろうか?[...]日本軍「慰安婦」問題と比較するならば[...]日本軍による犯罪行為だと認識することにより「性奴隷」概念が受け入れられるようになった。しかし、韓国軍「慰安婦」問題に関してはどうだろうか。[...]朝鮮戦争時に軍「慰安婦」と接した経験を持つ男たちが「韓国軍『慰安婦』は「日本人」とでなく「韓国人」とそうしたのだから、それでもましだろう」という弁明をしているが、この言葉からは、この問題の隠蔽に関して民族主義イデオロギーと家父長制イデオロギーの双方が同時に作用していることを確認できる。
[...]朝鮮人民軍もまた、戦時性暴力の問題から自由ではなかったようだ。軍による性暴力事件が時々発生し、その処理問題のために苦心した痕跡があるのだ。しかし、韓国軍とは違い、軍の立場は明確だったようだ。民心を得るためには民衆に好感を持たれなければならないというのが、人民軍と中国軍の徹底した村民政策の立場だ。[...]朝鮮人民軍もこうした規則を遵守し、性暴力事件が発生した際には即決処分も厭わなかったと考えられる。[...]このため、朝鮮人民軍に軍「慰安婦」制度があったという証言や資料がどこからも出てこないのは、ある意味で当然ともいえる。[...]正当性を認められるためには民衆に危害を加えてはならず、また物的基盤が脆弱ななかで軍の紀綱を保つためには、厳格な法を示す必要があったという現実的な理由が作用した結果だと考えられる。いずれにしても、これらの点で日本軍出身者が主導的に作り出した韓国軍とは明確な差異があったのである。

[...]韓国軍「慰安婦」問題に接近する過程でわかったことは、この問題が日本軍「慰安婦」問題と別個のものではなく、植民地主義が続く過程で現れたものであるという事実である。

軍隊と性暴力 20世紀の朝鮮半島



自国にも慰安所があったことが明らかにされた韓国の研究者は(国防軍事編纂研究所の関係者にとっては、既知の事実であったはず)、「日本軍が・・・一般庶民を強制に連れてきて運営した従軍慰安所とは違う」と弁解している。ここでも、ポイントは「強制性」や「関与」ではなく、「強制連行」であるようだ。

「韓国戦争中にも軍慰安婦存在」韓国教授が主張

日本軍の慰安婦制度を真似た慰安婦制度が、韓国戦争当時、韓国軍にもあったという主張が提起されたと朝日新聞が24日報道した。

韓国の慶南(キョンナム)大学の客員教授の金貴玉(キム・キオック、40)氏は、23日京都の立命館大学で開かれた国際シンポジウムでこのように発表したと同新聞は伝えた。

金教授は「1996年以後、5年間『直接慰安所を利用したことがある』、『軍にら致され、慰安婦になった』など男女8人の証言を聴取した」と明らかにした。

金教授はまた「韓国陸軍本部が1956年編さんした公文書『後方戦史』に『固定式慰安所-特殊慰安隊』と記録された部分を発見し、これには4カ所で89人の慰安婦が1952年に限って20万4560回の慰安活動をしたという統計資料が添付されていた」と同新聞は付け加えた。

一方、国防軍事編纂研究所の関係者は『当時、軍は売春婦と合意の下で場所を提供した。また慰安行為の対価は部隊運営費から支給されたと聞いている」とし「しかし、日本の植民地時代に日本軍が人権を無視し、一般庶民を強制に連れてきて運営した従軍慰安所とは違う」と説明している。

2012/05/04

NY総領事「慰安婦の碑」撤去の代価を提案?

「日本側は追悼碑をなくす代価として桜の花見通り造成のための桜の木支援と図書館蔵書寄贈、 米日青少年交換プログラム新設、市が推進する事業に対する巨額の投資を約束しました・・・」という辺りが、ちょっと眉唾なのだが・・・。

別の韓国メディアの情報では、総領事は打ち合わせの最後に「慰安婦の碑」の問題を持ち出したというから[要確認]、交流事業の話は別に進んでいて、その打ち合わせのついでに苦情を言ったのかもしれない。日頃韓国メディアの報道に接している人なら分かると思うが、彼らは話を脚色するきらいがあるから額面通り受け取るのは早計かもしれない。

真面目な話、「戦争と人権侵害が繰り返されないため」と言われたら、あなた方アメリカ人は慰安所のお得意様だったのですよ、と「教育」してやればいい。アメリカ軍は日本占領期にも朝鮮戦争期にも慰安所を利用したし、台湾でも軍中楽園という名の「慰安所」の上客であった。

アメリカ人(の議員)たちは反日を動機にこうした運動に関わっているわけではないから、客観的な情報に接すると二の足を踏むというのが、自分の経験に基づく印象。


日本、米国の「慰安婦追悼碑」撤去外交露骨

米国に設置された日本軍慰安婦追悼碑について日本政府が撤去のための外交的動きを露骨に見せています。

米国、ニュージャージー州の韓人密集地域であるパリセーズパークには西欧で唯一、慰安婦追悼碑が設置されています。廣木重之駐米ニューヨーク総領事とナガセ・ケンスケ政務担当副総領事は昨日パリセーズパーク市庁を訪問して慰安婦追悼碑撤去を要求しました。米日関係推進プログラムに重大な障害物になるというのがその理由です。

日本側は追悼碑をなくす代価として桜の花見通り造成のための桜の木支援と図書館蔵書寄贈、米日青少年交換プログラム新設、市が推進する事業に対する巨額の投資を約束しました。日本の自民党議員4人も近い将来、市庁を訪問して追悼碑撤去を要求する計画だと伝えられました。

しかし、ロタンド、ペリセイズパーク市長は記者会見を行って「慰安婦追悼碑は戦争と人権侵害が繰り返されないための教育に必ず必要だ」として「今後も撤去圧力に屈しないだろう」と明らかにしました。

パリセーズパークにある追悼碑は米連邦下院で慰安婦決議案が全員一致で通過して3年余りたった2010年10月、韓人有権者センターを主軸に進行された米国同胞らの草の根市民運動の結果立てられました。

SBSニュース 2012.5.3
2ch 蚯蚓φ訳 (人名等一部修正)



中央日報の記事も追加: しかし、この碑を建てるに当たっては、当初議員たちの中に慎重な声もあったのである。それをKAVCなどが学生らを動員して説得して押し切った。その時の様子を2年前の中央日報はこう伝えていた。「一部では『日本軍慰安婦問題が私たちと何の関係があるのか』として反対した。 すると韓国人高校生インターンの活動を見守ってこれらを積極的に助けたパリセイズパーク図書館の職員が出て日本軍慰安婦の惨状を詳細に説明した。 そのような過程を経て決議案は表決を通過した」。・・・ロタンド市長の不快な表情の意味するものは、何だったのだろう?

KAVCなどが進めている日本軍性奴隷制度=ホロコースト・キャンペーン。昨年末に開かれたそのイベントに、ここの地元から7人の政治家が参加していたというのは初めて知った。



【取材日記】ニューヨーク日本総領事の失敗した“ニンジン”ロビー活動

先月30日(現地時間)、米ニュージャージー州の韓人居住地域パリセーズパーク市のロタンド市長は見慣れない電子メール1通を受けた。ニューヨークの日本総領事館が送ったものだった。米国と日本の友好増進について話があるので、非公式的に会いたいということだった。翌日、廣木重之総領事は副総領事を同行して市長室に現れた。

  廣木総領事はロタンド市長の関心を引く提案をした。市内に桜通りを造成し、図書館蔵書の寄贈はもちろん、青少年交流プログラムも推進しようと伝えた。市が推進する事業にすぐに投資する意向も表した。そして最後に一言こう付け加えた。「しかしパリセーズパーク市公立図書館の前にある日本軍慰安婦追悼碑が引っ掛かって…」。

  その時初めてロタンド市長は廣木総領事の思惑を知った。総領事を帰したロタンド市長は2日に記者会見を自ら要望した。ロタンド市長は「慰安婦追悼碑は、戦争と人権侵害を繰り返さないための教育に必要だ」とし「今後も繰り返される撤去の圧力に決して屈しない」と述べた。ロタンド市長の顔には不快な表情がはっきりと見えた。

  おそらく10年前ほどなら、日本総領事の贈り物ロビー活動が通用したかもしれない。しかし今は事情が違う。何よりも韓国人有権者の力が強まった。07年、日本政府の執拗な妨害工作にもかかわらず、米連邦下院は日本軍慰安婦決議案を全会一致で通過させた。韓国人有権者の票を意識したからだ。2010年パリセーズパーク市議会が慰安婦追悼碑の設置を承認したのも同じだ。

  さらに日本軍慰安婦は女性人権問題だ。約20万人の女性を性的奴隷として踏みにじっても謝罪しない日本政府の姿から、多くの米国人は真珠湾を爆撃した日帝の亡霊を思い浮かべるのかもしれない。昨年12月にニューヨークで、元慰安婦と独ナチスによるユダヤ人大虐殺の生存者が会う席に、ニューヨーク・ニュージャージーの政治家7人が出席した理由もここにある。

  もしかすると、数十年間とぼけてきた日本政府と右翼が最近焦り始めているのも、このためではないだろうか。日本は最近、ブラジル・インドと意気投合し、国連安全保障理事会の改革を叫んでいる。5カ国だけの安保理常任理事国の門戸を広げて日本も入ろうという心算だ。国連をはじめ、各種国際機構にも強く働きかけている。しかし気の毒だ。いくら贈り物をしても、米国の小さな都市の市議会一つ説得できない。まして過去に対する痛烈な反省なしに国連安保理常任理事国になろうというのが妥当なのだろうか。




일본, 미국내 `위안부 추모비' 철거 외교 노골화

미국에 설치된 일본군 위안부 추모비에 대해 일본 정부가 철거를 위한 외교적 움직임을 노골적으로 보이고 있습니다.

미국 뉴저지주의 한인 밀집지역인 팰리세이즈파크에는 서구에서는 유일하게 위안부 추모비가 설치돼 있습니다.

히로키 시게유키 주미 뉴욕총영사와 나가세 켄수케 정무담당 부총영사는 어제 펠리세이즈파크 시청을 방문해 위안부 추모비 철거를 요구했습니다.

미일 관계 증진 프로그램에 중대한 걸림돌이 된다는 이유에섭니다.

일본 측은 추모비를 없애는 대가로 벚꽃길 조성을 위한 벚꽃나무 지원과 도서관 장서 기증, 미일 청소년 교환 프로그램 신설, 시가 추진하는 사업에 대한 거액의 투자를 약속했습니다.

일본 자민당 의원 4명도 조만간 시청을 방문해 추모비 철거를 요구할 계획인 것으로 전해졌습니다.

그러나 로툰도 팰리세이즈파크 시장은 기자회견을 열고 "위안부 추모비는 전쟁과 인권침해가 반복되지 않도록 하는 교육에 꼭 필요하다"며 "앞으로도 철거 압력에 굴하지 않을 것"이라고 밝혔습니다.

팰리세이즈파크에 있는 추모비는 미 연방 하원에서 위안부 결의안이 만장일치로 통과한 지 3년여 만인 지난 2010년 10월 한인유권자센터를 주축으로 진행된 미국 동포들의 풀뿌리 시민운동 결과로 세워졌습니다. 

2012/05/03

[動画] ドイツ軍の慰安所

自分はドイツ語が分からないので、この動画の内容も来歴もよく分からない。グーグル・ビデオにある解説もドイツ語なのだが(動画はYouTubeのものと差し替えた)、幸いドイツ語と英語は、日本語と韓国語のように機械翻訳の相性がいいので、一旦機械が英語に訳した物を日本語に直してみた。例によって、元のドイツ語の解説を一番下に転記しておいたので、正確を期する場合はそちらを参考にしていただきたい。

※ グーグル・ビデオの解説と、ドイツ公共放送連盟 ADR の番組紹介を日本語に訳して下さった方がおられます。本文を、提供して頂いた訳文と差し替えました。なお、翻訳者から、ポーランドやウクライナが戦後まもな共産主義の検閲下(ナチスからの解放というプロパガンダの下)に入ったことも頭に入れておくべきとのアドバイスも頂きました。 (2013.5.28)


ドイツ軍の「慰安所」買春事情については、これまでにも何度かお伝えしているが、最近ではアメリカを舞台に日本軍慰安婦問題をホロコーストと結びつけるキャンペーンが盛んになってきているので、そろそろ日本人自身がこの問題を客観的に考えられるよう情報をまとめた方がいいのかもしれない。左上の写真は、ドイツ軍がフランスに開設した「慰安所」とされている。

なお、ドイツに学べ学べと言うアメリカ人の多くは、ドイツ軍の売春宿の存在を知らないか無視しているが、ドイツ政府はこれらの女性に何の補償も行なっていない。ドイツには慰安婦は存在したが、慰安婦問題は存在しない。


略奪品としての女性 ― 国防軍と売春

ポズナニ出身(訳注:ポーランドの都市)のマリア・K ー 国防軍のための強制売春の犠牲者1940 年のあとナチス当局は軍隊の売春宿の設置を開始した。女性は「モノ(Materialの訳)」と見なされ、無理矢理、占領地域や強制収容所で徴募(rekrutieren の訳)された。
彼女たちは今日までどこにおいても犠牲者としては認められていない。「ナチス親衛隊の男たちがやってきて、美しい女性たちを集めた。彼らはいった―前線で兵士の世話をするのだ」そう話すのは、ウクライナのSkadowsk(訳注:黒海の港町)出身のおばあさんNina Michailowna だ。彼女が描写したことは、第二次世界大戦の歴史にある陰鬱で人間軽視の側面のなかに数えられる。前線において規制の必要があったことは、1940 年以降担当当局にとって、明白だった。数千人もの兵士たちが病気に感染し、軍隊は数ヶ月以上、気晴らしをすることがなかった。その結果として軍当局は売春宿を設置することを始めたのである。

・番組データ
Frauen als Beute - Wehrmacht und Prostitution
(Titel der englischen Fassung: "Women as Booty")
Produktion: D 2005, Aquino Film - WDR - Erstsendung: 12.01.2005 (ARD) - 43 Minuten
Tomas Gaevert&Martin Hilbert による2005 年テレビ放送ドキュメンタリー作品 http://www.thomas-gaevert.de/

Frauen als Beute - Wehrmacht und Prostitution

Maria K. aus Posen - eines der Opfer der Zwangsprostitution für die deutsche Wehrmacht. Nach 1940 begannen die NS-Behörden mit der Einrichtung von Militärbordellen. Die Frauen galten als “Material”, wurden mit Gewalt in besetzten Gebieten oder in Konzentrationslagern rekrutiert. Als Opfer sind sie bis heute nirgends anerkannt. “Die SS-Männer kamen und suchten sich die schönen Frauen aus. Sie sagten - für die Front, die Soldaten zu versorgen.” Das erzählt Nina Michailowna, eine alte Frau aus Skadowsk in der Ukraine. Was sie beschreibt, gehört zu einem besonders finsteren und menschenverachtenden Aspekt der Geschichte des Zweiten Weltkriegs: dem Missbrauch von Frauen in deutschen Militärbordellen. Ab 1940 war den zuständigen Behörden klar, dass es an der Front Regelungsbedarf gab. Tausende von Soldaten infizierten sich mit Krankheiten und standen oft über Monate der Truppe nicht zur Verfügung. Daraufhin begannen die Militärbehörden, eigene Bordelle einzurichten..

Google Video (リンク切れ)

ARD(放送)による番組紹介

「SS(ナチスの親衛隊)がやってきて美しい女性を探していたんだよ-前線で兵士の世話をするためにね」そう話すのは、ウクライナのSkadowsk 出身のおばあさんNina Michailowna だ。

彼女が描写したのは第二次世界大戦における歴史の特に陰鬱で人間を軽視した一つの側面-ドイツの軍隊の売春宿での女性への暴行・陵辱である。

前線において規制の必要があるのは1940 年から当局にとってははっきりしていた。何千もの兵士が性病に感染しており、部隊は何ヶ月も使い物にならなかった。それゆえ軍当局は、自らの売春宿を作り始めた。そのコントロールのために司令部の医師と現地の軍管理当局が割り当てられた。その措置が始まったフランスでは、国防軍が現存の体制を担った。このことは多くのフランスの売春婦にとって、そのとき以来、最も厳しい監視もしくは収容所への移送にさらされることを意味していた。

東ヨーロッパの占領地域では、状況はさらに著しく激しいものであったーここでは軍の売春宿へ女性を徴募(rekrutieren の訳)するためにますます暴力が用いられたのだ。

ほかにもいろいろある中で、新しい女性への絶えず増えていく需要を満たすために恣意的な逮捕、警察の手入れ、収容所への抑留などが行われた。

その際、該当女性は「モノ」と見なされ、それは感染源の監視のためにある。「人種恥辱(罪)」(訳注:Rassenschandeーアーリア人と非アーリア人の間の性的関係を示すナチスの用語)との非難を避けるために、ドイツ当局はたとえば、売春宿にいるポーランド人を「人」ではなく「モノ」と規定した。たいていの場合命を助けることができるという偽りの約束の下で、強制収容所でも女性は募集された。

今までただ断片的な調査があっただけであり、軍の売春宿やそこに収容された女性の運命についてはいくつかの少ない目撃証言しかなかった。この犯罪的な行為の犠牲者は、一生涯ずっとその経験を抑圧することを試みてきた。

ポーランドとウクライナ出身の生存者が、その沈黙を破った。彼女たちは、何を彼女が経験し、観てきたかを報告している。彼女たちは強制売春婦の打ち続くいばらの道が、並々ならぬ苦渋のものであったことをも語っている。彼女たちは自国の人々の助けも全く見つけることができなかったばかりか、事態は全く逆なのである。姦淫に対する伝統的な侮蔑の感情が、多くの場合、敵方への協力の嫌疑となった。軍の売春宿を生き残った女性たちは、裏切り者と断定され殺害された。そのこともあって、彼女たちの歩んだ人生の解明はこんにちまで大変難しいものになっている。彼女たちはこんにちまで、どこにおいても犠牲者としては認められていない。

Rassenschande
http://en.wikipedia.org/wiki/Rassenschande
英語
http://en.wikipedia.org/wiki/German_military_brothels_in_World_War_II
http://en.wikipedia.org/wiki/German_camp_brothels_in_World_War_II
Spiegel 英語版
http://www.spiegel.de/international/germany/concentration-camp-bordell
os-the-main-thing-was-to-survive-at-all-a-632558.html

"Die SS-Männer kamen und suchten sich die schönen Frauen aus. Sie sagten - für die Front, um die Soldaten zu versorgen." Das erzählt Nina Michailowna, eine alte Frau aus Skadowsk in der Ukraine.

Was sie beschreibt, gehört zu einem besonders finsteren und menschenverachtenden Aspekt der Geschichte des Zweiten Weltkriegs: dem Missbrauch von Frauen in deutschen Militärbordellen.

Ab 1940 war den zuständigen Behörden klar, dass es an der Front Regelungsbedarf gab. Tausende von Soldaten infizierten sich mit Geschlechtskrankheiten und standen oft über Monate der Truppe nicht zur Verfügung. Daraufhin begannen die Militärbehörden, eigene Bordelle einzurichten. Für deren Kontrolle wurden Kommandanturärzte und örtliche Militärverwaltungen zuständig gemacht. In Frankreich, wo mit diesen Maßnahmen begonnen wurde, übernahm die Wehrmacht bestehende Etablissements. Für viele französische Prostituierte bedeutete dies von nun an strengste Überwachung oder den Abtransport in Internierungslager.

In den besetzten Gebieten Osteuropas war die Situation noch erheblich radikaler: Hier wurde zunehmend Gewalt angewendet, um Frauen für Militärbordelle zu rekrutieren. Willkürliche Verhaftungen, Razzien und Deportationen dienten unter anderem dazu, den stets wachsenden Bedarf nach immer neuen Frauen zu decken. Die Betroffenen galten dabei als 'Material' und zu überwachende Ansteckungsquelle. Um dem Vorwurf der 'Rassenschande' vorzubeugen, legten die deutschen Behörden etwa fest, dass Polinnen in Bordellen 'Sachen' und nicht 'Personen' seien. Auch in KZs wurden Frauen angeworben, unter der zumeist falschen Versprechung, damit das eigene Leben retten zu können.

Bisher gab es nur bruchstückhafte Recherchen und einige wenige Augenzeugenberichte über die Militärbordelle und die Schicksale der Frauen, die dort interniert waren. Die Opfer dieser Verbrechen haben zeitlebens versucht, das Erlebte zu verdrängen.

Überlebende aus Polen und der Ukraine haben das Schweigen gebrochen. Sie berichten, was sie erlebt und beobachtet haben. Sie erzählen auch davon, dass der Leidensweg der Zwangsprostituierten ein besonders bitterer war. Sie fanden auch bei den eigenen Landsleuten keinerlei Hilfe, ganz im Gegenteil. Zur traditionellen Verachtung gegenüber Huren kam in den meisten Fällen noch der Verdacht der Kollaboration. Viele Frauen, die das Militärbordell überlebt haben, wurden als angebliche Verräterinnen umgebracht. Auch deshalb stellt sich die Aufklärung ihrer Lebenswege bis heute als außerordentlich schwierig dar. Als Opfer sind sie bis heute nirgends anerkannt.

2012/05/02

CNNが挺対協からレクチャーされた慰安婦問題

欧米のジャーナリストで、この問題に関する
正確な知識を持つ者は殆どいない

これは先々月の記事であるが、水曜デモ1000回という事で幾つもの欧米のメディアが昨年から慰安婦問題を取り上げていた。CNNがこの問題をどのように捉えているかを見てみる。

CNNは慰安婦の総数を20万人ほどで、その殆どが朝鮮人であったと信じている。これはもう国際的な俗説になったと言っていいだろう。「何人かの日本の総理大臣が個人的に(personally)謝罪した」・・・しかし、韓国挺身隊問題対策協議会のユン・ミヒャンはそれでは不十分だとして、こう説明する。

This is a crime that was institutionalized by a country, they forced women into sexual slavery over a long period of time. (これは国家によって制度化された犯罪です。彼らは長期間に渡って女性たちを性奴隷制に強制したのです)

ユンはもちろん、被害者と言われる慰安婦たちが実は親によって売られたり、女衒に騙されてその世界に入ったことを知っている(CNNのレポーターは知らない)。しかし、ユンがCNNに語るのは大まかに以下のような内容である。

1. .慰安所システムは日本政府によって制度化された(そんな大袈裟な話だっけ?)
2. 日本政府は女性たちを性奴隷制に強制した
3. これは国家犯罪である

恐らくCNNの記者は、こう受け取ったはずである。「日本政府が慰安所を作り、有無を言わさず女性たちを性奴隷として送りこんだ」と・・・。ユンは、日本政府が朝鮮半島から女性を徴発し強制的に慰安所に送り込んだとは言っていないが(挺対協は当初、日本政府が女子挺身隊として女性を徴用し、慰安婦にしたと主張していた)、要するにそういう風に印象づけたいのだろう。そして、それは成功した。

CNNのインタビューに答える挺対協のユン・ミヒャン
異論がメディアに取り上げられる事は、まずない

彼女たちは、事実が明らかになった今となっても、巧妙に説明の仕方を工夫し、当初の「日本政府が朝鮮人を標的に、詐術、誘拐という手段で女性を連行して性の奴隷にした」というイメージを維持しようとしているらしい(参考:What is the Problem of Military Sexual Slavery by Japan?)。その為に利用されるのが「組織的」「制度的」「強制(性)」といったキーワードというわけである。

彼女たちの執念と巧妙さにも驚嘆すべきものがあるが、こうした彼女たちの行動を一部の日本人が応援しているという事実が一番の驚きである。その一例として、先月、日本でまた新しい慰安婦支援団体が生まれ、ユンが講演の為に韓国から招待されている(日本軍『慰安婦』問題解決・ひろしまネットワーク)。彼らは「慰安婦問題の解決」を訴えるが、挺対協こそが問題をこじらせているという指摘が韓国人の中からも出ている。日本人の人の好さは、もはや腹立たしいまでのレベルである。

Time running out for Korean 'comfort women'

By Paula Hancocks

Waiting more than 60 years for an official apology has taken its toll on Kim Bok-dong.

The 87-year old says she is tired and her health is failing but she continues to fight for recognition from the Japanese government for being used as a sex slave by their military during World War II.

There were believed to be around 200,000 so-called "comfort women," mostly Korean. Many have since passed away, but those still alive want individual compensation for their treatment.

"When I started, the Japanese military would often beat me because I wasn't submissive," Kim says.

'Comfort women' mark 1,000th rally

"Every Sunday, soldiers came to the brothel from 8am until 5pm, on Saturday from noon until 5pm, plus weekdays. It was very hard to handle. I couldn't stand at the end of the weekend. Since I had to deal with too many soldiers, I was physically broken."

Kim has tears in her eyes as she talks of her ordeal -- an ordeal that lasted every single day for eight years.

Kim describes being moved around half a dozen Asian countries from the age of 14. "I was born as a woman but have never had a woman's life. I was dragged to the foreign army's battles, and my entire life was ruined."

Kim's first marriage broke down when she couldn't have children, which she assumes due to her mistreatment. When her second husband and her mother died, she had to work in the fields to earn a living.

Kim is part of an NGO called the "Korean Council for the Women Drafted for Military Sexual Slavery by Japan," which is fighting for an apology.A weekly protest has been held outside the Japanese embassy in Seoul for the past 20 years. The embassy keeps its blinds shut during the protests and does not comment.

Some Japanese prime ministers have personally apologized in the past, but the NGO director believes that it's not nearly enough.

"Anyone can verbally apologize. But this is not an issue that can be resolved by saying sorry," says Yoon Mee-Hyang. "This is a crime that was institutionalized by a country, they forced women into sexual slavery over a long period of time. They need to adopt a resolution at the official level and we need to see legal reparations."

Yoon is planning to travel to Japan to meet with government officials. Tokyo maintains its legal liability for the wrongdoing was cleared by a bilateral claims treaty signed in 1965 between the two countries.

The South Korean government has stepped up diplomatic pressure recently, but only after a Korean court ruled in August that it was unconstitutional for the government not to help. Attempts by President Lee Myung-bak to discuss the issue with Japanese Prime Minister Yoshihiko Noda have so far yielded no results.

The issue of comfort women continues to haunt relations between the two countries. But for the few comfort women still alive -- only 63 are now registered in South Korea -- it's an urgent issue that they can't afford to wait for.

CNN 2012.3.7

植民地の女を娼婦にした軍隊は前例がない コリア・ヘラルド

これは去年のコリア・ヘラルドの社説。

In wars, armies kill civilians but there was no known precedent of any military systematically operating brothels with women taken from a colony. Japan simply cannot recognize and accept these most shameful deeds in its history.
(戦争においては、軍隊は市民を殺す、しかしいかなる軍隊も植民地から連れて来られた女性たちを使って組織的に売春宿をオペレートした先例は知られていない。日本は己の歴史の中のこの最も恥ずべき行為を認識することも受け入れることも出来ない)

植民地の女性を軍用娼婦として利用した前例なら、フランス軍が上げられる。日本軍の慰安婦そもそも自国民を戦地に連れて行ったのが基本。その中には、戦後独立した朝鮮や台湾の女性もいたが、最多数は日本人(内地人)であろうと言われている。

しかし、コリア・ヘラルドは1930年代後半から20万人までの幼い少女が朝鮮全土から動員され、戦場や日本の工場に送られた、と主張する。要するに、女子挺身隊→従軍慰安婦のイメージから卒業出来ないわけである。それは無知からかもしれないし、わざとやっているのかもしれない。


[Editorial] End of hard lives

Two old women whom the international media had called “former comfort women for the Japanese imperial army” died last week, ending their long hard lives. The deaths of Kim Seon-yi at a hospital in Ulsan on Thursday and Im Jeong-ja in Masan on the same day left 76 women of similar experiences alive. Kim was 83 and Im was 89.

Last year, which marked a century since Japan’s annexation of the Joseon Kingdom, 10 former comfort women passed away. Because of their advanced ages, the number of surviving women will rapidly be reduced while there is little hope that they will be able to fulfill their ardent wishes ― the Japanese government’s admission of guilt on the state level.

The old women from the government-arranged shelter, the House of Sharing, and some others from provinces have held their weekly demonstrations in front of the Japanese Embassy in Seoul to urge the Tokyo government to end its silence and make sincere apology and compensation. Young activists join them in the Wednesday rallies, which they say will continue until Japan changes its attitude and until the last comfort woman dies.

When Japan offered compensation in the name of a private foundation in 1995, the then administration of President Kim Young-sam rejected it and took relief measures for the unfortunate women. Various records revealed as many as 200,000 young girls were mobilized from across Korea from the late 1930s and were sent to war zones in Asia or some factories in Japan.

In wars, armies kill civilians but there was no known precedent of any military systematically operating brothels with women taken from a colony. Japan simply cannot recognize and accept these most shameful deeds in its history. But it cannot extricate itself from the state-level responsibility for the inhumanity by just denying it.

Ten or 20 years from now, there may no longer be a witness to testify the crime. Yet the souls of the victims would still be waiting for words of conscience from the authorities in Tokyo.

Korea Herald 2011.1.17

日本軍慰安婦博物館 開館

この博物館には、日本のwamの関係者も色々とアドバイスしたようである。産経の記事にもあるように、日本でも組織的な資金集めが行われた。何度か関連イベントの取材に行った自分もいくらか寄付している。本人の意志に反して強制徴集(笑)されたものであるが・・・。

この博物館を「20年間余り続いてきた元慰安婦の名誉回復に向けた活動」の結実と取る人もいるだろうし、執拗な反日活動の成果と取る人もいるだろう。

最初はもっと大きい建物を計画していたが、資金不足から計画よりは規模を縮小して開館の運びとなった。(追記: それでも新しく公表された写真を見ると、自分が想像していたよりも大きい)

5月5日の産経の記事も追加した: 産経の書き方も、もう少し冷静になってもいいかもしれない。この記事に限らず文章が韓国の新聞に似て来ている。「戦争と女性の人権」を謳うからには、この問題も取り上げているのだろか?

慰安婦の歴史を展示  「戦争と女性の人権博物館」開館

旧日本軍の従軍慰安婦たちが歩んできた抑圧の歴史を紹介する「戦争と女性の人権博物館」が、5日にソウル市麻浦区に開館する。韓国挺身隊問題対策協議会が1日に伝えた。

元慰安婦の経験や記憶が刻み込まれたさまざまな史料を展示するほか、20年間余り続いてきた元慰安婦の名誉回復に向けた活動を紹介する。また、各国の紛争で女性の人権が侵害されている実態を示す資料も展示する。

博物館は、慰安婦の歴史を風化させないための史料館が必要だとする挺身隊問題対策協議会などの意見で、建設が進められてきた。

2003年12月に元慰安婦17人が建設費を寄付し、翌年に建立委員会が発足。当初はソウル市西大門区の独立公園内に建設する計画だったが、独立有功者団体などが公園の特性に合わないと反対したため、麻浦区の用地を買い入れ、今年1月に着工した。

聯合ニュース 2012/05/01


【ソウル=加藤達也】日本統治時代の慰安婦に関する資料などを集めた「戦争と女性の人権博物館」がソウル市内に完成し5日、開館式が行われた。来賓の韓国の金錦来・女性家族相はあいさつで日本政府に慰安婦問題の解決を求めていくことを宣言。このほか朴元淳・ソウル市長や国会議員らも来賓として出席、在日韓国人の歌手が歌を披露したほか、日本からも市民団体などが参加した。

元慰安婦をめぐっては昨年12月、支援団体の「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」がソウル中心部の日本大使館前に慰安婦像を建立。日本政府が抗議するなど外交問題となっているが、「博物館」が完成したことで、半年の間に首都に2つの反日の象徴が建設される異例の事態となった。

博物館の展示室には、元慰安婦が旧日本軍から「被害」を受けたことを示すとされる資料、写真などのほか、大使館前に設置されているものと同寸大の慰安婦の像も置かれている。

建設を主導したのは挺対協と、日本に組織された「日本建設委員会」。当初は韓国政府の金銭支援を受け、日本統治からの独立を記念する「西大門独立公園」内の一角に建てられる予定だった。

だが、独立運動の記念団体などが「独立運動家に対する名誉毀損(きそん)だ」などとしてソウル市に敷地提供を取り消すよう要請。ソウル市が建築許可を取り消し、韓国政府も予算支援を撤回するなど紆余(うよ)曲折があった。

産経 2012.5.5



「戦争と女性の人権博物館」の建設には35億ウォンの費用がかかります。
日本建設委員会では、博物館建設を支援するための募金活動をおこなっています。募金していただいた方は、博物館のどこか(場所はまだ未定です)にお名前が刻まれます。

募金は下記口座で受け付けております。ご協力をよろしくお願いいたします。

郵便振替口座

【口座番号】00170-6-******
【口座名】女性人権博物館



2004年12月に発足した「戦争と女性の人権博物館」建設委員会には日本からも2人の海外建設委員長(梁澄子;東京、方清子;大阪)が加わりましたが、建設事業を推進する団体はありませんでした。しかし、女性人権博物館の意義は徐々に日本国内にも浸透し、その早急な実現のために組織的に取り組む必要性が語られるようになりました。
そして2009年2月7日、「戦争と女性の人権博物館(WHR)日本建設委員会」(WHR日本建設委、代表;梁澄子)が発足しました。
WHR日本建設委は、女性人権博物館の一日も早い完成をめざして、日本からの募金総額1億円を目標に、募金活動を中心に活動しています。また、より良い博物館づくりを目指して、勉強会や展示会を開催しながら、博物館建設の意義を日本国内で広めると同時に、日本国内の意見をまとめて韓国の建設委に提言する活動もおこなっていきます。


追記: 韓国政府が3500万円を支援。日本政府がこれに抗議。

慰安婦博物館に3500万円拠出 韓国政府に抗議 在韓大使館

【ソウル=加藤達也】朝鮮半島の日本統治時代の慰安婦に関する資料を集め、今月ソウルに開館した「戦争と女性の人権博物館」の建設に、韓国政府が約3500万円の資金を提供し、展示内容と併せ在韓日本大使館が、韓国政府に抗議していたことが17日分かった。



外交筋によると、日本大使館の倉井高志総括公使が今月7日、韓国外交通商省の趙世暎東北アジア局長に、「展示内容に、わが国の立場と相いれないものがある」と口頭で申し入れた。

博物館は、元慰安婦を支援する「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」や日本国内で組織された「日本建設委員会」などが主導し、用地計画や寄付金集めを行い建設した。

展示では、慰安婦問題の解決に向けて日本側が進めてきた努力や行動を一切認めていない。

挺対協は昨年、日本大使館前の路上に“従軍慰安婦”を象徴する像を設置し、日本側が撤去を求め抗議するなど外交問題となっている。

博物館にはこの像と同寸大の像が持ち込まれ、反日活動を続けてきた挺対協の主張と活動を一方的に強調している。

設立・運営母体は民間だが、今月5日の開館式には韓国の金錦来・女性家族相が来賓としてあいさつしたほか、韓国政府が建設費の一部である5億ウォン(約3450万円)を拠出していたことが判明した。

 日本側は、博物館が大使館前の像と同様、日本公館の尊厳と日本国民の名誉を不当に傷つけるものと判断し、外交通商省に抗議したもようだ。

産経 2012.5.18