2013/04/03

もう一つの吉田清治証言--「朝鮮人慰安婦と日本人」 (1)


慰安婦の強制連行を唯一加害者側から証言したとされた吉田清治の「朝鮮人慰安婦と日本人」は、同じ著者による「私の戦争犯罪」よりは地味である。「私の戦争犯罪」に先立ち1977年に上梓されたこの本には、銃剣を突きつけて朝鮮人女性を拉致するという有名な「慰安婦狩り」のシーンはない。

しかし、慰安婦狩りの話が作り話らしいという認識が広まったせいか、韓国では日本の官憲が騙して(強制)連行して行ったというパターンにシフトしつつあるようだ。吉田証言が顧みられることがなくなった日本と異なり、2012年になっても、この本はノンフィクションとして朝鮮日報に取り上げられている

余談: よく読むと、吉田は朝鮮人に先立ち日本人女性も慰安婦として徴用されたと証言している。

(文中の強調は引用者による)

昭和十九年

私は「朝鮮人女子挺身隊」の動員命令書県庁の労政課で中村主事から手渡された。当日は定例の県内労報支部の日傭労務者動員会議が午後五時過ぎに終わり、下関労報の私だけが残るように言われた。会議室から労政課へいくと、ニ、三人の男子職員が居残りしていた。中村主事は書類ばさみから動員命令書をはずして、無造作にさしだした。

朝鮮人だけの女子挺身隊です。南支の陸軍部隊への派遣で、期日は四月十日です」

「職種は何ですか」

「皇軍慰問の勤労奉仕。南支の兵隊さんも長期戦でだいぶ女に不自由してるらしい」

慰安婦ですね。軍はどうして商売女をつかわんのですか

「あんたはその方面にうといが、このごろの遊郭は年増の女郎しか残ってないですよ。若い女はみんな産業戦士になって、赤だすきかけて軍需工場で働いているんだから。朝鮮総督府の女子挺身隊は、大陸で兵隊さんに評判がいいそうですよ。若くて日本語がうまいから、クーニャンとちがって、情がわくんでしょうな」

労務報国会に、慰安婦の動員までやらせるようになったんですか」

動員署は去年から、日本人の慰安婦の徴用をやっていますよ。実は課長が県内の事情を話して、こんどは朝鮮人を出すことで話がつきました。それで課長がこの動員は下関労報にと言いましてね」

動員命令書は次のような内容であった。

県労政発第○号)

陸軍○○部隊の要請に基づき左記の通り労務動員を命ず
昭和十九年四月三日
山口県知事  XXXX  印
山口県労務報国会下関支部長XXXX殿



一、皇軍慰問・朝鮮人女子挺身隊百名
一、年齢十八歳以上三十五歳未満(既婚者にても可、ただし妊婦を除く)
一、身体強健(医師の身体検査及び花柳病検診を受け、診断書を要す)
一、期間一年(志願に依り更新する事を得)
一、給与  一個月金三十円也
支度金として前渡金二十円也
宿舎・食料・衣服等を現物支給す
一、派遣期日  昭和十九年四月十日午後一時
一、集合場所  下関細江町下関税関庁舎前
一、輸送指揮  陸軍○○部隊嘱託長谷川勇殿
[P.151,152]

その日下関に帰ったのは夜で、私は翌日出勤すると朝礼のあとすぐに、動員係を部長室に集めて動員計画を協議した。平山が昨年十二月に応召して、動員係は金田、松井、林、山田の四人になっていた。朝鮮人の女を慰安婦に徴用するという動員命令には、朝鮮人の金田がやはり表情を変えた。

「大坪には商売女は数人しかいませんよ。それも今ではみんなかたぎになっています。県内の料理屋からぜんぶ集めても、朝鮮人の商売女は百人もいませんね」

「慰安婦を集める仕事はおれもいやだが、動員署も、日本人の慰安婦の徴用をやってるそうだ。こんどは朝鮮人の徴用だから、下関労報に動員命令がでたんだ。金田はこの仕事からはずす。今日から十日まで、おれの代わりに事業所まわりをやってもらおう。ほかの者で百人の女を、大坪から選んでくれ」

松井が動員命令書を手にしゃべりだした。

「むかしは、山陽の浜の飲食店で安い女を買うと朝鮮人だったりして。しかしそんな女はもう大坪にはいません。しろうとの女を集めなきゃあ仕方がないでしょう。なるべくごけさんやら、くらしに困っている女をさがすことにして、勤労報国隊員の女房だけはいけませんね」

林は朝鮮人の女を集めることを、むずかしく考えたりはしなかった。

「娘のほうがいいですよ。男はみんな徴用をかけられて、大坪には娘が余っているんっだから。百人くらいわけないですよ。十八歳以上となっているが、十五、六でもかまわないでしょう。年をすこし書きかえても、からださえ一人前ならつとまるんだから」

[...]

「まさか、はじめから慰安婦だとは言えんでしょう。たとえば傷病兵の洗濯奉仕の軽作業とでもしますか」と松井が言うと、林が大声でしゃべりだした。

「あれは軽作業どころか、兵隊さん相手の重労働だ。戦地の慰安所は、一個中隊が行列して順番を待っていて、女はつづけてニ十人も三十人も相手をさせられるそうだ。なかには五十人の兵隊さんを相手にした豪傑もいたそうだ」

「カフェーからはじめて慰安婦を募集したときは、女給たちは歌でもうたって、兵隊さんを慰問するのかと思ったそうだが、もうこのごろは朝鮮人の女でも慰安婦のことは知っている。炭鉱の女部屋まで、慰安所と名まえをつけるようになったんだから」

[...]

下関労報の日傭労務者の中には、約百人の朝鮮人女子が雑役婦として登録していて、労務加配米や地下タビの特配を受けにくるとき、料理屋の女のように、口紅をつけたり化粧した女がかなりいたが、登録の雑役婦を慰安婦として徴用するわけにはいかなかった。管内ばかりでなく、他支部の重要事業所からも短期間の雑役婦派遣を要請されることが多く、この要員は確保しておく必要があった。私は大坪の朝鮮人の女の徴用業務を動員係に命じた。

「軍の雑役婦の募集ということにして三日間で名簿をつくってくれ。こんどは女だからいつものやりかたで狩り出すと、みんなが恐れてしまってめんどうになる。募集のかたちで集める。七日に病院で検診を受けさせる。一割くらい余分に集めないと不適格者がでるかもしれん。今日からかかってくれ」

「兵隊さんのために、なるべくべっぴんを集めましょう」と言って林が浮かれだし、ほかの者から尻がおもいと言われている高年の松井も、この仕事には気乗りしたのか、進んで二人にさしずした。

「三人いっしょに行くのはまずい。狩り出しとまちがえられる。一人ずつ大坪をまわろう。したく金二十円前払いで、めしがただで毎月三十円になると言えば百人くらい集まる。山田は大坪で恐れられている。今日は兵隊さんの代わりに女をくどくんだ。やさしくしてやれよ」

「ぼくは女にはやさしいよ。しかし遠い南支の部隊で一年間と言ったら、みんな二の足をふむよ。行き先を、うまくごまかさないとだめだな

「税関の前から船に乗せるんだから、九州行きと言ってはかえって疑われるな。そうだ対馬がいい。朝鮮人には対馬は下関より郷里に近いんだから、対馬の陸軍病院の雑役婦と言えば、安心して集まる」と林が言った。

[...]

私は朝鮮人の徴用には慣れていたが、慰安婦の動員命令だけは不満で腹だたしかった。私は朝鮮人の男に徴用をかけるときは、炭鉱や戦地へ送られて彼等がどんな悲惨な目にあうか知っていても、戦時下の労務動員だからしかたがないと考えることができた。もし朝鮮人の女を慰安婦ではなく、ほんとうに雑役婦としてなら、どんな危険な前線でも、どんな苦しい作業でも、決戦したの労務動員だと考えて平気で女の動員業務をやっただろう。私が朝鮮人の娘や女房に徴用をかけて軍の慰安所へ送る仕事がいやだったのは、朝鮮人の女がかわいそうだと思ったからではなく、この徴用が売春にかかわる仕事だったからだ。

[...]

県の動員命令は労報支部長宛てだが、支部長は警察署長の兼任だから、慰安婦徴用の動員命令は山口県知事が下関警察署長に命じたものだ。私はいつものように動員命令書を持って署長へ報告に行った。警察の労報担当の労政係主任の警部補が、朝鮮人の女を百人も集めるのはたいへんだろうと同情して、特高に応援を頼んだらとすすめてくれた。

[...]

○○部隊の嘱託は六人来た。輸送指揮の長谷川嘱託は、将校の軍服を着ていたが階級章がなく、そでに奏任官待遇の金色の軍属章をつけていた。軍刀を帯びていたが、五十代の顔は商人のようににやけていた。私が部長室へ案内すると急になれなれしい態度で、軍刀をはずして無造作にすみの机の上に置くと、いすを私の机の前へ引っぱってきてすわった。

「このたびはお世話かけますが、これも兵隊さんのためですから、よろしく」

「きのう県庁で、動員命令書を受けとりました。慰安婦の徴用ははじめてですが、できるだけ努力してみるつもりです」

長谷川嘱託の名刺は、南支派遣軍海南島○○部隊嘱託となっていたが、地名は書いてなかった。部隊の所在地は極秘事項だったので、私は県庁で慰安婦の派遣場所が海南島だということも知らされてなかった

「海南島の兵隊さんは、ながい駐屯で毎日演習ばかりやらされて、慰安が必要ですよ。ところが海南島は慰安所の数がすくない上に日本人の女が不足しています。クーニャーン相手じゃ、兵隊さんがかわいそうで、内地の女をつれていってやりたかったが、県の課長さんから山口県はだいぶ慰安婦の供出がつづいたから、朝鮮人でこらえてくれという話でした。そのかわり兵隊さんのために、なるべく若いきれいなのをたのみますよ。内地の朝鮮人なら日本語もうまいから、日本娘でとおるかもしれませんね」

私はうんざりして、事務的な話を進めた。長谷川嘱託が部下に支度金の前払金のはいったかばんを持ってくるように言ったので、私は会計係を呼んだ。用件がすむと私は山田へ言いつけて、嘱託たちを警察の指定旅館の博多屋へ案内させた。

五時になると、特高の佐々木刑事が来てくれた。佐々木刑事は東大坪派出所の巡査のときから、十年以上も朝鮮人を扱ってきて、下関いちばんの大坪通だった。私は今朝労政係主任にすすめられて、慰安婦徴用に協力してもらうように頼んでおいた。

[...]

佐々木刑事の話で、慰安婦徴用の方針がたった。私は昨日動員係に大坪をまわらせてみて、無計画に募集しても百人の女が集まるかどうか心配だった。もし集まらなければ、男の場合のように「狩り出し」をやることになるが、そうなれば病院の身体検査のときや乗船のときに、逃亡を防ぐために大変な手数がかかるので、なるべく募集の形をとりたかった。

佐々木刑事は、元料理屋酌婦と被逮捕歴を有する女の住所氏名を書いてきてくれていた。動員係の三人が書き写した。今日は松井たち三人で元酌婦の女たちを募集させることにした。しかし慰安所行きだと話せばほかの女の募集にさしつかえるので、やはり対馬行きと言うように指示した


つづく