2015/06/30

キム・ボクトン蝶基金に550万円寄付

「平和と人権を叫ぶ活動」?

やや鮮度落ちだが、キム・ボクトンが550万円を蝶基金に寄付したというニュース。蝶基金(butterfly fund ナビ基金とも言う)についての説明は省くが、この20年間でこの人たちはかなりの財産を貯めたものと思われる(口に出して言わないが、皆分っている)。これは慰安婦がナショナルヒーローとなった韓国特有の現象だろう。フィリピン人慰安婦は相変わらず質素な格好でデモをしている

名誉だって。キム・ボクトンが国境なき記者団によって「自由のために戦う英雄100人」に選ばれたというニュースは紹介済みだが、今日も、彼女がソウル市女性賞なる賞を受賞したというニュースが(どういう賞かは知らないが)。金も名誉も手に入れた彼女たちは、余生をジャパンバッシングに捧げる。ある意味、気の毒な人たちである。

慰安婦被害キム・ボクトンお婆さん、生涯集めた5000万ウォン寄付

日本軍慰安婦被害者キム・ボクトン(89)ハルモニが戦時性暴行被害者のために使って欲しいと全財産5,000万ウォンを喜んで寄付した。

キムおばあさんは24日ソウル、鍾路区の日本大使館の前で開かれた第1184回日本軍慰安婦問題解決のための定期水曜集会で蝶基金後援支援金伝達式を執り行ない(?)5,000万ウォン(550万円)を寄付した。 蝶基金は2012年3月8日の世界女性の日に戦時性暴行被害女性を助けるために出来た基金。 満14才で慰安婦として中国、広東などに行き、そこで言いなりになって苦痛を味わったハルモニは、1992年政府に被害者として登録した後、ウィーン世界人権大会などに参加し平和と人権を叫ぶ活動を受け継いできた。 最近では国際言論団体が選定した「自由のために戦う英雄100人」に世界の著名人たちと並んで紹介された。

韓国日報 2015.06.24[2]

위안부 피해 김복동 할머니, 평생 모은 5000만원 기부

일본군 위안부 피해자 김복동(89) 할머니가 전시 성폭력 피해자들을 위해 써 달라며 전재산 5,000만원을 쾌척했다.

김 할머니는 24일 서울 종로구 일본대사관 앞에서 열린 제1,184차 일본군 위안부 문제해결을 위한 정기 수요집회에서 나비기금 후원금 전달식을 갖고 5,000만원을 기부했다. 나비기금은 2012년 3월 8일 세계여성의 날을 맞아 전시 성폭력 피해여성들을 돕기 위해 마련한 기금이다. 만 14세에 위안부로 가서 중국 광둥 등지로 끌려 다니며 고통을 겪은 할머니는 1992년 정부에 피해자 등록을 한 후 비엔나세계인권대회 등에 참석해 평화와 인권을 외치는 활동을 이어왔다. 최근에는 국제언론단체가 선정한 ‘자유를 위해 싸우는 영웅 100인’에 세계 저명 인사들과 나란히 소개되기도 했다.

2015/06/29

ジョルダン・サンド教授 187人声明に満足感?

日韓の和解は両国民にとって深刻なテーマ
事情に疎いなら、せめて邪魔はしないで欲しい

少なくとも、ジョルダン・サンド教授は・・・少なくとも日本では、187人声明が中国や韓国の行き過ぎたナショナリズムにも向けられていると明言した(アメリカでも同じことを言ってくれているのだろうか?)。問題は彼以外の主要メンバー(声明は30人ほどのメンバーが中心になって作られた)の態度である。

彼と一緒に187人声明を主導したアレクシス・ダデンは、韓国でかなり極端な見解を開陳しているわけであるが、あれは187人声明の趣旨に沿っているのだろうか?メンバーの一人一人が自分に都合のいいように利用可能な声明など、我々(日韓両国民)にとって迷惑以外の何者でもないのだが・・・。「言論の場を広げられるのではないかと期待を込めた」と言う以上、藤岡教授の提案を断る理由はないだろう。よい機会だから、色々ハッキリさせてもらい。

余談。サンド教授は、日本政府が旧軍の朝鮮人軍人の遺族に補償していないと言うのだが、どういう意味なのか?日韓請求権・経済協力協定では足りないと言っているのか・・・それとも、まさか協定その物の存在を知らないとか?

日中韓歴史問題:声明の米教授「納得できる解決を」

米国などを拠点とする歴史学者らが日本の歴史認識などに関し5月に発表した声明で、まとめ役となった米ジョージタウン大のジョルダン・サンド教授が27日、早稲田大で講演した。声明について「被害者やアジア諸国の国民が納得できる解決に向かえば意味があったと思いたい」と述べ、戦後70年での日中韓の歴史問題を巡る和解に期待感を示した。

サンド教授は声明に関わった理由について、「言論の場を広げられるのではないかと期待を込めた」と説明。声明は中国や韓国にも向けられているとし、「アジアの研究者や政府が教育などのあり方を一緒に考えていくよう求めた」と述べた。

声明は慰安婦問題など「過去の過ち」について「偏見なき清算」を促すと同時に、中国や韓国の民族主義的な動きも警告した。当初187人だった署名者は457人に広がった。

毎日 2015.6.27

2015/06/28

挺対協が折れるのが先か、切り捨てられるのが先か

23日も日本大使館前で反日活動

日米韓とも「慰安婦の名誉と尊厳」などに興味はない。アメリカは安全保障しか頭にないし、日本政府も日韓関係の為(!)にならもう一辺謝ってもいいと考えている。韓国政府もハルモニが日韓関係の障害だと分っている。

だが、韓国政府は慰安婦問題が国益以前に政権の命運を左右するという国内事情を抱えている。その点が、国益だけを考えていればいい日本やアメリカとは違う。韓国政府の喉元に匕首を突きつけているのが挺対協で、その力の源は世論である。

イ・ミョンバク政権は、慰安婦問題から距離を置こうとしたが、政権の末期には踏ん張り切れなかった。挺対協は当初から韓国政府にとって厄介者だったが、次第に彼女らは政権内部に入り込んでいった。世論に迎合した憲法裁判所に追い詰められたイ・ミョンバク政権の後を継いだパク・クネ政権は、最初からチョ・ユンソン女性家族部長官を先頭に理想的に振舞ってくれたので、挺対協といい関係であったようだが、そのパク・クネ政権が自分たちを切り捨てるかもしれないと、挺対協は感じ始めているのかもしれない。

韓国政府の重荷は世論であり、挺対協の強みはその世論を味方につけていることだった。だが、最近風向きが怪しくなって来た。メディアはツートラック外交を主張するようになり、パク・ユハのように挺対協のやり方を批判する者も増えて来た(『帝国の慰安婦』)。挺対協に遠慮して動きの取れなかった韓国政府が、交渉の進展を仄めかすようになり(ブラフであるとしても)、挺対協は疑心暗鬼になっているのか声明を発表して牽制を始めた。挺対協も揺らいでいる。挺対協が折れるのが先か、韓国政府が挺対協を切り捨てるのが先か・・・。

日韓「雪解け」に危機感=「妥協」を警戒―慰安婦支援団体

日韓国交正常化50周年記念行事に双方の首脳が出席し、両国関係に「雪解け」ムードが出ていることに対し、いわゆる従軍慰安婦問題で韓国政府が妥協するのではないかと元慰安婦の支援団体は危機感を強めている。支援団体は23日、ソウルの日本大使館前で集会を開き、安易な妥協をしないよう求めた。

韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会(挺対協)などは、両国が日本政府の法的責任をあいまいにした解決策で合意することを警戒する。両国政府の歩み寄りに、挺対協の尹美香常任代表は「大変な危機感を感じる」と懸念を表明。各団体は23日、慰安婦問題について「政治的妥協の材料としてはならない」とする連名の声明を発表した。 

時事 2015.6.23 [2]

支援団体、韓国政府を「密室外交」と批判 歴史問題解決なしで対日関係改善許さず

日韓外相会談などで両国の対話が活発化したことに対し、旧日本軍の慰安婦だった女性を支援する韓国の団体などが23日、韓国政府は歴史問題の解決なしに未来志向を掲げて対日関係改善を図っていると批判した。

ソウルの日本大使館前には元慰安婦女性や支援者数十人が集まった。慰安婦問題で日本政府の謝罪や賠償を求める韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の尹美香常任代表は「韓日が首脳会談(実現)のために、植民地時代の問題をまともに解決せず密室外交をするかのようだ」と述べた。

一方、「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録に反対している元徴用工や国会議員もソウルで記者会見し、外相会談を機に韓国政府が登録反対から日本との協力姿勢に転換したことを批判した。(共同)

産経 2015.6.23

[メモ] 見られては困る「女たちの戦争と平和資料館(wam)」


ツイッターを含めネット上で一度も彼女らと関わったことはないのだが(もちろん悶着があったということも)、なぜかブロックされている。見られて困ることでもあるのかしらん?挺対協は、オープンなんですけどねぇ。

2015/06/25

国連人権高等弁務官、慰安婦博物館に招き、日本を牽制

「国連軍の慰安婦については?」
「魚心あれば水心、じゃよ」

「面会によって慰安婦問題が女性の人権問題であると内外に印象付け、日本側に対応を迫る狙いがあるとみられる」・・・毎日新聞の言う通り、これは駆け引きなので、口では「『51対49』でよい方向に向かっている」などと日本との交渉が順調であるかのように仄めかせつつ、水面下では相手の外堀を埋めようと懸命になっている。(追記: 挺対協はスイスにある人権高等弁務官事務所の本部にハルモニを送り込むなどパイプを作って来たので、慰安婦とゼイドの会合をセッティングしたのは、韓国政府ではなく挺対協なのだろう)

さて、記事では「戦時の女性への暴力などをテーマにしたソウルの博物館」と解説しているが、これはいわゆるソウルの慰安婦博物館のこと。日本軍性奴隷制度をテーマにしながら、「戦争と女性の人権博物館」という看板を掲げている。店先に適当な商品を並べて店の裏で後ろ暗い商売をやっているというのは、どこの国にもあるということ。

せっかく国連から人権高等弁務官が訪ねて来てくれたのに、戦争と女性の人権博物館側が、韓国が国連軍に提供した慰安婦のことを展示するのをうっかり忘れてました、なんてことは大いにありそうな話である(ほぼ100%?)。国連だって、出来れば表沙汰にして欲しくなことはあるわけで。

韓国:国連人権弁務官、元慰安婦と面会「解決に努力」

韓国を訪問中の国連のゼイド人権高等弁務官は24日、戦時の女性への暴力などをテーマにしたソウルの博物館で、旧日本軍の元従軍慰安婦の韓国人女性3人と面会した。韓国外務省によると、国連人権高等弁務官が訪韓し元慰安婦と会うのは初めて。関係者によると、ゼイド氏は面会で「国連は問題の解決に向け努力する」と述べた。

韓国側には、面会によって慰安婦問題が女性の人権問題であると内外に印象付け、日本側に対応を迫る狙いがあるとみられる。ゼイド氏の前任者ピレイ氏は昨年8月の声明で、日本政府が「包括的で公平、永続的な解決」を追求しなかったと批判している。

毎日 2015.6.25[2]

大統領と会うより被害ハルモニに会う方が重要だとゼイド高等弁務官。

慰安婦被害者に会った国連人権高等弁務官「解決に向けて努力する」

ゼイド・ラアド・ゼイド・アル・フセイン国連人権高等弁務官が旧日本軍慰安婦被害者に会い、問題の解決に向けて努力すると述べた。ゼイド氏は国連人権分野のトップだ。

国連北朝鮮人権現場事務所のソウル開所式のために韓国を訪問したゼイド最高代表は24日、韓国挺身隊問題対策協議会(挺身隊対策協)が運営する「戦争と女性人権博物館」を訪問し、慰安婦被害者の金福童(キム・ボクドン)さん(89)、吉元玉(キル・ウォンオク)さん(86)、李容洙(イ・ヨンス)さん(86)と面談した。この日の面談は、ゼイド氏が「おばあさんたちの話を静かに聞きたい」という意向を明らかにし、実現した。ゼイド氏は事前に慰安婦被害者の事情について文書で受けていたという。

ユン・ミヒャン挺身隊対策協代表は「おばあさんたちが『よろしくお願いします』と言うと、ゼイド氏は『おばあさんたちは私の母と似た年齢だ。私は母の言葉をよく聞く。お母さんたちが話したことを解決するために国連で努力する』と答えた」と面談の内容を伝えた。面談でキムさんが「私たちが話すよりゼイド弁務官のような方が一度話すことが重要だ」と話すと、ゼイド氏は「生存しているおばあさんの肉声が重要で、力がある。おばあさんは私の諮問委員だ」と答えたという。

ゼイド氏は面談後、記者らに対し、「先任者のナバネセム・ピレイ最高代表が慰安婦被害者の苦痛に関する立場を表明し、私もそうしてきた」とし「慰安婦の立場を代弁するために努力する」と述べた。また「(朴槿恵)大統領に会って長官にも会う予定だが、それよりも3人に会うことがもっと重要だと考えた」と語った。

この日、慰安婦被害者はゼイド氏の上着に慰安婦被害問題を象徴する徽章を付け慰安婦少女像を縮小した「平和碑」を贈った。李容洙さんは「わざわざ足を運んで私たちの話を聞いてくださったので、解決に向かうという信頼がある」と語った。


翌日(25日)パク・クネ大統領とも面会。大統領もまたこの機会を利用して慰安婦問題をアピール。

「戦時の女性人権保護の問題でもある」
パパ(米軍慰安婦)の件はいいの?

朴大統領 国連弁務官と会談=北朝鮮人権事務所に期待

韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は25日、青瓦台(大統領府)で国連のゼイド・フセイン人権高等弁務官と会談し、先ごろソウルに開設された国連の北朝鮮人権事務所について「北の住民の人権を実質的に改善するための拠点として重要な役割を果たすよう期待する」と述べた。

ゼイド氏は同事務所開設や国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)の活動に対する韓国政府の支援に謝意を示し、北朝鮮の人権状況改善のため努力を続けると約束した。

朴大統領はまた、ゼイド氏が来韓中に旧日本軍の元慰安婦の女性らと面会したことに関連し、「慰安婦問題の解決は韓日関係の未来志向的発展のためにも重要だが、戦時の女性人権保護の問題でもある」と指摘。苦痛に満ちた人生を送ってきた被害者の女性らが存命中に名誉と尊厳を回復することが重要だと強調した。


2015/06/23

25億円訴訟、日本が謝ったら取り下げる

左から二人目が原告のユ・ヒナム
異様な光景に、色々勘ぐってしまった

アメリカの裁判所に慰安婦が安倍首相らを訴えた例の25億円訴訟なのだが、今日韓国で記者会見が行われた。ちょっと異様だったのは、ただ一人の原告であるユ・ヒナムがあまり馴染みのない人物で、この日も帽子を目深に被り、サングラスにマスクで顔を隠していた。ユは元々あまりカメラに顔を曝すのが好きではなく、こうして顔を隠すことが多いらしい。ただし、まったく写真を拒絶しているわけではなく[ソース]、パク・ユハ教授に対するスラップ訴訟にも引っ張り出されているから[ソース]、まるっきり引っ込み思案というわけでもないようである。

だが、今日の記者会見で彼女の両脇にいたのは、いずれも世界中を講演して回っている有名な「ハルモニ」。弁護士もナヌムの家も勝てる裁判だとは思っていないので、顔の売れているハルモニの経歴に傷をつけることを恐れたのだろうか?前から「結果が良くなかった場合、被害者の失望感が大きいため、まずはユさんが訴訟を起こす」と言っていたが、今日の会見でも、謝ったら訴訟を取り下げるなどと言っていたらしい。裁判費用を考えると、本当は気が重いのかもしれない。

思った通り、弁護士はあの男だった。ナヌムの家からガッポリ手数料を取るがいい。(追記: 遺族などが原告として裁判に加わったという報道も)


韓国人元慰安婦 米地裁に提訴へ=日本政府謝罪あれば取り下げ

旧日本軍の慰安婦にされた韓国人被害者らは23日、共同生活を送る施設「ナヌムの家」(京畿道広州市)で記者会見を行い、米裁判所に損害賠償を求める訴訟を起こす経緯などについて説明した。

慰安婦被害者10人と遺族2人は7月、三菱重工業など米国に進出している日本の戦犯企業や天皇、安倍晋三首相、慰安婦被害者を「売春婦」とおとしめた産経新聞などを相手取り、計2000万ドル(約25億円)の賠償を求める訴訟を米サンフランシスコ連邦地裁に提起する方針だ。ただ、日本政府が被害者らに謝罪し、問題の解決に乗り出す場合は訴訟を取り下げるという。

弁護人は「国際訴訟を提起し、慰安婦被害者問題を確実に解決する方策を探りたい」と説明。「(被害者の)おばあさんたちの悲しみや苦痛は約70年前に終わったものではなく、今も続いているが、日本政府などは歴史の真実から目をそらし、おばあさんたちをおとしめているため、法的な責任を問わざるを得ない」と強調した。

また、「訴訟準備は2カ月前に終えたが、今まで提訴しなかったのは日本政府の誠意のある答弁を待っていたため」として、「生存している(被害者の)おばあさんが少なく、時間がないため日本政府の答弁期限を7月にした」と説明した。その上で、「2000万ドルという金額は重要ではない。日本の心を込めた謝罪が優先だ」と訴えた。

韓国政府が認定した慰安婦被害者は238人で、うち生存者は50人となっている。


追記: ユ・ヒナムは安倍ではなく、日王(天皇)が謝れと言っている
追記2: 今上天皇も訴えたようである。

2015/06/22

米国で24億6000万円訴訟、明日会見


例のジャパン・ハラスメント訴訟か。あの時は200万ドルと言っていたが、一桁上がって2000万ドル(約24億6000万円)に。弁護士としてはいい商売である。これだから、ご隠居さんの言う「愛国商売」は後を絶たないのだろう。天皇を被告に加えるというのは諦めたのか?ナヌムの家訴訟連発中。勝ち目がないのは彼らも分っている。弁護士としては手数料、ナヌムの家としてはジャパン・ディスカウントが狙いなのだろう。売春婦蔑視は相変わらず。

元慰安婦の韓国人女性 米国で損害賠償訴訟へ

旧日本軍の慰安婦にされた韓国の被害者のユ・ヒナムさんが、日本の政府と企業、メディアを相手取り2000万ドル約24億6000万円)の損害賠償を求める訴訟を米国で起こす。

ユさんは現在、元慰安婦が共同生活を送る施設「ナヌムの家」(京畿道広州市)に暮らす。ナヌムの家の安信権(アン・シングォン)所長は19日、聯合ニュースの取材に、「慰安婦被害者問題の速やかな解決を促すため、ユさんは三菱重工業など米国に進出している日本の戦犯企業と安倍晋三首相、慰安婦被害者を『売春婦』とおとしめる表現をした産経新聞に対し2000万ドルの損害賠償を求める訴訟を米カリフォルニア州の裁判所に起こす予定だ」と明らかにした。

米国で提訴するのは、韓国より米国でのイメージを重視する日本政府に圧力をかけるためだという。また、集団訴訟で結果が良くなかった場合、被害者の失望感が大きいため、まずはユさんが訴訟を起こすと説明した。2000年に韓国とフィリピンの被害者15人が日本政府を相手取り損害賠償訴訟を米ワシントンの裁判所に起こしたが、敗訴している

元慰安婦の女性らは、今月22日に国交正常化50周年を迎える韓日の政府が慰安婦問題にどのような解決策を示すかを見た上で、23日にナヌムの家で訴訟に関する記者会見を開く計画だ。


「日本軍慰安婦問題は、単に過去70年前の問題ではなく、次の世代までも続く重要な問題だ」だそう。

日本軍慰安婦被害者ら、7月に米国連邦裁判所に集団訴訟

「日本の冷遇の中で生存者相次いで亡くなり...
実体的真実が闇に葬られる前に、第3国の司法判断を求める」

日本軍慰安婦被害者と遺族が今年7月、日本政府に公式謝罪と法的賠償を要求する集団訴訟を米国連邦裁判所に出すことにした。

日本軍慰安婦被害者と被害者遺族、「ナヌムの家」などで組織された「日本軍慰安婦被害者のための米国訴訟実行委員会(実行委員会)」は、22日の報道資料を発表し「22日で韓日国交正常化50年を迎えるが、これまで日本軍慰安婦被害者問題を解決しようとする努力には、日本側の無視と冷遇の中で、進展が見られない」と主張した。

また「これまで被害者のお婆さんたちが次々と亡くなり、生存者はわずか50人しか残っておらず、日本軍慰安婦被害者問題の実体的な真実が永遠に闇に葬られるとの懸念が高まっている状態」だと付け加えた。

実行委員会は、「日本軍慰安婦問題は、単に過去70年前の問題ではなく、次の世代までも続く重要な問題だ。問題の解決のための日本の自覚と反省をひたすら待つより、第3者である米国の裁判所で司法判断を求めたい」と明らかにした。

実行委員会は、「今回の訴訟の対象には、恐ろしい犯罪を直接指示して加担した日本政府と戦犯企業、隠蔽と歪曲に加担する日本国内の団体とメディアも含まれている。彼らに、国際社会の厳しい審判が下されることを期待している」と述べた。

日本軍慰安婦被害者のお婆さんたちと遺族などは23日、広州にある「ナヌムの家」で記者会見を開き、韓日国交正常化50周年に対する立場と、米国の裁判所に提起する訴訟計画を明らかにする予定だ。


2015/06/21

[慰安婦の背景] 16で娘を売り18歳で再び娼妓に(昭和の凶作)

相談ではなく、法律で一律禁止にすれば良かったか?
社会状況がそれを許さなかった

慰安婦にも共通する「身売り」。身売りは人身売買なのか?アメリカはこれをhuman trafficking(人身売買)と呼びたがるだろうが、当時の日本では人身売買と身売りの間には法律で一線が引かれていた。いわばグレーゾーンとして身売りは認められていた。

グレーゾーンなら、いっそ禁止すれば良かったではないかというと、そんな簡単な話ではない。当時の毎日新聞(東京日日)の記事に見られるように「罪悪か否かの問題ではない。そうしなければ当面の生活が維持でき」なかったからである。生活が維持できないと言っても、現代とは違う。一家離散か下手をすれば全滅したのである。

娼妓(公娼)として売るには18歳になるまで待たねばならないから、16歳で一旦酌婦(表向き売春はしない)として売る。酌婦と言っても、酌をするだけで済むとは限らないが、2年待って18歳で娼妓として再び身売りである。こうして一家が何とか食いつなぐという極限状態。だから、軍が慰安所(売春宿)を誘致したら、「≒人身売買の犠牲者」がいるのは当たり前で、アレックス・ダデンが言うような日本政府による犯罪ではない。なにより「≒人身売買の犠牲者」は、日本人も同じであった。ようするに、

日本の植民地と占領地から、貧しく弱い立場にいた若い女性を搾取したという点において、特筆すべきもの 日本の歴史家を支持する声明

と言い切った『187人声明』に署名した日本研究者は、日本の中学生程度の日本史の知識もなかったということである。

「帰っても村には飢えが待つばかり-最近、東京・吉原の遊廓で、年期明けの娼妓のうち、さらに一年か二年の短期契約をやって稼ぐ者が目立って増えているというので、何が原因かを調べてみたら、その大部分は、年期が明けて田舎に帰っても食うことができない、それよりはまだ遊廓にいた方がましだということらしい。先頃、東北のある連隊で兵士に帰休を許そうとしたら、家に帰っても仕事はないし、軍事救護が打ち切られては、家族が餓死するから、このままおいてもらいたいと懇願されたという話があったそうだが、この話とともに、近頃の農村の疲弊を語って余りある。

(中略)

この中でも山形県は、数字が示しているように、最も多い。同県の○○○郡○○○村だかは、戸数七〇〇戸の貧農村で、ここからは三〇〇人の娘たちが売られて行ったといわれている--娘を売るのが罪悪か否かの問題ではない。そうしなければ当面の生活が維持できないのである。前借もこれに応じて、この頃はガタ落ち。娼妓では年期明けまで最高二〇〇〇円どまり、平均の一〇五〇円、それも、ごく美人でなければならないという。前借金の少ないのは四〇〇円ぐらいである。酌婦はさらに低く、二五〇円か精いっぱいというところらしい。しかし、ガタ落ちしたとはいえ、酌婦から見ると、娼妓はまだ前借がきく

では、なぜ、前借の少ない酌婦ではなく娼妓に売らないのか。娼妓は満十八歳にならないと許可されない。しかし、それまで待つことができない。ところが、地方では満十六歳から酌婦になれる。そこで、金は少ないが十六歳になるのを待ちかねて、まず酌婦に売って肥料代などの借金の利払いをし、次いで十八歳になってから娼妓にして、まとまった前借で負債の螫理をするということらしい。娼妓になった者の経歴を調べてみると、それがよく分かる。「親出」といって、農村から直接、遊廓に来る者は少なく、大概は酌婦としての経路を辿っている。(東京日日 1932.6.17)

2015/06/20

アレクシス・ダデン 「安倍首相は認めない。人身売買は日本国の仕業」


187人声明の呼びかけ人の一人であるアレクシス・ダデン教授が気炎を揚げている(朝鮮日報が話を盛っている可能性もあるが)。

「安倍首相は『人身売買』という用語を使うたび、誰が人身売買をやったのかという問いに答えられなかった。答えは簡単だ。日本の国家がやった」

・・・日本国は人身売買を禁じていたし、実際に慰安婦絡みでも人身売買に当ると裁判所に判断されたケースでは有罪判決が下されてますよ。業者にね。

韓国軍の”トルコ風呂”についてダデンは「韓国も同じことをしていたという主張は日本の悪事を帳消しにはしない」と言って火消しに回った。特定の国のみを非難するこういう人間を信用出来るのか?正直、あの声明を歓迎している日本人の神経が自分には理解できない。


ハリーポッターに出て来たエキセントリックなトレローニ教授
似てるのは容姿だけ?

慰安婦:ダデン教授「日本には法的・道徳的責任がある」

安倍首相批判声明を主導したアレクシス・ダデン教授(コネティカット大学)
「韓日協定50年史再照明」学術会議の事前発表文で主張
「日本が犯した極悪無道な行為は人身売買・拉致罪に該当、性奴隷にほかならない」

「日本は、この極悪無道な人権犯罪について法的にも道徳的にも責任がある

安倍晋三首相の歴史認識を批判する世界の歴史学者の共同声明を主導したアレクシス・ダデン・コネティカット大学教授(46)=写真=は、太平洋戦争当時の従軍慰安婦問題をめぐる日本の責任について、断固たる立場を示した。

今月22・23の両日、ソウル市西大門区の東北アジア歴史財団(金学俊〈キム・ハクチュン〉理事長)11階大会議場で、学術会議「韓日協定(日韓基本条約)50年史の再照明」が開かれる。ダデン教授は、会議開催に先駆けて事前提出した発表文を通じ、上記のように主張した。ダデン教授は「こうした行為は、当時も今も人身売買や拉致罪に該当し、(戦前の日本の刑法や現行の刑法でも)国際人身売買に当たる」と語った。ダデン教授が主導した共同声明に賛同した世界の学者は、先月の時点で、187人からおよそ500人に増えた。

ダデン教授は、発表文の中で「1930-40年代に日本軍によって強制動員された性奴隷の問題は、これまで世界レベルで課題とされてきており、今後もそうあり続けるだろう」という見方を示した。

安倍首相は最近、慰安婦強制動員問題をめぐって「人身売買(human trafficking)の犠牲者」と表現したが、行為の主体については言及せず、批判を浴びた。

これについてダデン教授は「安倍首相は『人身売買』という用語を使うたび、誰が人身売買をやったのかという問いに答えられなかった。答えは簡単だ。日本の国家がやった」と断言した。「強制動員された慰安婦は、慰安婦を否定する人々が現在卑劣に主張している『従軍民間人(camp followers)』ではなく、国家の最高レベルによって組織されたシステムに閉じ込められていた」という。またダデン教授は「被害者には、性行為を拒否する自由も、居住地や移住先を決める自由も、慰安所を離れて仕事をやめる自由もなかった。日本軍は、慰安所が設置されたことを知っており、これは性奴隷にほかならなかった」と語った。

ダデン教授は、コロンビア大学を卒業してシカゴ大学で博士号を取得した、米国の代表的な北東アジア専門家の一人。とりわけ韓日関係に詳しく、日本による韓国植民地支配について多くの研究を行った。慶応大学や立教大学、延世大学など、韓日両国で学んだこともある。

東北アジア歴史財団の学術会議には、中国の管建強・華東政法大学教授、ドイツのウェルナー・ペニヒ・ベルリン自由大学教授、日本の樋口直人・徳島大学教授などが発表者として登場する。

2015/06/19

立教大、英国で東北アジア歴史財団とコラボ


東北アジア歴史財団。韓国政府系の事実上の対日プロパガンダ機関と呼ぶべきか・・・と立教大学がイギリスで慰安婦問題の拡散を狙ってコラボ。挺対協の日本代理店のような存在として活躍中の梁澄子(ヤン・チンジャ)や立教大の河合優子も参加して、東北アジア歴史財団が作成したパンフレットを会場で配布するという。学問の自由なのだろうが、これってどうなのか立教大学。(6.21 写真を追加)


立教大のイ・ヒャンデか?後ろに東北アジア歴史財団の立看板

東北アジア歴史財団、英国で慰安婦テーマの映像シンポジウム6月19日から20日まで英国シェフィールド ショールーム・ワークステーション

東北アジア歴史財団(理事長キム・ハクチュン)は日本の立教大学とイギリス、シェフィールドのショールームステーションで6月19日から20日まで「日本軍慰安婦、彼女たちの声に耳をかたむける」をテーマに慰安婦被害女性の人生を扱ったドキュメンタリー映画4編を上映し、専門家による(?)討議を行う。

財団側はヨーロッパで東アジア学研究が最も活発なところに選ばれるシェフィールドで日本軍慰安婦問題に対する関心を国際的に高め、理解を向上させようと今回のイベントを準備したと説明した。 今回の映像シンポジウムにはシェフィールド大学の東アジア学科とハルラム大学人権研究センターなど関連研究を先導する学者が多数参加する予定だ。

今回上映される映画は日本軍慰安婦被害を国際的に知らせ、女性人権問題認識拡散に寄与した作品として、ピョン・ヨンジュ監督の『低い声1』(1995),『低い声2』(1997),キム・ドンウォン監督の『終わりなき戦争』(2008)、アン・ヘリョン監督の『オレの心は負けてない』(2007)など計4編。

映画上映後、ピョン・ヨンジュ監督、キム・ドンウォン監督、『オレの心は負けてない』のプロデューサー梁澄子(ヤン・チンジャ)、イ・ヒャンデ立教大教授、キム・ミンギュ財団研究委員、河合優子立教大准教授が対談と討論で観客との対話を導いていく予定。 また、昨年財団で発刊した日本軍慰安婦英文ハンドブック<The Truth of the Japanese Military Comfort Women(日本軍慰安婦の真実)>を無料で配布する。

WorldKorean 2015.6.18[2]

동북아역사재단, 영국서 위안부 주제 영상심포지엄
6월19일부터 20일까지 영국 셰필드 쇼룸워크스테이션

동북아역사재단(이사장 김학준)은 일본 릿쿄대학교와 함께 영국 셰필드 쇼룸워크스테이션에서 6월19일부터 20일까지 ‘일본군위안부, 그들의 목소리를 듣다’를 주제로 위안부 피해여성들의 삶을 다룬 다큐멘터리 영화 4편을 상영하고 전문가 토론을 진행한다.

재단측은 유럽에서 동아시아학 연구가 가장 활발한 곳으로 꼽히는 셰필드에서 일본군위안부 문제에 대한 관심을 국제적으로 확산시키고 이해를 제고하고자 이번 행사를 마련했다고 설명했다. 이번 영상심포지엄에는 셰필드대학 동아시아학과와 할람대학교 인권연구센터 등 관련 연구를 선도하는 학자들이 다수 참석할 예정이다.

이번에 상영되는 영화는 일본군위안부 피해를 국제적으로 알리고 여성인권 문제인식 확산에 기여한 작품들로서, 변영주 감독의 ‘낮은 목소리1’(1995), ‘낮은 목소리2’(1997), 김동원 감독의 ‘끝나지 않은 전쟁’(2008), 안해룡 감독의 ‘나의 마음은 지지 않았다’(2007) 등 총 4편이다.

영화 상영 후에는 변영주 감독, 김동원 감독, ‘나의 마음은 지지 않았다’의 양징자 프로듀서, 이향진 릿쿄대 교수, 김민규 재단 연구위원, 카와이 유코 릿쿄대 교수가 대담과 토론으로 관객과의 대화를 이끌어 나갈 예정이다. 또, 지난해 재단에서 발간한 일본군위안부 영문 핸드북 <The Truth of the Japanese Military Comfort Women(일본군위안부의 진실)>을 무료로 배포한다.

藤岡信勝187人声明に反論(強制リクルートなし)討論会を提案

Forced recruitment(強制リクルート)は無かったという藤岡
海外の日本研究者たちを納得させられるか

日本軍の慰安婦問題を「その規模の大きさと、軍隊による組織的な管理が行われたという点において・・・特筆すべきもの」と断じた世界の日本研究者らによる187人声明に対し、藤岡信勝教授が賛同者の全員に反論書→[日本語版 強調引用者]を送ったという。

声明の賛同者は最終的に450人を超えた。多くは、勧められるまま良く分らずに署名したのだろうと思われるので、一人一人にこうして問い質すのは良い考えだと思う。藤岡教授がこの機会を「好機到来」と捉えたのにも同感である。エズラ・ヴォーゲル、ジョン・ダワー、アンドルー・ゴードンといった日本研究者が名指しされているが、こうなってしまった以上、彼らは署名してしまった事実に、これから向き合って生きて行かねばならない。大量破壊兵器の存在を信じてイラク攻撃を支持した人々と同じ十字架を背負ったわけである。

敗戦と同時にこの問題から開放された日本軍と、基地村売春、ベトナムの「慰安所」など、アメリカ軍には半世紀を軽く超える買春の歴史がある。そんな彼らが生み出した「被害者」が、20年足らずの日本軍慰安所による「被害者」より少ないと何を根拠に言うのか、彼らは自分の口で説明しなければならない。「アメリカの『日本研究者』よりも、日本の、多少とも啓蒙された国民のほうが、慰安婦問題の真相を知っている」というのは、藤岡の言う通りだろう。日本研究者の面目丸潰れである。


一国をこのように断定して非難の対象とするからには、よほど慎重な事実の検討と、比較作業の積み重ねが必要です。質問しますが、皆様方はそのような慎重な作業をなさったのですか「187人の歴史家声明」に対する応答と提案 強調引用者)


藤岡が反論の為に持ち出す米軍の公文書
実は強制リクルート説に有利な内容でもある

ただ、藤岡の反論には危なっかしさもある。「吉見義明は、日本のテレビの討論番組で、『朝鮮半島における強制リクルート英語版)の証拠はない』と述べています」という説明には、外国人はポカンと口を開けるかもしれない。


the only Japanese scholar who the nineteen American historians cited as endorsing their viewpoint was Yoshimi Yoshiaki, who stated on a Japanese TV talk show that, “There is no evidence for forced recruitment of comfort women on the Korean peninsula.”

A Counter Response and Proposal to the “Open Letter” written by 187 Historians

吉見教授の発言は、当時の日本においてこそ衝撃的だったが、(韓国だけでなく)アジア中から集められた女性が強制売春に従事させられていた問題と聞かされている欧米人のニワカ集団(日本研究者)には、問題の矮小化と受け取られるかもしれない。そもそも、吉見は著書の中で朝鮮半島でも強制リクルートはあったと書いているではないか、と彼らは思うだろう(吉見曰く、騙されて慰安婦になるのも強制)。日本人に通じる説明がそのまま外国人にも理解出来ると考えない方がいい。

藤岡が反証のつもりで持ち出している『尋問調書第49号』や朝日新聞の過去記事撤回だが、アメリカでは逆に、強制リクルートと安倍政権下の言論弾圧の証拠と見なされている。

「日本人男性が特筆すべき強い性欲の持ち主でないことだけは確か」であるとか「日本人には・・・猟奇的な趣味はなく(い)」というのも、何だろう?性欲の問題があるから慰安所を設置したのであるし、日本人だけが残虐性とは無縁というような物言いは相手にされないだろう(四肢切断という文化についてはともかく)。「現地での強姦事件が殆どなかった」という主張は、藤岡自身が文中で何度も引用している秦郁彦の見解とも矛盾する。秦は、著書の中で(第二次大戦に限れば)日本軍は英米軍よりこの点で「お行儀が悪かった」と言っていたはずである。

それでも、日米の研究者による討論会をという提案は歓迎したい。「植民地と占領地から、貧しく弱い立場にいた女性を搾取した」日本軍(本当は内地人が多かったらしい)は問題だが米軍は敗戦国(日本)の女性を搾取したのだから非難には価しないと言うなら、とんだ知日派である。


結論として、私は最後に、日米の研究者の間の真摯な、一連の討論会の開催を提案します。テーマは、日本軍の慰安婦制度とは何であったのか、戦場の性処理問題の国際比較、現在の世界で繰り広げられている深刻な人権問題、などについてです。討論は、証拠と論理に基づく冷静で学術的なものとします。

そうした場を日本の外務省がつくってもいいし、民間の財団が旗を振っていただいてもよいと思います。相手の視点から学ぶ相互対話が今ほどふさわしい時はありません。
私達が力を合わせれば、21世紀を「希望の世紀」とすることができるはずです。


2015/06/17

戦後70年、80歳で他界した慰安婦被害ハルモニ


今月80歳で亡くなった慰安婦は、70年前の終戦の年に果たして幾つだったのか?キム・ウェハン(写真左?)の遺影は、今日の水曜デモにも登場した。撮影時期が異なる可能性もあるが、右の写真の人物はさらに若く見える。彼女は、奇しくも同じ日に亡くなったキム・ダルソン(91)。

達者な二人のハルモニはMERSを警戒してマスク着用

訃報:キム・ウェハンさん80歳=元慰安婦

元慰安婦の生存者は51人に

元日本軍慰安婦のキム・ウェハンさんが11日夜、老衰のため死去した。80歳だった。これにより、韓国政府に登録されている元慰安婦238人のうち、生存者は51人となった。なお、キムさんは生存者の中では最も年齢が若かった。

京畿道広州市の「ナヌムの家」で元慰安婦たちと共同生活を送っていたキムさんは、健康状態が悪化し、11日午後に近くの病院に搬送されたが、午後8時40分ごろに死去した。キムさんは先月、元慰安婦たちを侮辱する物品をナヌムの家に送り付けた日本の極右政治運動家・鈴木信行氏(49)を、同所で共同生活を送る元慰安婦9人と共にソウル中央地検に告訴したが、日本側からの正式な謝罪を受けられないまま世を去った。殯(ひん)所(出棺まで棺を安置する場所)は慶尚北道安東市の安東医療院に設けられ、告別式は13日に行われる予定。キムさんの故郷である同市には現在、夫が住んでいる。


慰安婦被害女性、同じ日に2人死去…生存者50人だけ

旧日本軍の慰安婦被害女性2人が同じ日に亡くなっていたことが分かった。

12日、慶尚北(キョンサンブクド)に住むキム・ダルソンさん(91)が老衰のため他界した。

これに先立ち京畿道広州(キョンギド・クァンジュ)のナヌムの家は、キム・ウェハンさん(81)が広州市内の病院で老衰のため亡くなったと伝えた。

2人の被害女性の死去にともない韓国政府に登録された慰安婦被害者238人のうち生存者は50人に減った。

2015/06/16

日本政府、ナヌムの家に訴状送り返す


訴訟を連発するナヌムの家の資金力にも感心するが、ハルモニが自分で裁判費用を工面しているなら、さらに驚き。そもそも、親日派としてナヌムの家でも浮いていたペ・チュンヒが訴訟に賛成していたかどうか疑わしい。

写真はソウル中央地裁の前で取材陣の質問に答えるナヌムの家の所長[ソース]

日本「韓国司法権及ばない」 訴状を返送…慰安婦被害者訴訟が危機に

  日本政府が「韓国の司法権が自国に影響を及ぼすことはできない」として、慰安婦被害女性らが起こしていた損害賠償の訴状を送りかえした。慰安婦被害女性と日本政府間の調停が失敗に終わった。

  ソウル中央地裁民事92単独ムン・グァンソプ判事の審理で15日に開かれた初めての調停期日は、慰安婦被害者の代理人を務めているキム・カンウォン弁護士だけが出席して行われた。日本政府は代理人を立てないことが分かった。

  キム弁護士は「日本政府が被害女性側の訴状を返送したため、この日の調停は公式に開かれなかった」とし「ハーグ送達協約第13条を掲げて慰安婦被害女性の訴訟に応じることができないという立場を迂回的に表示したもの」と述べた。

  キム弁護士によると、ハーグ送達協約第13条は「韓国の司法主権が日本政府に影響を及ぼすことはできない」という内容を裏付ける条項だ。キム弁護士は「損害賠償訴訟を提起した当初にも、日本政府が送達手続きに難癖をつけていたが、今回は最初から返送した」と話した。

  これに伴い、翌月の第2回期日にも日本政府が同じ立場を示す可能性が大きい状況なので、裁判所と弁護人側は同日、訴訟を続けるかどうかについても話をしたという。キム弁護士はしかし「裁判長に第2回調停を予定通り進めるよう要請した」と明らかにした。

  「今月22日は韓日国交正常化50周年で、韓日外交局長級協議が進められている以上、第2回期日前に両国の状況が変わる可能性がある」としながらだ。

  今回の訴訟は生存している慰安婦女性を後援している「ナヌムの家」で生活している女性ら12人が提起した。女性らは、日帝強占期当時、日本政府が暴力などを動員して自分たちを強制的に連行したとし、2013年8月に1人当たり慰謝料1億ウォン(約1107万円)を賠償するよう求める訴訟を起こした。

  しかし、日本政府は裁判所が送った事件関連の書類送達を2度も拒否するなど時間がかかっている。これまで訴訟に参加していた慰安婦被害女性のうち、ペ・チュンヒさんとキム・ウェハンさんの2人はすでに亡くなった。次の調停期日は7月13日に開かれる。

2015/06/13

慰安婦否定論者の入国禁止へ議員立法(韓国)



文大成。元オリンピックの金メダリストでもあるらしい。「入国禁止対象として日本の安倍晋三首相も含まれる場合がある」・・・安倍首相は、慰安婦を否定も正当化もしてないと思ったが・・・。

安倍首相も入国禁止の可能性? 慰安婦を否定・正当化する日本政治家への入国禁止法案推進=韓国

日本の安倍晋三首相をはじめ、従軍慰安婦に関して否定・正当化したり、その可能性のある日本の政治家たちを入国禁止にできる法案が議員立法によって推進される。ムン・デソン(文大成)セヌリ党議員(38)は「出入国管理法の一部改定法律案」を制作し、発議のための議員署名を受けている。

11日、改定案によると、法務部長官が入国を禁止できる対象に「公然と日本帝国主義植民統治および侵略戦争を擁護、または正当化する行動をとる心配があると認められる人物」が追加される。また、従軍慰安婦に対して強制動員を否定、または正当化する行動をしたり、する可能性があると認められる人物も対象となる。

ムン議員は「日本の政治家が国際社会の反対にもかかわらず、靖国神社参拝や日本帝国主義植民統治および侵略戦争を否認することはもちろん、慰安婦関連問題さえも自発的売春だと主張するなど非常識な態度を示している」として、「このような人間に対して、大韓民国への入国を禁止するなど、強力なメッセージを伝達する必要がある」と法案の趣旨を説明した。

また、ムン議員側は「入国禁止対象として日本の安倍晋三首相も含まれる場合がある」と言及した。

WoW!Korea 2015.6.11[2]

地獄への道は河野洋平の善意で舗装されている? 再び「強制連行あった」

聨合ニューステレビ 「河野洋平『日本軍慰安婦強制連行あった』」(6.9)
地獄への道は善意で舗装されていると言われるが・・

「河野洋平元官房長官は・・・強制連行があったとの認識を示した」・・・これは聨合ニュース(9日)がそう書いているだけで、河野自身が正確になんと言ったのかは知らない。だが、河野洋平が強制連行を認めたと報じた韓国メディアは聨合ニュースだけではなかった。普段、強制動員という言葉を使うことが多い韓国メディアでも、「強制連行」の言葉を使って報じたメディアが少なくなかった。

河野洋平と言えば、一年前に出された河野談話作成過程に関する検証報告書でこう指摘されている。

一連の調査を通じて得られた認識は,いわゆる「強制連行」は確認できないというものであった。・・・河野官房長官は同日行われた記者会見に際し,今回の調査結果について,強制連行の事実があったという認識なのかと問われ,「そういう事実があったと。結構です」と述べている。

見つかっていない物を見つかったと誤解されるような事を言う。外交関係に影響を及ぼすだけに、河野は明確に説明する責任がある。談話作成の中心でありながら、当時から一貫してこの点で彼は無責任であった。彼は勇気と信念を持った政治家でいる気なのだろうが、彼のこうした態度は日韓の相互不信を後押ししている。

聨合ニュースの記事でも分るように、どうやら韓国も自国の慰安婦が(日本政府による)強制動員被害者でない事には気づいている。今はただ、何の為にか河野談話死守に意地になっていて、その点で日本の左派と意気投合し、護憲ならぬ護談話派を形成している。護憲派が空想的平和主義者であるなら、護談話派は空想的日韓友好主義者。どちらも真の平和や友好にあまり役立たないどころか、逆に害を及ぼしているように見える。

旧日本軍の慰安婦問題 河野元官房長官「強制連行あった」

河野洋平元官房長官は9日、東京都内の日本記者クラブで行った村山富市元首相との対談で、旧日本軍の慰安婦募集の過程で明らかに強制連行があったとの認識を示した

河野氏は、日本の軍人がインドネシアでオランダ人女性を慰安婦として扱った事件を取り上げ、「明らかに軍が強制的に連れ出して慰安婦として働かせたケース」だと説明。これはオランダ政府の調査でも明らかになっており、否定することはできないと強調した。

慰安婦問題をめぐり旧日本軍の関与と強制性を認めた1993年の「河野談話」にも触れた。談話の発表時に襟首をつかんで連れて行ったことなどを示す文書を見つけたわけではなかったため、結局は「強制連行」という表現ではなく「総じて本人たちの意思に反して行われた」と記述したが、強制性を否定できるものではないと説明した。

慰安婦の募集方法については「甘言によるものやうそを使って集めた。ほかの場所で働けると言って集めたこともあっただろう。先ごろ安倍(晋三)首相が話したように、人身売買の場合もあっただろう」と述べ、こうした人々は結局本人の意思に反して集められたと指摘した。

河野氏は、慰安婦を集め極めて強制的に働かせたということが最も重要だとし、「軍が移動すれば軍の準備した車に乗せられて移動した。完全な軍の管理の下に移動する。これは強制性があったとみるのは当然だ」と強調した。

また、河野談話は当時の宮沢喜一首相が韓国で実施を約束した慰安婦問題の調査に基づくものであり、本文で慰安婦の出身地について朝鮮半島に言及しているため、韓国を対象にした談話と誤解されることもあるが、旧日本軍の慰安婦問題全般に関するものだと説明した。

2015/06/09

和田春樹ら知識人281人が声明 「最も急がれるのは慰安婦問題」


韓国のニュースサイトで会見の一部を聞いたが、他の会見者の発言にも首を傾げたが、元女性基金の理事として償い事業を指導しながら、apologyという言葉が無ければ謝ったことにはならないと言い放った(女性基金の否定)和田が際立っていたのではないか?この20年で、さすがにメディアは変わったが、文化人や学者の中ではこういう人たちがまだ幅を利かせているようである。「共通の歴史認識を拡張していけば、危機を克服することができる」と彼らは言うが、そもそも彼らの歴史認識からして、日本社会で共有される日が来るのだろうか?逆に国民の常識とのズレが大きくなって行っているような気もするのだが・・・。

和田春樹

「謝罪と反省を分けるというのは、言葉遊びだと思いますよ。申し訳なかった済まなかったという気持ちになるんだったら、これはapologyという言葉を使わないとですね、表現出来ないんですな。国際的には(和田)」[SBS

女性基金が失敗だったというなら、和田は韓国より先に日本国民に詫びる義務があるだろう。多額の税金を無駄にしたのだから。

日本の知識人281人が声明 安部談話には謝罪が必要

和田春樹・東京大名誉教授など日本の知識人281人は8日、「2015年日韓歴史問題に関して日本の知識人は声明する」という題名で、過去の歴史問題をめぐり悪化した韓日関係に関する見解を発表した。

声明は安倍首相が韓日国交正常化50周年である今年に発表する戦後70年談話が、河野談話、村山談話など、これまでの日本政府の談話の継承を確認することからはじめなければならないと主張した。

またアジアの国々に対する侵略と植民支配が中国や韓国など隣国の人々に損害と苦痛を招いたことを再確認し、反省と謝罪の心を再び表明しなければならないと提言した。

また韓日の間に存在する歴史問題のうち、最も解決が急がれるのは旧日本軍による慰安婦問題とした上で、河野談話以降、日本政府や韓日の研究者・市民により、慰安婦制度に関する新しい資料が発掘・公開され、慰安所の設置・運営は民間業者ではなく、旧日本軍が主体となって行っていたことが明確になったと指摘。日本が国の責任を認めるよう促した。

また声明は、現在の韓日関係がヘイトスピーチ(憎悪表現)などにより、危機に直面していると主張する一方で、共通の歴史認識を拡張していけば、危機を克服することができるとの考えを示した。

声名は和田氏のほか、水野直樹京都大教授、林博史関東学院大教授、上野千鶴子東京大名誉教ら17人が発起人となり作成され、8日までに朝鮮半島関連の専門家を中心に281人が参加した。英語と韓国語でも発表される予定。


「慰安婦」問題解決を

日韓歴史問題 学者ら281人が声明

歴史学者を中心とした日韓関係の改善を訴える学者、文化人が8日、国会内で記者会見を開き、「2015年日韓歴史問題に関して日本の知識人は声明する」との文書を発表しました。

2010年に韓国の知識人と共同で「『韓国併合』100年日韓知識人共同声明」を発表したとりくみに続くものです。

声明は、日韓の歴史問題の中で「解決がもっとも迫られているのが慰安婦問題である」と強調。事実認定と謝罪のしるしとしての賠償は、「被害者が受け入れ、日本政府も実行できる」解決案だと指摘。「生存者が50数人となった被害者に対して、一刻も早く解決に向かって踏み出すべきである」と日韓両政府に訴えています。

また戦後70年、日韓条約締結50周年の今年、新たに出すとされている安倍首相談話にたいし、侵略と植民地支配を再確認し「反省と謝罪の気持ちを」表明しなければならないと述べています。

声明には8日までに281人が署名。阿部浩己(神奈川大学教授・国際法)、石田雄(東京大学名誉教授・政治学)、井出孫六(著述業)、鹿野政直(早稲田大学名誉教授・日本史)、樋口陽一(憲法学者)、三谷太一郎(政治学者)の各氏らが名を連ねています。

赤旗 2015.6.9

テグ(大邱)に4番目の慰安婦歴史館


開館にこぎつけるまでには資金的な困難があったようである。幸い、日本の実業家から寄付の申し出があったり、韓国政府からの援助があったり。イ・ヨンスも募金活動に活躍したりした。

8月15日に韓国で4番目の慰安婦歴史館が誕生

 大邱に開館する「フィウム日本軍慰安婦歴史館」
5年ぶりに実現したキム・スンイアクお婆さんの遺志

「お前たち、私が死んだら、忘れるだろう?」

日本植民地時代、慶尚北道慶山(キョンサン)から日本軍慰安婦として連行された故キム・スンアクお婆さん(当時84歳)いつもこう言っていた。

「そんなことありませんよ。お婆さんがお亡くなりになっても絶対忘れたりしません」

「挺身隊ハルモニ(お婆さん)と共にする市民の会」のイ・インスン事務局長(51)は、お婆さんがそう言う度に、このように答えながら首を横に振った。

お婆さんは2010年1月、大邱(テグ)のある病院で持病が原因で苦難に満ちた一生を終えた。冷たい風が吹いていた冬の日だった。お婆さんは「大邱に日本軍慰安婦歴史館を建てるのに使ってくれ」と5000万ウォン(約550万円)を残した。その年は全国で慰安婦被害お婆さん9人がこの世を去った。

忘れ去られることが悲しかったお婆さんの小さな夢が、没後5年で叶えられることになった。全国で4番目に大邱日本軍慰安婦歴史館(写真)が光復節の8月15日に開館する。日本軍慰安婦の歴史、これを解決するためのこれまでの活動、故キム・スンアクお婆さんをはじめとする日本軍慰安婦被害おばあさんの話が歴史観で展示される。 1階は展示室やオフィス、2階は企画展示室と教育観になっている。

大邱では2000年代初頭から日本軍慰安婦歴史館を作ろうという話が出てきた。しかし、なかなか本格化せず、2009年12月、ようやく市民団体を中心に建設推進委員会が組織された。故キム・スンアクお婆さんが亡くなる1カ月前だった。

キムお婆さんが亡くなると、大邱に日本軍慰安婦歴史館を建立するため、市民の募金運動が始まった。挺身隊ハルモニと共にする市民の会では、フィウムブレスレットを販売して収益金を集めた。フィウムとは「希望を集め、花を咲かせる」という意味である。女性家族部と大邱市がそれぞれ2億ウォン(1円=9ウォン)を、大邱中(チュン)区が4000万ウォンを出した。他の日本軍慰安婦被害お婆さんたちも1000万ウォンを寄付した。 そのように12億5000万が集まった。

挺身隊ハルモニと共にする市民の会は、大邱日本軍慰安婦歴史館を作るために1920年代に建てられた和風2階建ての店舗だったチャンシン商会(大邱中区西門路1街)の建物を買った。昨年8月30日から補修工事を始めた。当初は、昨年12月10日(世界人権宣言の日)と、今年3月8日(世界女性の日)にオープンする予定だったが、予想以上に補修工事に時間がかかり、開館日が2回も延期された。

大邱で開館する日本軍慰安婦歴史館の名前は「フィウム日本軍慰安婦歴史館」に決まった。京畿道広州(クァンジュ)にあるナヌムの家の「日本軍慰安婦歴史館」(1998年)、釜山(プサン)水営(スヨン)区の「民族と女性の歴史観(ママ)」(2004年)、ソウル麻浦(マポ)区の「戦争と女性の人権博物館」(2012年)に続き、国内で4番目に建てられた慰安婦歴史館である。

イ・インスン市民の会事務局長は「何よりも故キム・スンアクお婆さんとの約束を守ることができて、とても嬉しい。多くの市民たちに協力していただいただけに、お婆さんたちが忘れ去られないように、歴史観をきちんと運営していきたい」と述べた。

女性家族部には合わせて238人(6月1日現在)の日本軍慰安婦被害お婆さんが登録されている。このうち生存者は52人しかいない。今年だけでもお婆さん3人がこの世を去った。生きている日本軍慰安婦被害お婆さんの平均年齢は88.8歳である。


慰安婦がネパール地震被災者の為に寄付


慰安婦被害ハルモニ、ネパール地震義援金寄託
十匙一飯の生活収入(?)集め地球村共生会に500万ウォン

日本軍慰安婦被害ハルモニ10人が、ネパール地震の被災者のために使って欲しいと寄付。

キム・クンジャ(90)、イ・オクソン(89)お婆さんらナムヌの家で暮らす日本軍慰安婦被害ハルモニは5月12日、地球村共生会理事長の월주僧侶が주석しているソウルのスタジオ(?)を訪ね被災したネパールの国民のために使ってくれと寄付金500万ウォンを渡した。

ハルモニらは「地震苦しんでいるネパール国民を慰め、速やかな復旧支援に参加するために寄付を集めた」とし、「私たちの小さい誠意がネパール国民が希望を持って再び立ち上がるのに力になることを願う」と伝えた。

ハルモニらは生活収入(?)などを集めて寄付金を用意したという。 地球村共生会はハルモニの寄付をネパール大地震緊急救援物資支援と被害地域復旧活動などに使う計画だ。

この日の寄付伝達式には地球村共生会理事長の월주僧侶とキム・クンジャ(90)、イ・オクソン(89)お婆さんら日本軍慰安婦被害ハルモニ、ナムヌの家関係者などが参加した。



위안부 피해 할머니들 네팔 지진 성금 기탁
십시일반 생계급여 모아 지구촌공생회에 500만원

일본군 위안부 피해 할머니 10명이 네팔 지진 피해 이재민을 위해 써달라며 성금을 기부했다. 

김군자(90), 이옥선(89) 할머니 등 나눔의집에서 생활하는 일본군 위안부 피해 할머니들은 5월 12일 지구촌공생회 이사장 월주 스님이 주석하고 있는 서울 영화사를 찾아 지진 피해를 입은 네팔 국민들을 위해 써달라며 성금 500만원을 전달했다. 

할머니들은 “지진으로 고통 받고 있는 네팔 국민들을 위로하고 빠른 복구 지원에 동참하기 위해 성금을 모았다”며, “우리들의 작은 정성이 네팔국민들이 희망을 가지고 다시 일어서는데 힘이 되기를 바란다.”고 전했다. 

할머니들은 성금을 생계급여 등을 모아 마련한 것으로 알려졌다. 지구촌공생회는 할머니들의 성금을 네팔 대지진 긴급 구호 물품 지원과 피해지역 복구활동 등에 사용할 계획이다. 

이날 성금 전달식에는 지구촌공생회 이사장 월주 스님과 김군자(90), 이옥선(89) 할머니 등 일본군 위안부 피해 할머니, 나눔의집 관계자 등이 동참했다.

2015/06/08

慰安婦少女像 光州にも


「少女像は慰安婦被害者らの苦しみと望み、結束を象徴する造形物」・・・パク・ユハ教授は、あれは運動を象徴する物と言っていたような・・・。

慰安婦少女像 韓国・光州にも建立=8月15日除幕

韓国南西部の光州に、旧日本軍の慰安婦を象徴する「平和の少女像」が建立される。

光州市の青年ボランティア団体「善良な人々の会」は5日、旧全羅南道庁前の広場に少女像を建立することで市側と合意したとし、光復(日本による植民地支配からの解放)70年に当たる8月15日に像の除幕式を行う計画だと明らかにした。

同団体の会員らは建立に向け、1月からインターネットを通じて資金を集めるクラウドファンディングや交流サイトのフェイスブックを利用して計1300人余りから2500万ウォン(約280万円)を集めたほか、地元企業から700万ウォンの寄付を受けた。

制作は彫刻家のアン・ギョンジン氏とソウル大彫塑科の大学院生が行う。高さ2.9メートル、幅1.4メートル。

少女像は慰安婦被害者らの苦しみと望み、結束を象徴する造形物で、2011年12月14日にソウルの日本大使館前に最初の像が設置された。慰安婦像や慰安婦の碑は現在、韓国10カ所、米国9カ所、日本2カ所にある。

2015/06/07

中韓北の学者で慰安婦国際会議、日本人学者を敬遠?



中国で第二回「日本軍慰安婦問題国際学術会議」が先月開催され、中国や北朝鮮、韓国の研究者が集い、日本に対する国際的圧力を強めようと声を揃えた。

又聞き情報になるのでレコードチャイナは原則ソースにしていないが、レコードチャイナによれば日本からも金富子が参加して「慰安婦問題は女性の人権に関わるもの」だと訴えたらしい。国際会議と銘打ちながら日本人研究者の姿がないのは、中韓北の学者の間で「反人類犯罪」ということで意見の一致を見る中、「女性問題」だという日本人の「非常識」が敬遠されたのか?どう考えても浮いていたであろう金富子も、北朝鮮枠による参加らしい。別ソース(ハンギョレ)によれば、主催者側は北朝鮮でも会議を開催したいと考えているようである。

さて、その金富子。今月11日に東京で「日本軍『慰安婦』問題をめぐる歴史修正主義的言説を検証する」というテーマで講演する

日本軍慰安婦は反人類犯罪

「1941年7月、関東軍(Group of the Imperial Japanese Army)はソ連軍を仮想敵として大規模特別軍事演習を進めた。梅津美治郎関東軍司令官はこれを契機に朝鮮総督府から8千人の朝鮮女性を徴集し満州にくるようにした後慰安婦として充当した。 これは関東軍が正式に慰安婦徴集を組織した初のケースだ」吉林省档案馆の赵玉洁(Chao Yujie)報告。

帝国主義日本が残した最大の反人類的犯罪である慰安婦を巡る「日本軍慰安婦問題国際学術会議」が30日、中国、吉林省の延辺で開かれた。今回のセミナーには、韓国、北朝鮮と中国の研究者が参加した。上海師範の苏智良(蘇智良 Su Zhiliang)教授と陈丽菲(陳麗菲 Chen Lifei)教授は「第2次大戦中の日本軍直営の「慰安所」に関する研究-上海両家宅日本軍「慰安所」を中心に」というテーマで日本軍慰安所の実体を具体的に明らかにした。 Chao Yujie(赵玉洁)吉林省档案馆は関東軍の中国東北地方での「慰安婦」制度の樹立と実施形態を事例中心に発表した。

北朝鮮側学者も明確かつ断固として研究結果を公表した。キム・チョルラム(金哲南)朝鮮社会科学院歴史研究所所長は、「過去の性奴隷犯罪を否認して隠蔽する日本の裏面世界には性奴隷犯罪に対する国家的な責任と義務、賠償を隠そうとする意図がある」とし、「軍慰安婦犯罪の真相究明と責任者処罰が重要で、日本に対する国際的な圧力の強めなければならない」と強調した。

朝鮮社会科学院歴史研究所の研究者リ・チョルホンは、北朝鮮地域には「咸鏡北道の慰安所、清津の방진(方津?)慰安所、ナナムプンゴク慰安所、会寧慰安所が代表的」であり「これら3地域は全て日本軍の第19師団の所轄区域」と明らかにした。

この日会議に参加した韓国と北朝鮮、中国は口を揃えて日本の慰安婦問題に対する責任認定と公式謝罪を促した。 学術会議は中国社会科学院中日歴史研究センター延辺大朝鮮韓国研究センターが共同主催して東北アジア歴史財団が後援した


일본군 위안부는 반인류범죄

“1941년 7월, 관동군(關東軍, Group of the Imperial Japanese Army)은 소련군을 가상의 적으로 삼아 대규모 특별군사연습을 진행하였다. 우메즈 요시지로(梅津美治郎) 관동군사령관은 이를 계기로 조선 총독부로부터 8천명의 조선여성을 징집하여 만주에 오게 한 뒤 위안부로 충당했다. 이는 관동군이 정식으로 위안부 징집을 조직한 첫 사례다.” 차오 위 지에(Chao Yujie, 赵玉洁) 지린성기록관(吉林省档案馆) 보고

제국주의 일본이 남긴 최대의 반인류범죄 위안부를 둘러싼 ‘일본군 위안부 문제 국제학술회의’가 지난 30일 중국 지린성 옌벤대에서 열렸다. 이번 세미나에는 남북한과 중국 연구자들이 참석했다. 상하이사범대 쑤즈량(Su Zhiliang, 苏智良) 교수와 천리페이(Chen Lifei. 陈丽菲) 교수는 ‘2차대전시기 일본군 직영 ‘위안소’에 관한 연구 - 상하이 양가택 일본군 ‘위안소’를 중심으로‘란 주제로 일본군 위안소의 실체를 구체적으로 밝혔다. 차오 위 지에(Chao Yujie, 赵玉洁) 지린성기록관(吉林省档案馆)은 일본 관동군의 중국동북지역에서의 ‘위안부’제도의 수립과 실시행태를 사례 중심으로 발표했다.
북한측 학자들도 분명하고 단호하게 연구결과를 밝혔다. 김철남 조선 사회과학원 역사연구소 소장은 “과거 성노예범죄를 부인하고 은폐하는 일본의 이면세계에는 성노예범죄에 대한 국가적인 책임과 의무, 배상을 은폐하려는 기도가 깔려있다”며 “군 위안부 범죄의 진상 규명과 책임자 처벌이 중요하며, 일본에 대한 국제적 압력의 강도를 높여야 할 것”이라고 강조했다.
리철홍 조선 사회과학원 역사연구소 연구사는 북한지역에는 “함경북도의 위안소, 청진 방진위안소, 나남 풍곡위안소, 회령위안소가 대표적”이며 “이들 3지역은 모두 일본군 제19사단의 관할구역”이라고 밝혔다.
이날 회의에 참석한 한국과 북한, 중국들은 한목소리로 일본의 위안부 문제에 대한 책임 인정과 공식 사죄를 촉구했다. 학술회의는 중국사회과학원 중일역사연구센터와 옌볜대 조선한국연구센터가 공동 주최하고 동북아역사재단이 후원했다.

2015/06/04

キャンベル前国務次官補ら 「日本は慰安婦に思いやりを」


アメリカとしては、とにかく日米韓の同盟を強固なままにしておきたい、その一念だということは理解出来るが、慰安婦に対して思いやりを示した(唯一の)国に対して、それをして来なかった国が物言う資格はないだろう。アメリカに出来ることがあるとすれば、自ら模範を示すことである。東洋には率先垂範という言葉がある。なお、キャンベルらも日本に法的責任を問うのは無理だと承知しているようだが、挺対協は諦めず頑張って欲しい

米国は日本でも韓国でも慰安婦のお世話になったが、
思いやりを示す気はないようである

追記: 時事は触れていないが、この催しは国際戦略問題研究所(CSIS)と韓国国際交流財団(KF)の共催だったらしい。韓国の元駐米大使も参加し発言したが、日本側からの参加者はいなかったらしい(要確認)。

「元慰安婦に思いやりを」=日韓の関係改善促す―米高官ら

キャンベル前米国務次官補は3日、ワシントン市内のシンクタンクで講演し、日本と韓国が対立している従軍慰安婦問題について「法的なレベルではなく、日本の人々や政治指導者が思いやりを持って元慰安婦に関与してほしい」との立場を示した。

キャンベル氏は、安倍晋三首相が4月下旬の米議会演説で、旧日本軍がフィリピンで米兵捕虜らを歩かせ多数が死亡したとされる「バターン死の行進」に言及したことを称賛。「その思いやりを韓国の友人らにも示してほしい」と注文した。

ラッセル国務次官補(東アジア・太平洋担当)も同じシンクタンクでの講演で、日韓の対立について「東アジアの主要な民主主義国家が仲たがいする余裕はない」と関係改善を促すとともに、米国として協力する考えを強調した

exciteニュース(時事) 2015.6.3[2]

台湾にも慰安婦記念館


馬総統の個人的な趣味。ちなみに台湾には、軍中楽園展示館という場所がある。軍中楽園とはすなわち台湾版の慰安所のこと。したがって、馬の偽善を分かっている人は分かっている・・・はず。計画が一旦は頓挫したと見られたのは、その為かもしれない。

「10月に記念館開館」台湾・馬総統

台湾の馬英九総統は3日、台北市内で開かれた抗日戦争勝利70年を記念する研究会であいさつし、台湾人の元慰安婦に関する記念館が「10月25日に開館する」と明らかにした。中央通信社が伝えた。実現すれば、台湾で初めての常設の慰安婦関連施設となる。規模や場所などは不明。

記念館は元慰安婦を支援する女性人権団体「台北市婦女救援基金会」が計画。馬総統は昨年7月、台北市と中央当局が協力して設置場所を探す方針を示していた。だが台北市では昨年11月の市長選で与党、中国国民党の候補が落選。市長が国民党から無所属に変わり、計画は頓挫したとみられていた

台湾には2014年現在で元慰安婦5人が生存。馬総統は慰安婦問題に関心が高く、5月20日、総統府で行った就任7周年記念演説に元慰安婦という女性を招いた。

産経 2015.6.4

歴史の教訓というのは慰安所のことではないかもしれないが、国民党が軍中楽園を作ったのは第二次大戦後である。国軍歴史文物館には、こういう物↓も展示されるのだろうか?楽園の利用券である。


台湾初の慰安婦記念館、10月25日にオープン 馬総統が発表

馬英九総統は3日、抗日戦争勝利70年を記念するフォーラムに出席し、台湾初の慰安婦記念館が、10月25日に開館すると明らかにした。同日は台湾での日本統治終了を記念する「台湾光復節」に当たる。

馬総統は昨年7月、国軍歴史文物館や抗日戦争記念館などとともに、元従軍慰安婦に関する施設を今年中に設置する方針を示していた。台湾はこれまで、すでに亡くなった人を含めて少なくとも58人が元慰安婦として認定。2014年現在で5人が生存している。

また、馬総統は「歴史の過ちは許せるが、歴史の教訓を忘れてはいけない」として、抗日戦争の事実を伝えていく必要性を語った。

2015/06/03

「韓日友好を支えた河野談話」「慰安婦の名誉回復に決断を」 パク大統領の勝手


示談金(河野談話)を高く評価しながら、別れ際に「で、賠償金についてだが、色よい返事を期待しているぞ」と言われるようなものか?「話が違う。示談金は返してくれ」と言えば、「我々の友情にもヒビが入るじゃないか」と説教を垂れる。

朴大統領「韓日関係、8・15談話など機会をうまく生かすべき」

  朴槿恵(パク・クネ)大統領は1日、青瓦台(チョンワデ、大統領府)で、「韓日賢人会議」に参加している両国の政界・官界・財界の元老に会い、「日本政府がその間の韓日友好関係を支えてきた村山談話、河野談話など日本歴代政府の歴史認識を終戦70年の今年に明確にすることが両国関係改善のために非常に重要だという点で、今後8・15談話などの機会をうまく生かさなければいけない」と述べた。「過去の問題の望ましい解決を通じて、両国関係をより安定した基盤の上で発展させていくことができる」とも話した。

  朴大統領を表敬訪問した席には日本側から森喜朗元首相、河村建夫元官房長官、茂木友三郎日韓フォーラム会長、佐々木幹夫日韓経済協会会長らが出席した。韓国側からは李洪九(イ・ホング)元首相、金守漢(キム・スハン)元国会議長、孔魯明(コン・ノミョン)元外務部長官、柳明桓(ユ・ミョンファン)前外交部長官らが一緒だった。両国元老は先月31日からソウルで会い、2日間の日程で第2回韓日賢人会議を開いた。

  朴大統領は日本軍慰安婦被害問題に関し、「先週また一人の慰安婦被害者が亡くなり、生存者は52人となったが、1人でも多く生存している時に名誉が回復できるよう日本側の勇気ある決断を期待する」と述べた。

  これに対し森元首相は「朴大統領の言葉を安倍首相に伝える」とし「安倍首相も日韓関係を非常に重視し、北東アジアの平和と安定のために韓国と緊密に協力するべきだと考えていて、村山談話と河野談話に基づいて行動していることをいつも話している」と伝えた。また森元首相は「今回の賢人会議で日韓両国の首脳が6・2国交正常化記念日と8・15終戦記念日を控え、負担なく会う日が早く訪れる環境をつくることが重要だということで出席者の認識が一致した」と述べた。李洪九元首相は「韓日関係の改善を望む気持ちは我々と大統領の共通点」と述べたという。

  韓日代表団は朴大統領に会った後、記者会見を開いた。河村建夫元官房長官は「我々は早期の日韓首脳会談を期待するという考えを表し、朴大統領も我々と同じ認識だった」とし「朴大統領が森元首相の健康も心配し、訪問に感謝するという話もしながら非常に良い雰囲気で対話をした」と伝えた。

  柳明桓元長官は「3月に安倍首相を表敬訪問したのに続き、韓日代表団が今日、朴大統領に会ったのは、両国の指導者が関係改善のための政治的な決断をしてほしいという懇請の意味がある」と説明した。

  韓日賢人会議は3月に東京で最初の会議が開かれた。

2015/06/02

池萬元「慰安婦は蒙昧な父兄の虐待の産物」


池萬元(チ・マンウォン)のこの「オピニオン」は、少し前に崔さんのツイートで知った。2chでもLingLing ★記者がスレを立てていたが、独自に注釈を施すなど丁寧に訳されていた。以下の訳でも一部参考にさせて頂いた。

池萬元
けっきょく韓国ではこういう扱い?

不幸な家庭から、新時代の到来(それをもたらしたのが、日韓併合というわけか)に希望をつなぎ都市へと逃げ出した朝鮮半島の少女たちが人身売買の罠にかかり娼婦となったのは、やはり悲劇である。チ・マンウォンが紹介するように、比較的正直に語ったと思われる慰安婦の回顧譚にはこの種の話が少なくない。だから、「人身売買の犠牲となって筆舌に尽くしがたい思いをした方々のことを思うと、今も私は胸が痛い」と語った安倍首相は、彼を人非人のように言い、「事実を知りながら慰安婦問題を政治問題として浮上させるために社会に誤った認識を拡散(池萬元)」させている挺対協の人々よりよほど慰安婦の不幸(人生)を正しく理解している、と言えるかもしれない。

ただし、人身売買は日本政府によって禁じられ、軍もこれを認めなかった。今日の朝日新聞で、尹明淑が「軍に選ばれた業者などが就業詐欺や人身売買で女性を集められたのは、まさに植民地だったから」などと思わせ振りな事を言っているが、日本統治下の朝鮮でも就職詐欺や人身売買はご法度である。その一方で、九州(内地)の女性が騙されて慰安婦にされるという事件だってあったのである。

『解放前後史の再認識』

チ・マンウォンは、10年前にも、貧しさから自ら売春した慰安婦が8割だと主張して、挺対協に告訴されている。挺対協や尹明淑のような人々が徹底して無視する慰安婦の本当の不幸(人生)。

[オピニオン]池萬元の国民の喊声

挺対協の不純な慰安婦ゲーム、中断させなければ
慰安婦問題を韓米日の安保協力体制を毀損(?)するために、悪用している

『解放前後史の再認識』第1巻の434-476ページに、サンフランシスコ州立大学のソ・ジョンヒ教授(C. Sarah Soh)の貴重な論文が掲載されている。以下に要旨を紹介する。

植民統治の最後の10年(1935-45)は朝鮮の産業革命期だった。 農民たちは土地から追われ、 労働階級が胎動して人口の流動性が増し、都市社会が広がり、女性界では、いわゆる新女性に対する羨望が広がったそんな時代(時期)だった。1917年、李光洙(イ・グァンス)の小説『無情』 が連載された。 この小説は新文明の普及の書だった。西欧の新文明が流入し、開化思想が広がり、新青年と新女性を恋愛の表象とした新小説だった。1935年の(?)沈薫(シム・フン)の常緑樹は息苦しく、せせこましい農村を啓蒙する啓蒙書だった。当時の農村の人々の考えがどれほど固陋で原始的かを赤裸々に描いた。 慰安婦もこのような開化期時代の産物だったのだ。

190人の慰安婦を調査したところ、88%に当たる168人がまさに脱農村期である1937-44年の間に慰安婦になっていた。 都市に憧れる一種のゴールドラッシュ真っ只中の時期に家を飛び出した娘が、人身売買団の格好の餌食になったのである。181人の慰安婦を調査した結果、4分の1以上がすでに家族と離れ家政婦や工場労働者、食堂、妓生の家、接待婦などとして働いていた最中に慰安婦になっており、66%程度が満州や台湾、中国などに送られていた。

慰安婦となったケースは、すでに家庭から出奔していた女性だけが該当するのではなかった。 家庭で親や兄たちから暴力を受けていた若い娘たちが暴力を避けて逃げ、それで人身売買団の罠に引っかかることもあったし、勉学の(?)蜃気楼を求め広くなった世界に逃げて来たのが(?)、ほどなく人身売買団の餌食になり慰安婦の道に入ることもあった。 当時、人身売買団の手先は大部分が朝鮮人であり、軍隊慰安婦を経営する人たちの中には朝鮮人たちもかなりいた

慰安婦になるルートは二つあった。 家庭-労働市場と慰安婦業所に行く過程があり、直に家庭-慰安婦業所に行く過程があった。 このような過程を促進した媒体が人身売買団であり、人身売買団に捕らえられた環境は、つまり、女性に対する家庭内暴力や虐待、そして勉学に対する憧れを無条件に抑圧する無知蒙昧な朝鮮家庭の女性卑下文化のためだった。

ソ・ジョンヒ教授は、家庭から直に慰安婦という穴に落ちた恨多き慰安婦6人のケースを挺対協資料から容易く見つけ出した。 こうしたことにも挺対協は、この事実を知りながら慰安婦問題を政治問題として浮上させるために社会に誤った認識を拡散させた

挺対協の主張によれば、全ての慰安婦は家庭にいた慎ましい娘たちであったのが、ある日突然、日本の巡査たちが押しかけてきて強制的に捕まえ、日本軍が運営する遊郭に入れたというのである。 ソ・ジョンヒ教授によれば、これは事実ではない。 ソ・ジョンヒ教授が調査した6人の慰安婦のケースはこれを理解するのに明白な資料になる。以下にソ・ジョンヒ教授の事例を要略して紹介する。

朝鮮の親が娘たちを慰安婦に追いやった代表的なケース

1)ムン・ピルギ: 挺対協が毎週日本大使館前で主催するデモに常に参加している女性である。彼女は18歳になった1943年の後半から2年間満州の軍慰安所で働いた。1945年、解放を迎え、平壌 - 開城 - ソウルを経て故郷に行ったが、すぐに故郷を離れ、晋州 - 木浦 - 光州-全州を回りながら独身で過ごしていたという。

彼女は1925年、慶南金陽郡で2男9女の小さな雑貨屋で生まれた。子供の頃、最もしたかったのが勉強だった。父は「女が勉強すれば、キツネにしかなる他ない」と怒った。母がこっそり一升の米を売って、普通学校に入れてくれた。一週間も経たずに、父が娘を教室から連れ出し、本を燃やしてしまった。それでも、怒りが収まらず、娘を激しく(?)殴って家から追い出してしまった。本家(?)に行っていたが、もう勉強しないと約束して、家に帰ってきた。

勉強ができなかったことが恨になった状態で9歳から家事をして、畑仕事もして、綿畑の草取り、繭紡ぎもした。雑貨屋で売るサツマイモも蒸した。農作業のたびに、ご飯を炊いて野に運んだ。そんな1943年の秋のある日、村に住む日本の手先役をする50代のおじさんが、勉強も出来てお金も稼ぐことができる場所に送ってくれるというので、ついて行った。18歳だった。その男と日本人巡査が彼女をすぐに車に乗せ、釜山に連れて行った。長い髪を切ってチマチョゴリを脱がせワンピースを着せた。そして、他の4人の女性たちと一緒にそのまま満州に送られた。この物語を含め、以下のすべての話は挺対協が編纂した「証言集」に収録されている

この女性は、毎週水曜の12時に日本大使館の前で、日本が自分を強制的に連行して慰安婦にしたと謝罪と被害補償を要求しているのである。この慰安婦ゲーム(?)は、(北の)スパイの妻であり、挺対協の常任代表ユン・ミヒャンが運営している。問題は、この元慰安婦女性にではなく挺対協にある

2)イ・サンオク:この慰安婦の父は慶尚北道達城郡達城面長だった。作男を置いて農業を行う富農でもあった。9歳の時に学校に入ったが、兄が「小娘を学校にやって、どうするのか」と学校に行けないようにし、本をかまどに入れて燃やしてしまった。それでも学校に行こうとしたところ、殺すと言って脅かした。隣家のお姉さんが学校に通うのがとても羨ましく、その年、母にも知らせず、ソウルに逃げ出した。

叔母が学校に行かせてくれたが、兄が叔母に執拗に圧力を加えた。叔母の家を出てトンビという家に入った。9人の娘がいたが、みな自分の父親によって売られて来たと言っていた。 15歳の彼女が最も幼かった。娘たちが行く所について行くと、下関だった。彼女らを引率した軍属が10人の生娘たちを渡した所は、まさに朝鮮夫婦が運営する軍の遊郭だった。彼らは、娘たちとは何の関わりもなく金をやり取りした。

この元慰安婦の女性は日本語を話すために日本軍の病院で働いて給料ももらった。日本人の軍医が彼女を不憫に思い朝鮮に帰そうと思ったが、その日、爆撃を受け話がふいになった。この女性の場合も、女性への家庭内暴力のために遊郭に追いやられたケースであった。

3)イ・ドゥクナム:この慰安婦は1918年生まれである。彼女は1939年から3年は中国で、そして残りの(?)3年はスマトラで慰安婦生活をした。学校に行きたかったが、父は飲んだくれな上博打打ちで、理由もなくむやみに殴った。

「家にいるのが死ぬほど嫌だった」17歳で嫁に行けと言われたが、彼女はこれを売られることだと考えた。近所の友達と一緒に給料がもらえる仕事を見つけるために、列車に乗って仁川紡織工場に行った。それが慰安婦への道だった。

4)キム・オクシル:この慰安婦は1926年に平壌市内の10里なる村(?)で生まれた。現在はキム・ウンレとして知られている。彼女の父親も勉強しようとする娘に過酷に鞭を食らわした。11歳の時、近所の友達がハングルも教えてくれ歌も教えてくれるところがあるといって一緒に行ったが、何日かして父にバレた。

「小娘の分際が文字を学んでどこに書くんだ、ラブレターでも書く(?)のか!」と叱る父が怖くて祖母の後ろに隠れたが、脚を折ってやると言いながら殴った。その後、父を見たくないので家を出た。ある日、おばさんから平壌では妓生が最高だと聞かされた。綺麗な服を着て、綺麗な輿に乗って通うという妓生になりたくて妓生ハウスに行って養女となった。わずか一週間で父に見つかった。 「この小娘は先祖の恥さらしだ、村の恥を沢山かかせて歩き回ってる」と殴られ、無理やり家に戻された。そして靴下工場に逃げ出した。そこで3年、タバコ工場で4年働き、やがて人身売買団に引っ掛かった。

5)ペ・ジョクガン:この慰安婦は1922年生まれ。この女性は自殺しようとしたほど母親からひどい虐待を受けた。粗織りの木綿工場で働かせてくれるという地元の区長の嘘に騙されて家を出たのが、すぐに中国に送られた。中国のあちこちの慰安所を巡った。1946年に家に帰ってきたが、母は冷淡だった。 母は臨終の時、娘を探したが、彼女は行かなかった。

6)ソン・シンド:この慰安婦は1922年生まれで、母親からひどい虐待を受けた。 16歳の時から生活のために多くの職を転々とし、良い仕事を探してくれるという近所の人の誘惑に乗せられ、中国に行き、1938年から1945年まで慰安婦生活をした。日本人兵士が結婚しようとして日本に同行したが、彼は日本に到着するや否や彼女を捨てた。

政治目的のために慰安婦を悪用する挺対協

この6つのケースはごく一部に過ぎないが、当時の朝鮮の社会像をよく映している。 彼女らを悲劇のどん底に追いやったのは、日本の巡査ではなく、彼女たちを生んでくれた父と母、兄たちだった。 当時、社会は開化の風に乗っていた。 若い娘たちは外の世界への憧れや、家庭における暴力からの脱出を選択しており、その脱出は、そのまま人身売買団への進入を意味した。

このような事情を置いて、「当時、朝鮮の娘たちはみな家庭にあり、日本の巡査たちが家庭に押しかけ(?)て来て娘たちを強制的に連れて行った。 謝罪し、補償をせよ」こう叫んでいるのだ。 もちろんシム・ミジャのケースのように、日本の巡査が教室などから強制的に連れて行ったケースもある。 しかし、シム・ミジャ・ハルモニの証言や上記の社会像を見ると、大抵の慰安婦は、家庭内暴力と無知から脱出して人身売買団に引っかかった娘だったという印象を抱かせる。

上記の6つのケースはいずれも挺対協が作成した文章にある内容だ。 全ての事情をよく知りながら、挺対協は慰安婦を政治的目的の為に街に広めている。 ムン・ピルギは毎週水曜日に大使館前で「私の青春を補償せよ」とデモをしているが、挺対協が編纂した「証言録」によると、彼女が日本に要求する(出来る?)ものはひとつもない。

解放前後史の再認識、第1冊2部は「植民地下の女性の人生」というテーマを扱っている。 ここには日本の大阪産業大学の藤永壮教授、米シカゴ大学のチェ・キョンヒ教授、サンフランシスコ州立大学の ソ・ジョンヒ教授の文章が膨大な分量の論文として掲載されている。

この三者の論文を見れば、韓国の挺対協の主張がどれほど荒唐無稽かがいちいち知れる。 さらに、論文が引用した資料を見ると、日本人の調査が極めて多い反面、韓国人の調査が非常に乏しい

韓国内の学者は、この分野について研究をせず、挺対協は客観性が欠如した感情論を繰り返してきた。ゆえに、この分野を研究する多くの国際学者たちに恥晒しな結果をもたらしたということが、これらの資料に示されている。

まず、藤永壮教授の文「上海の日本軍慰安所と朝鮮人」の内容を紹介したい。

日本軍慰安所の元祖、上海 慰安所

1 沖縄に居住した朝鮮人元慰安婦の証言を記録したルポルタージュなど十数冊の本が日本で刊行された。慰安婦問題が日本に衝撃を与えたのは、1991年の8月から慰安婦たちが相次いで自らの存在を明らかにし始め、次いで日本政府を相手に補償を要求した訴訟を展開したことから動き出した。 資料上確認されるところによれば、1932年の上海の慰安所が一番最初に現れたものであり、日中戦争が始まって以降、この地域での慰安婦の数が最大規模だったため、上海の慰安所は他地域のモデルになったと思われる。 したがって、上海慰安所の環境を研究することの意味は非常に大きい。

上海には個人的な稼ぎのために日本人も売春婦(からゆきさん)が海外に出た最も典型的なケースである。上海駐在日本領事館は1880年代からからゆきの取り締まりに乗り出した。これは公娼制度の導入を意味した。 公娼制度の設置の動機は1)強姦防止、2)軍の士気高揚、3)、性病予防、4)防諜であった。

当時、上海での朝鮮人女性の実態は、こうであった。上海で朝鮮人女性ダンサーが現れた。 カフェで働く女給も出現した。 朝鮮人が経営する私娼(窟?)もあった。彼女たちは、新興の接客婦で仕方なしに売春した。こうした女性たちは不況のためにますます多く上海に集まってきた。1936年当時、上海には朝鮮人女性ダンサーが37人、彼女たちは、風紀を乱すという非難も受けた。日本人が経営する飲食店やカフェなどで働く朝鮮人の女給は48人、彼女たちはお金を稼ぐために密売淫を行い、雇い主と折半した。 この頃、上海には290人の朝鮮人私娼も存在した。 私娼というのは公娼と認められなかった所(?)だった。

満州事変(1931年9月)の際に現れた慰安婦は基本的に売春婦の出であり、その中には朝鮮人女性が一部含まれていたが、日中戦争の中期である1940年頃には朝鮮の娘を強制的に連れて慰安婦をやらせた「性的奴隷」なども新たに出現した。

日中戦争が全面化した後、慰安所が大量に開設される時期に慰安所経営者の中に朝鮮人の名前がかなりあった。

日本軍が開設していた慰安所?は、1)軍直営の慰安所、2)軍が監督・統制する軍専用の慰安所、3)民間の売春所を兵士用に指定したもの(民間と軍共用)、4)純粋に民間向けの慰安所(軍人が通っても個人的な行為)。4番目のタイプの慰安所は、日本軍慰安所とは何らの関係がない。 1932年3.14者上海派遣軍高級参謀岡部直三郎の日誌には、このような文言がある。

「この頃、兵士たちが女を探してあちこちさまよって淫らな話を聞くことが多い。 これは避け難いことなので、むしろ積極的に施設を作ることが良いと判断・・・」

上海派遣軍参謀副長だった岡村寧次はこう回想した。「慰安婦問題を考える・・・かく申す私は恥かしながら慰安婦案の創設者である。昭和七年の上海事変のとき二、三の強姦罪が発生したので、派遣軍参謀副長であった私は、同地海軍に倣い、長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、その後全く強姦罪が止んだので喜んだものである」

1932年当時、上海の日本人の風俗営業の状況は次のようであった。 料理屋3カ所、飲食店72、喫茶店13、海軍慰安所17、クラブ2、ダンスホール1、芸妓134、舞踏女170、酌婦166。

上海の日本人の売春の歴史

「明治元年(1868年)から明治14-15年(1881-1882)頃まで上海駐在の日本人の数は10-100人がせいぜいであり、1年に平均5-6人ずつ増加した。 大体、男3分1、女3分の2だった。 女性の6-7割は外国人を相手に売春した。 彼女らが日本の売春の先駆者かもしれない。 森崎和江の著書『からゆきさん』では明治15(1882)に上海に800人の売春婦がいたと指摘している。 日本女性達が瞬く間に増えた上海では、領事館がこれを国家の羞恥とみなして捕らえて500-600人を本国に送還した。 それでも依然として200人程度は隠れていた」

結論

売春の歴史は、どの時代、どこの国でも、すべからく暗い歴史として連続されてきた。 我が国でも1961年5.16革命の前まで売春は不法に(?)統制されていた。そこで、売春は密かに家庭に入り込み、性的暴行や殺人などの悪い形で広がっていった。 ゆえに、朴正熙の最高会議は公娼制度を採択した。 家庭に入り込んでいた性犯罪や性病等が非常に効果的に改善された。上の論文の一部を見ると、当時、日本も道徳と品位と性の需要をめぐって、様々な考えを持ったと推測され、当時の彼らの悩みも、今も私たちが解決しないまま抱えている悩みと一致したと考えられる

今の私達の社会を見てみよう。 韓国社会はおそらく世界で上位に位置する性的風紀紊乱共和国だ。国家を率いてゆく席はあるが、その席に座っている人たちは、無能と利己心でお互いに噛みつくことで1年365日を過ごしている。 このような形で更に数年を費やせば、我々は北朝鮮に呑み込まれてしまうだろう。もし今、北朝鮮に呑み込まれれば、我が国の女性と国民は70年余り前に日本人から受けた苦痛とは比較もできない悲惨な扱いを受け、命まで失うことになるだろう。

昔の祖先の愚かさで、強大国に呑み込まれたのは事実だ。 もし、日本に呑み込まれずに、中国やロシアに呑み込まれたのなら、ロシアの慰安婦の境遇や中国の慰安婦の境遇は、日本の慰安婦の境遇よりも良好だったろうか。 私は絶対にそんな事はないと思う。 それなら慰安婦問題で日本を恨むよりも愚かなマネをして国を奪われた私達のご先祖を恨まなければならないだろう。

しかもソ・ジョンヒ教授が指摘したように、ほとんどの慰安婦は無知蒙昧の韓国の父と兄たちの虐待の産物だったのだろう。 こうした性格の問題を針小棒大に歪曲し、慰安婦問題を韓米日安保協力体制を壊すために悪用されるのは、一日も早く止めなければならない。しかも、挺対協の指導部は、北朝鮮とスパイに深くかかわっている人たちが掌握しているではないか。直ちに、毎週水曜日に日本大使館前で繰り広げている水曜デモから中断させなければならない。 恥ずかしくてたまらない。

2015/06/01

キム・ボクトン「自由のために戦う英雄100人」に 国境なき記者団


ネットには何とか繋がるものの、まともにブログの管理など出来ない環境から、二三日東京に戻っています。忙しさも今週がピークなので、コメントに返事せずにいる無礼をもう暫くお許し下さい。

「国境なき記者団」は・・・「1938年から45年まで日本軍に連行され、性的奴隷として過ごしたアジアの女性20万人のうち大部分は韓国人だった・・・」と説明

コリア・タイムズを信じるならば、The majority of 200,000 Asian women taken by the Japanese military to provide sex to Japanese troops between 1938 and 1945 were Koreans.というのがキャプションだったらしい。この写真では小さすぎて確認出来ないが、それが世界の常識というものだろう。性奴隷とは書いてないようだが、日本軍によって連れて行かれたとは書かれている。

「自由のために戦う英雄100人」に元慰安婦・金福童さん

「国境なき記者団」が選定
過去にはマンデラ氏やキング牧師も

フランス・パリに本部を置く「国境なき記者団」と同国のAFP通信が共同で選定する「自由のために戦う英雄100人」に、旧日本軍の元慰安婦の金福童(キム・ボクトン)さん(89)が選ばれた。言論の自由の擁護を目的として設立された非政府組織(NGO)の「国境なき記者団」は最近、創立70周年を迎えるに当たり、全世界で「自由のために戦う英雄100人」を選定し、その写真を掲載した画報を出版している。金さんは南アフリカで初の黒人大統領になった故ネルソン・マンデラ氏や、米国の黒人人権運動家の故マーティン・ルーサー・キング牧師などとともにこの「100人」の中の一人とされた。

金さんは現在も、在韓日本大使館(ソウル市鍾路区)の前で元慰安婦と支援者が行っている「水曜集会」に毎回欠かさず出席している。「国境なき記者団」は、2011年12月14日に行われた1000回目の水曜集会で金さんが発言する場面の写真を画報に掲載し、その下には「1938年から45年まで日本軍に連行され、性的奴隷として過ごしたアジアの女性20万人のうち大部分は韓国人だった。生存している元慰安婦たちは92年以来、相次いで日本政府の謝罪や補償を求めているが、日本政府は応じていない」という説明を加えた。

「国境なき記者団」のクリストフ・ドゥルアール事務局長は画報の中で「この画報は国境なき記者団が過去30年間、情報公開など自由を守る過程で共に歩んだ英雄的な人物を称える頌詩だ」と述べた。