2014/04/06

なぜロスやパリで日本軍性奴隷の話が流布するのか(鄭大均)


20万人の女性をアジア全域から拉致し性奴隷とした・・・なぜこんな話が国際常識になってしまうのか。反日外国人が悪い!で片付けてしまう向きが多いが、それではいけないと思う。もう少し深い分析必要で、それに基づいて対策を立てないといけない。

鄭大均は、「植民地主義ジェンダーの組みあわせからなる物語には(欧米の?)人びとの心のなかに過去をよみがえらせる力があるからであり、現実の日韓関係から遠ざけられている欧米人には、それを偏見想像力で補う・・・」と指摘する。彼はこれを「現代の迷信」だと言う。

シリカ太郎さんに教えて頂いた記事。

慰安婦への無知と想像力 「名」と「実」の間の欺瞞 首都大学東京特任教授・鄭大均

 日韓のメディアや学界は、相変わらず中国や北朝鮮の巨大な人権・人道犯罪よりも日本の過去史にご執心のようである。似通った傾向は米国にもある。公の関心は共産主義世界に起きた巨大な残虐行為よりもナチズムやホロコーストの犯罪史に向けられるもので共産主義世界に批判的なものはやや恥ずべき存在とされる空気もある。

その恥ずべき存在にやがて自分もなるのだとは知らなかったが、1981年、韓国の大学で教えるようになって違和感を覚えたのは、メディアや学界の安易な反日の態度である。もう忘れられていると思うが、歴史認識の問題で韓国が日本叩(たた)きの道具としてまず利用したのは在日コリアンの被害者性の問題であり、私はそのことに強い違和感を覚え、いつかそれを批判する本を書かねばと思った。

やがて90年代半ばに私は職場を日本に移し、それから10年ほどを経て出したのが『在日・強制連行の神話』という本である。この本は荀子の『正名篇』にある「邪説・僻言(へきげん)には3つの型がある…名前を偽って正しい名前を混乱させるもの…事実を偽って正しい名前を混乱させるもの…名前を偽って事実を混乱させるもの」の言葉に啓示を受けて、“強制連行”の「名」と「実」の間の欺瞞(ぎまん)を指摘したものであり、在日被害者論のバイブルである『朝鮮人強制連行の記録』を批判した本でもある。

それからさらに10年が過ぎ、私は定年を迎えたが、過去史への隣国からの攻撃はさらに激化し、国際社会への発信も強化されている。今、日本叩きの最大のテーマとなっているのは慰安婦の問題であり、「日本軍は韓国女性20万人を性奴隷として強制連行し、その多くを虐殺した」などという物語が世界を駆けめぐり、ロスでもパリでもそれを訳知り顔に語るものがいる。ここにも「名」と「実」の間の欺瞞があるのは周知のとおりである。

日本の尊厳を傷つけるこうした新しい動きに日本人が怒るのは当然だが、一方では、なぜそのような物語が東京やソウルのみならず、パリやロスでも流布するのかを考えてみる必要があるだろう。答えは明瞭である。植民地主義とジェンダー(社会的性差)の組みあわせからなる物語には人びとの心のなかに過去をよみがえらせる力があるからであり、現実の日韓関係から遠ざけられている欧米人には、それを偏見や想像力で補う自由があるということである。これはいわば現代の迷信というべきものであり、したがってその捏造(ねつぞう)性を指摘したからといって消えてなくなるものでもないだろう。

 というと、反日を批判したって仕方がないということになるが、だからこそやりがいがあるともいえる。私自身はというと、韓国の反日には早くから関心を寄せていたというのに、いまだにきちんとした作品が書けないでいることを情けなく思う。どうも韓国人の反日には現実と想像の世界の不思議な融合があって、気がついてみると、自分自身が思い込みの虜(とりこ)になっていることを発見する。

 「もういいかげん、日韓関係なんかよしたらどうなの」と妻からいわれる。とはいえ、このまま反日批判から手を引いてしまったら、人生に悔いが残るのは目に見えている。『慰安婦・性奴隷の神話』という本はぜひ誰かに書いてほしいが、自分にもやれることが少しはあるに違いない。

産経